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更新日:2021年10月30日公開 印刷ページ表示

烏を飼う女(大正14年発表)

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私は今、女殺しの大罪人として、獄中でこの告白書を綴りつつあるのである。私が同棲者を殺して、死体を秘密室に隠してから、警官は度々私の家に捜査に来たけれども、何一つ証拠が挙がらず、また、私自身は、良心の呵責によって自白するような野暮な人間でないから、とうとういったんは有耶無耶に済んでしまい、私は平気の平左で大道を闊歩していたが、第二の女と同棲するに至って、すっかりその女のために、心をかき乱され、その結果、自分の罪があらはれて、こうした囚われの身となってしまったのである。その第二の女というのが、すなわち「烏を飼う女」であって、私はこれから、私が固く心の内に秘めていた罪を如何に、この不思議な女のために白状させられたか、その顛末を書き記そうと思うのである。

順序として、私はまず、第一の同棲者を殺した次第を簡単に述べておこう。あの美しい、あの可愛い女を、なぜ私が殺したかというと、一口に言えば、嫉妬のためである。私の嫉妬心は自分ながら呆れるほど強く、いわば、病的であって、彼女と某舞踏場で馴染んで、郊外の私の家(洋館)に同棲するようになってから、私は、彼女を一歩も外出させなかった。私もまた決して外出しなかった。彼女はそれを少しも不平に思わず、私たちの間には歓楽の日が続いたのである。

ところが、ある日私は彼女が誰かと手紙の遣り取りをしていることに気づいたのである。彼女には両親も兄弟もいないと見えて、誰一人訪ねても来ず、また、郵便配達夫も一度も来なかったが、それにも関わらず、彼女は何かの方法によって、誰かと文通をしているらしいことを私は知ったのである。私は彼女に向かって、手紙の主を打ち明けるように迫ったけれども、彼女は「そんなことはない」と言って取り合わなかった。しかし、私がなおも執拗に迫ると彼女は文通をしていることを肯定して「たとえ死んでも、これだけは打ち明けられない」と言った。私は何とかしてその手紙を手に入れたいと思ったけれど駄目であった。また、どういう方法で文通が行われているかを知ろうと思ったけれど、やはり駄目であった。私は一ヶ月に一、二度,深夜外出するだけであったが、外出の時はあらかじめ彼女に麻酔剤を飲ませておいたので、彼女はとうとう私が世に「紳士盗賊」と称せられる職業を持っていることを知らず、従って、私の留守の間に文通の遣り取りをするはずはなかった。(私が紳士盗賊であることは、警察の人々にも、この告白書によって初めて知れるのである)

私は彼女が秘密の通信を行っているかと思うと、言うに言えないほど深い嫉妬の情に燃えたのである。彼女の漆黒の髪、雪白の肌、涼しい瞳、温かい唇を自由にしておりながら、彼女の心を我ものにすることが出来ないかと思うと、私の彼女に対する愛情は、そのまま、憎悪の情に変わって行くのであった。

私は彼女によって「可愛さ余って憎さが百倍」ということわざを初めて体験したのである。時々私は、彼女が私の職業を突き止めるために女探偵として私の家に入りこみ、警察と秘密の通信を行っているのではないかと思ったが、いかに目的のためには手段を選ばぬとはいえ、身を任してまで探偵の職務を果たそうということは考えられないことであったから、私は彼女が別の男とラヴ・レターを取り交わしているのだと邪推してしまったのである。実際、今になって見れば、彼女は女探偵でも何でもなく、また、文通の主は「浮気男」ではなく、また、彼女が手紙の主を打ち明けなかった理由もわかって、私はひたすら私の邪推を恥ずかしく思っているのである。

日を経るに従って私の嫉妬の情は募った。いつ何時、彼女が私のもとを飛び出して、先方の男のもとへ走って行くかもしれないという恐れは、遂に私をして、永久に、完全に、彼女を我ものにしようと決心させたのである。永久に完全に我ものにするにはその生命を奪うよりほかに手段はない。こう考えた結果、ある夜私は彼女を絞殺して、防腐剤を施し、地下室に隣合わせた秘密室に棺を備えて、彼女を葬ったのである。

彼女の死んだことは誰にも知れないはずであるのに、彼女を殺してから四日目に、私は数人の警官の訪問を受けたのである。彼等はその後も二、三度令状を示して家宅捜索を行ったが、秘密室は私以外、何人も開けることが出来ないばかりでなく、その存在さえも気づかれないようになっているから、警官たちはいつも手を空しくして引きあげるよりほかなかった。

前にも書いたごとく、私には良心の呵責というものがなく、あれほど可愛がった彼女を殺しても、一度も夢に見たことがなかった。それかといって決して彼女を忘れたのではなく、時には秘密室に入って、彼女の死体に見入ることもあった。しかしながら、だんだん寂しくなって来るに従って、彼女の死体を見るだけでは満足出来ず、再び、かの舞踏場へ出入りするようになったのである。

この舞踏場は、古田男爵という若手独身の外交官の発起で建設されたものであるが、その古田男爵が、先日自邸の庭園を散歩しているとき、何者かに頸部を刺されて変死を遂げ、しかもその犯人が知れないので、舞踏場へ集まってくる人々の間には毎晩、男爵殺しが話題となり、ある者はその原因を痴情関係だと言い、ある者は外交関係だと言って、それぞれ勝手な憶測をたくましくするのであった。

ある晚-----それは私が女殺しを行ってから四十日ばかり経った時のこと------私は二、三の知己と古田男爵の死について語り合っていたが、ふと私は、私たちの傍を通り過ぎた一人の女の顔を見てぎくりとした。何となれば、その女の顔が、私の殺した女と生き写しであったからである。私は思わず立ち上がって彼女の後をつけて行くと、彼女は庭園に出て、とある木陰のベンチに腰を下ろしたので、私は不躾にも彼女の傍に寄って話しかけた。すると彼女もまんざら不愉快でもなさそうな様子をして私の言葉に相槌を打ったのである。

殺した女に生き写しの女を見るということは普通の人間にとっては気味の悪いことかもしれないが、私にとっては、殺した女に似ているということがかえって、彼女に対して言うに言われぬ懐かしさを覚えさせたのである。彼女は死んだ女よりも若く見えるようなところもあり、また、年取って見えるようなところもあったが、いずれにしても、まだ三十は越していないようであって、死んだ女と同じくチャーミングなところがあった。二、三度逢ううちに、どうやら彼女も私に愛着の心があるように思えたので、遂に私から同棲の話を持ち出すと、彼女は二つ返事で承諾してしまった。

不思議なことに彼女はその容貌が死んだ女に似ているばかりでなく、その境遇まで似たところがあるように思われた。と言っても、これは私の単に想像したことであって、彼女は両親や兄弟の有無を告げないばかりでなく、現在の住所さえ話すことを拒んだが、同棲した上は決して外出しないという条件を承諾したので私は彼女の身元を探るというような野暮なことをしなかったのである。そして彼女もまた、私に同棲者があったかどうかを聞きもせず、私の職業さえも知ろうとしなかった。

しかし、いよいよ同棲を承諾する前に、彼女は、

「わたしには、たった一つ、付きものがあるけどいいの?」と尋ねた。

私はちょっと、判断がつきかねたので、

「何?」と尋ね返した。

「生き物だわ」

「生き物? 犬? 猫?」

「いいえ違う。烏よ」

「烏?」と、私はびっくりして尋ね返した。「烏ってあの空を飛ぶ烏?」

女はにこりと笑った。「烏なら烏だわ。わたし烏が好きでたまらないから飼っているのよ」

烏を飼う人間があろうとは私も今まで知らなかった。私は平素烏をあまり好まなかったけれど、彼女が好きならば致し方がない、私は快く、烏を連れてくることに同意した。

そのあくる晩、彼女は私と同棲するために烏を連れてやって来た。烏は首に金環をはめられ、かなり大きな籠の中に飼われていたが、彼女を私たちの寝室へ案内するなり、

「カアー、カアー」と、老婆のようなしゃがれた声を出して二声鳴いた。私はぞっとしたが、彼女は烏を寝室へ置くといって聞かないので、その晩から、烏の籠は寝室の一隅に置かれたのである。

かくて同棲の第一夜が来た。ふと、真夜中に私は彼女の寝言によって目を覚ました。何を言っているのかわからなかったが、最後に彼女がかなり大きな声をして、

「アレー」と叫ぶと、それとほとんど同時に、隅の烏が「カアー」と一声鳴いた。

深夜の烏の声は気味の悪いものである。私はぞっとしたが、彼女は目を覚まさなかったので、私も間もなく眠った。

あくる日彼女は昨夜うなされたことについて何も言い出さなかったので、多分、知らずにいただろうと思って私も話さなかった。が、二日置いて三夜目に、彼女は何やらぶつぶつ寝言を言い始め、最後に、

「アレー」と叫ぶと、烏もまた「カアー」と鳴いた。

彼女はやはり目を覚まさなかったが、私は烏の声を聞いてからしばらくの間、寝付くことが出来なかった。

それから更に二日置いた三夜目に、また同じことが起こった。私は烏が「カアー」と鳴くなり、気味悪さに彼女を揺り起こした。

「ああ怖い!」と彼女は大いに目をむいて私の顔を見つめた。

「どうしたんだ?」と私は尋ねた。

「怖ろしい夢を見たのよ」

「どんな夢?」

私の問いには答えないで、彼女はただにこりと笑って私に抱きつき、私の胸に顔を埋めたが、間もなく軽いいびきの声が聞こえ、私もいつの間にか眠ってしまった。

あくる日、客間で、彼女に昨夜の夢の話をすると。彼女は寂しく笑って言った。

「夢って嫌なものねえ、あなた夢は見ない?」

「一度も見ないよ」

「まあ、いいことねぇ。わたしも夢を見ない人間になりたい」

こう言って彼女はなぜか沈んだ顔をした。

しばらく沈黙が続いた、とその時、寝室で「カアー」と鳴いたので、彼女は立ち上って寝室へ入って行ったが、長い間出て来なかったので、私も後から入って行くと、彼女は烏を手に抱いて何か噛んでは、口から口へ食べさせていた。私はその姿を見て、ぞっとしたが、

「何を食べさせているんだい?」と聞くと、

「フクロウの肝よ。あなたも食べさせてやってちょうだい」と言いながら、紙に包んだ、干からびた黒褐色のものを差し出した。私は気味が悪いので頭を横に振って立っていると烏はじっと私に目を据えた。たとえそれが烏であっても凝視されるということは嫌なものであるから、私は逃げるようにして寝室を出た。

それから二日過ぎて三夜目に、彼女は例の如くうなされたが、今度は寝言の終わり際がはっきりわかった。

「わたしが悪かった、義麿さん、堪忍して、よう。ああ、怖い、アレー」

途端に烏が「カアー」と鳴いた。と、同時に、彼女はむっくりベッドの上に起きあがり、大きな眼をパチリと開いて、私の顔を見つめた。

「どうしたどうした、おい、夢だよ」と私も起き上がって彼女を慰めた。

彼女はしばらくの間、息をはずませながら、ぼんやり空間を眺めていたが、やがて、とぼけたような顔をして、

「私、何か言って?」と尋ねた。

「・・・・・・」

「ねえ、ちょっと、わたし今、何か言ったの?」

「何も言いやしないよ」

「いえ、確かに何か言ったわ、ねえ、話してちょうだい」

私はそれを話す元気がなかった。

「何だかよくわからなかったよ。まあいいから、寝よう」

彼女は素直に横になった。

それから二日過ぎて三夜目に、彼女は例の如くうなされた。

「わたしが悪かった、義麿さん、堪忍して、よう、ああ、怖い、アレー」

途端に烏が「カアー」と鳴くと、彼女はむっくり起き上がり、何を思ったか急にベッドから飛び下りて、烏をめがけて駆け出そうとしたので、私は慌てて彼女を引きとめた。引きとめられて彼女ははっと我に返ったらしく、しばらくあたりを見回していたが、

「まあ、わたしどうしたんでしょう?」と尋ねた。

「夢を見たんだよ」

「夢を? ではわたし、何か言いやしなかった?」

「何も言いやしないよ。早くおやすみ!」

「確かに何か言ったわ、ねえ、話してちょうだい」

「まあ、いいからおやすみ!」

「いいえ、話して下さらなきゃ、わたしもう寝ない」彼女は真面目な顔をした。

「それじゃ、明日の朝話してあげるから、今夜はおやすみ!」

彼女は素直にベッドに上がって、間もなく、すやすや寝入った。しかし、私はいつものように眠れなかった。私は彼女が寝言の中にはっきり言った「義麿」の名が、何となく気にかかったのである。義麿という男は何者か? なぜに彼女はその男に堪忍してくれと言ったのか? 義麿がなぜ怖いのか? 私は彼女が何か深い秘密を持っていると推察し、その秘密をどうかして知りたいと思い始めた。

第一の同棲者には「手紙」の秘密があった。今、また第二の同棲者には「寝言」の秘密がある。私はよほど「秘密」に縁が深い人間だと思うと同時に、何となく嫉妬の情に駆られるのであった。私はどうしても彼女の秘密を知らねばならない。

あくる朝、食後に、私は突然、

「お前、義麿という人を知っているかい?」と尋ねた。彼女はサッと顔を蒼くした。

「まあ、どうしてそんなことを言うの? わたし、夢にでも喋ったかしら」

「うむ、義麿さん堪忍してちょうだいと言ったよ」

「あら、そんなことを言ったの、おかしいわねえ」彼女は強いて作り笑いをしたが、その手はぶるぶる震えた。

「義麿って誰だい?」

「そんなこと聞かないでちょうだい、昔のことはお互いに聞かないという約束じゃないの」

そう言われれば致し方がない。私は無理に口をつぐんだけれども、心は少しも落ち着かなかった。そしてますます嫉妬の情が募るのを覚えた。

それから二日過ぎて三夜目に彼女は例の如くうなされた。

「ああ、怖い、義麿さん、堪忍してちょうだい! 私でないわよ。殺したのは烏だわよ。ああ、怖い、アレー」

途端に烏が「カアー」と鳴いた、彼女はむっくり起きてベッドを飛び降り、烏の方へ走り出したが、私に引きとめられた。

「離してちょうだい、烏が悪いんです。これから烏を殺すんです」と彼女は夢中で口走ったが、急に我に返って、にこりと笑った。「あら、わたし、また飛び出したの? わたし今、何か言ったの?」と、とぼけて尋ねた。

度重なる彼女の「うなされ」に、私の神経はだんだんイライラして来た。私は思わずキッとなって「今夜こそはもう言わさずにはおかない」と、言いながら、彼女の身体をグッと引き寄せた。

私があまりに真面目な顔をしたためか、彼女は死人のように蒼ざめて言った。

「おお怖い! そんな顔をしては嫌よ。どうぞ、何も聞かないでちょうだい。これを話すくらいなら、私は死んでしまう」

その様子がいかにもしっかりしていて、しかもいじらしかつたので、私は黙って彼女を許して寝させたが、彼女が再び眠ったのにも関わらず、私は朝まで一睡もしなかった。

その翌晩も翌々晩も、彼女はうなされなかったけれど、私は眠られなかった。彼女の秘密と烏の鳴き声とは私の心をかき乱した。嫉妬の情はいよいよ激しくなった。ともすれば私は、彼女も第一の女と同じ運命になるのではないかと思った。そして私の心は、いつしか決定していたのである。彼女に秘密を打ち明けさせるか、さもなくば第一の女のように・・・・・・。

私がそういう恐ろしい心になったとき、彼女が先夜うなされてから三夜目が来た。果たして、夜中に彼女の寝言は始まり、最後に、

「ああ怖い、義麿さん、堪忍してちょうだい、私でないわよ、殺したのは烏だわよ。離してちょうだい、烏を殺してくるから」

と言ったかと思うと、彼女はむくり起きて、何を思ったか私に飛びつき、私の首を絞めにかかった。

私ははっと思って彼女の手を握り、力強く揺すったので彼女は我に返った。

「あら、わたしどうしたんでしょう」

私はもう堪忍袋の緒を切らした。今夜こそは彼女に白状をさせるか、さもなくば、彼女を殺してしまおうと決心した。

私は彼女の手を強くつかんで言った。

「さあ、もう、何もかもお話し、話さねば殺してしまうよ」

「まあ、怖い!」と言って彼女は私を見上げた。「どうぞ堪忍して頂戴!」

「いや、いかん、言わねばこの通りだ」

私は彼女の首に腕を巻いて、ぐっと絞めにかかった。

「アレー」と彼女は叫んだ。

途端に「カアー」と烏が鳴いたので、私は思わず手をゆるめた 。

「話さなきゃ、本当に殺すつもり?」

「うむ」

「じゃ、話すわ」

「話すか?」

「けれど、どんなことを話しても、わたしを裏切ったり棄てたりしちゃいけないのよ」

「決して」

「そう? きっと?・・・・・・実はねぇ、わたし人殺しをしたのよ」

「そうか」と私は、さほど驚かなかった。

「けれど、自分で殺したのではないのよ。あの烏を使って殺させたの」

「烏?」と、私はいささかびっくりした。

「そうよ、私を棄てた、憎い男を、烏に殺させたのよ。あの烏はねえ、私の言いつけることなら、どんなことでもするの」こう言って彼女は烏の方を眺めた。

烏は籠の中でじっとしていたが、こちらを見つめている目はぎろりと光った。

「その男が義麿という名かい?」

「そうよ。あの烏はよく人を覚えているの。義麿はわたしと同棲していて、よくこの烏を抱いたわ。だから烏はよく覚えていて、私が義麿を殺して来いと命令したら、義麿が庭園を散歩してるところを、頸動脈をつつき切って殺して来たわ。警察の探偵も、まさか犯人が烏だとは思わないから、とうとう事件は迷宮に入ったわ」

「それじゃ、義麿というのは古田男爵・・・・・・」

「しっ!」と彼女は手をあげて私を制した。

「でも古田男爵の名は義麿では・・・・・・」

「ないわ。義麿と言うのは私だけが呼んでいた名前よ」

「で、毎晩、その夢を見るんだね?」

彼女はうなずいた。

「それなら、なぜ、義麿さん堪忍してくれと言うんだい?」

「そんなこと夢だもの、何を言うか知れやしないわ」

私は彼女が憎い男を殺しておきながら、なおかつその男が忘れられなくて、心にすまないと思っているから、ああした寝言を言うのだろうと思った。

私がそんな、とりとめのないことを考えているのを見て、彼女は言った。

「あら、どうしたの。わたしが人殺しをしたので厭気がさしたの?」

「いや、そうじゃない」

「いけないいけない。あなたは私に急に厭気がさしたんだ。きっとわたしを棄てるんだ。ああ、くやしい」

こう言ったかと思うと彼女は矢庭にベッドを走り降りた。

「どこへ行く?」と、私は彼女を引き留めようとしたが遅かった。彼女は烏を籠から取り出して私の傍へ戻って来たが、電燈の光に照らされたその姿は物凄かった。

「いいわよ。わたしにはこのお友達があるから。もし、私を棄てるならあなたもこうしてあげる」

あっと思う間に烏はその堅いくちばしを以て、私の脳天をコツンとついた。

「よせっ!」と私は思わず、身を引くと、彼女はにやりと笑った。

「わたしを棄てるなら、いつでもこうしてあげる」更に彼女は烏を私の頭に近づけた。

「よさないか!」私はベッドを飛び降りた。

「だって、あなたはわたしを棄てるんですもの」

「棄てやしない!」

「いいえ、棄てるに決まってる」

「違う」

「嘘だ、嘘だ」こう言って彼女は更に私に近づこうとした。

「よせってば、その烏だけは堪忍してくれ」

「だって」

「いや、決して棄てはしない」

「口ばっかり」

「本当だ!」

「その証拠がないわよ」

「いや、ある」

「どこに?」

「俺も人を殺した」

「作り事だわ。私が人殺しを白状したから、気休めにそんなことを言うんだわ」

「本当だよ」

「だって、その証拠がない」

「あるよ」

「見せてちょうだい」

「よし、一緒に来い」

私は懐中電燈を持って彼女を地下室に案内し、そして壁の一部分に備えつけてあるボタンを押すと秘密の部屋が現れた。

「証拠はこれだよ」

私は秘密室の一隅に置かれた寝棺の蓋を取った。防腐剤の匂いがプンとした。

「カアー」「カアー」と二声鳴いて、烏は彼女の手を離れて死体の上に飛び下りた。

彼女は黙って烏を抱き上げ、死体を横目で睨んで言った。

「まあ、頼もしいわねえ」

「納得出来たかい?」

彼女はうなずいた。

私たちは秘密室を去って、再び寝室へ帰った。その時分にはもう夜は大方明けていたが、私は彼女とベッドに腰かけて、女殺しの顛末を語った。私の話を聞き終わった彼女は、

「わたし、すっかり安心したわ。あなたの心を疑ってすまなかった。これで二人はいつまでも仲よく暮らせるわねえ。もう、この烏もいらなくなったから逃がしてやるわ」

と言いながら、彼女は窓に近づいて、烏を大空に放してやった。彼女はしばらく、名残り惜しそうに烏の行方を見ていたが、急に顔色を変えて、

「ああ、わたし、どうしよう。あの烏を逃してはわたしの罪がばれてしまう」と、身を震わせた。

しかし烏は一時間ほど経って戻って来たので、彼女は胸を撫でおろして安心したらしかった。

ところが、それから二時間ほど過ぎると、私の家の前が急に騒々しくなった。彼女は早くも窓から様子を見て、

「ああ、大変、わたしの罪が知れたわよ。警察の人が私を引っ張りに来た。早くどうかして下さい」と顔色を変えた。見れば、なるほど私服の警官らしい男が二、三人しきりにベルを押している。私はとりあえず、彼女を地下室へ連れて行き、秘密室のボタンのありかを教えて、秘密室に隠れるように命じ、すぐさま引き返して、表の扉を開けると、あっという間に、私の腕に手錠がはめられたのである。

 

×        ×        ×

 

読者諸君、私がこの告白書の始めに書いた如く、私が決して白状すまいと思った女殺しの秘密は、かくして「烏を飼う女」のために、動かぬ証拠まで提供して、まんまと、白状させられてしまったのである。読者諸君はもう、お察しであろうと思うが「烏を飼う女」こそは、私が殺した女の妹であって、私に姉殺しを白状させる目的で私に接近し、遂に「寝言」のトリックによって、みごとにその目的を達したのである。

ここまで書けば、後はもう多くを語る必要はない。二人の姉妹は由緒ある家に生まれたのであるが、事情あって孤児となり、妹は遊女に身を落としていたため、姉は、それを恥じて、かの秘密の手紙の相手が妹であるにもかかわらず、私に打ち明けなかったのである。二人は烏を使って、首環に手紙を結んでは文通していたのであるから、私に知れようはずはなかったのである。烏は妹のもとに飼われていたが、もと、彼女たちの父が可愛がって育てたものであって、伝書鳩などよりも遥かに賢く、一度フクロウの肝を噛んで食べさせてくれた人を決して忘れずに、もし空に放してやるならば、その人が、どこにいようとも必ず訪ねるのであった。

姉が妹の手紙に返事をしなくなったとき、妹はすぐさま警察へ訴えたので、警官は私の家に捜索にやって来たのであるが、証拠が見つからなかったために、主任の刑事は妹に勧めて私と同棲し、狂言によって私に白状させるように事を進めたのである。彼女は姉の復讐のために、喜んでその役を引き受け、楼主の承諾を得て、烏と共に私の家に棲み込んだのである。

古田男爵を殺したなどということはもとよりいい加減な作り話で、当時評判の事件だったから、それをだしに使ったのに過ぎなかった。彼女が私の家に住みこむ前日、刑事は自らフクロウの肝を噛んで烏に与えたので、私が女の死体を見せた朝、烏は空に放たれて、まっ先に刑事を訪ねたのである。あらかじめ首環に仕掛けをして、私の自白の合図や刑事の承諾の合図が打ち合わせてあったため、刑事はすぐさま警官を派遣し、彼女は烏が帰って来たときに首環を見て警官が来ることを知ったのである。

前にも書いたように、女探偵が身を任せてまで、その職分を尽くすということはちょっと考えられないことだと思っていたので、私はつい気を許してしまったのである。それにあの烏という鳥が、少なからず私の心をかき乱したため、とうとう、女の巧妙な仕草に釣り込まれて、まんまと罠にかけられたのである。それにしても、このような大仕掛けのトリックを考え出した刑事の頭と、三夜目ごとに根気よくうなされる真似をして、ぐんぐん私を深い穴へ引きこんで行った女の腕には、今なお感心せざるを得ないのである。

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