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更新日:2021年10月30日公開 印刷ページ表示

通夜の人々(大正14年発表)

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この物語は、愛知県下で突発して迷宮に入った、ある犯罪事件を骨子として作ったものであって作者はこのような事件の探偵の際、どんな空想が許されるかということを描いて見たかったのである。

そして、仮想の探偵をして、事件を円満に解決させるために勝手に他の事件を捏造したけれども、出来るだけ事実に近づける目的で、名古屋で発行されるN新聞の記事を、ほとんど原文のまま引用することにした。

それゆえ、この物語の始めの部分は、少々読みづらいかもしれないが、しばらく辛抱して下さって、読者諸君も各自に作者とは無関係に、適当な解決を考えて見られることを望むのである。

 

(一)

 

「やっぱり春だ!」

野々口雄三は書斎で新聞を読みながら、眉を寄せて思わずつぶやいた。

彼が名古屋の鶴舞町に私立探偵事務所を開いてから、まだ一年にもならないが、その名は日本全国に知れ渡り、名古屋付近はもちろん、東京へも大阪へも招かれて、警察が迷宮に入らせた難事件の数々を解決した。

探偵事務所などは東京か大阪に設けた方がよさそうであるにもかかわらず、彼が名古屋を選んだのは、東西に活躍するのに便利なためであって、彼の抱負のほども窺われるが、一つには、名古屋は彼の故郷であるからでもある。彼はまだ三十歳の独身の青年で、東京大学法学部を出るなり警察講習所の講師となり、昨年辞職して私立探偵になったのである。家は二人の書生と一人の女中との四人暮しで、その外には何の係累もない気楽な身分である。毎朝彼は六時に起きて八時までその日の新聞を見るのが常であるが、今、彼は、新聞の三面記事の中に、自殺や殺人の報道が多いのを見て、これも、春という気候のなせる所だろうと考えたのである。

今年は余寒が厳しく、三月の半ば頃まで、時々雪のちらつくことがあったが、彼岸が過ぎてからは急に暖かくなって、新聞には、東別院や練兵場の桜がちらほら綻びかけたと報じられていた。しかし彼は花のたよりには何の興味も持たなかった。平素彼は犯罪に関係したことなら、どんな短い記事でも切抜帳に貼って研究を怠らなかったが、ことに先月来、彼の気にかかっていた事件があるので、その方に心を奪われて、花どころではなかったのである。

彼の気にかかっていた事件というのは、名古屋から西へ、三里ほど離れた蟹江という町に起こった二つの悲劇である。その一つは娘が女学校の入学試験に不合格であったため、その母親が自殺したこと。

もう一つはその二日後に起こった三人斬り事件である。今年は日本全国を通じて入学試験のために起こった悲劇が少なくなかった。東京の某文学者の息子は高等学校の入学試験に落第して自殺した。山陰道のある町では、娘が女学校に入れなかったからといって自殺した両親がある。このほかにも同様の悲劇が沢山あったけれど、いずれも遠い所の出来事で、野々口はただ現代の学校教育の弊害を痛憤したばかりであったが、同じ悲劇が近くの蟹江に起こったと知った時には、一歩進んで、深くその母親の心理研究がして見たいと思ったところが、その二日の後に同じ町に三人斬りが突発し、しかも一日と経ち二日と過ぎても犯人が知れないので、新聞は自殺事件の方はそっちのけにして、ひたすら三人斬りについて書きたてるようになり、野々口もいつしかその方に興味を持つようになったのである。

 

三人斬り事件は、蟹江屈指の人物・吉田吾平氏の分家に起こった悲劇であって、吾平氏の娘と、母と、孫の三人が何者かに斬られ、娘の亭主が有力な犯人嫌疑者として捕えられた事件である。今朝の新聞によると、物的証拠が挙がらないために、事件は迷宮に入りかけたと記されてあるが、被害者のうち母と孫とは四日間医師の手当を受けたけれども、遂に意識を回復することなく、昨日午後、相前後して死んだと報告されていた。

「先生、お客様でございます」

書生の佐治が一枚の名刺を持って入って来た。野々口は名刺の文字を見てはっと思った。名刺には「吉田吾平」と書かれていたからである。

「お通し申せ」と野々口は言った。

入って来たのは、羽織袴の上品な五十五、六の紳士であった。一通りの挨拶がすむなり吉田氏は心配そうな顔をして言った。

「もはやご承知でもございましょうが、私は蟹江の三人斬りの起こった家の本家のもので、母と孫は昨日とうとう亡くなりまして、娘は昨夜の一時頃まで生きておりましたが、やっとその時分、少し正気づいたようで、警察の人が尋問しますと、犯人は亭主だと申したそうでございます・・・・・・」

「え? それは本当ですか? それから何か詳しいことでも話されたんですか?」

「ただそれだけ話してすぐ死んだそうでございます。私は母や孫の遺体の始末をするのに忙しくて、その場にはおりませんでしたが、始めから婿を犯人だと決め込んでいた警察では、それ見たことかと騒ぎ立てました。けれど私は婿の性質をよく知っておりますが、決して人殺しをするような人間ではありません。ですから、これには何か深い事情があるに違いないと思って、あなたに探偵していただこうと、お願いに参ったのでございます」

「承知致しました。実は今、新聞でご亭主に対する物的証拠が挙がらないということを読みましたが、斬られた奥さんがご亭主だとおっしゃったら、警察はそれを唯一の証拠とするかもしれません。では一応新聞記事を読み上げますから、間違っているところがあったらおっしゃって下さい」

こう言って野々口はスクラップ・ブックを開いて第一報から順に読んだ。

 

第一報

「今朝県下蟹江町で牛乳屋の三人斬り」

 (蟹江電話)二十三日午前五時頃、県下海部郡蟹江町六十五番地牛乳搾取業 吉田英三郎(三八)方へ何者か忍び入り、中の間の八畳で就寝中の英三郎妻とみ(三四)を手斧を以て斬りつけ、顔面頭部に重傷を負わせ、続いて傍に寝ていた長男太郎(九)、とみの祖母さい(八三)を滅多斬りに斬りつけ、いずれにも瀕死の重傷を負わせて立ち去った。英三郎は当時丁度牛乳配達のため不在であって、次女よし子(二)は母親の懐に寝ていたので難を逃れた。遺恨の刃か強盗のしわざか判明していないが、所轄の蟹江署では、急報とともに非常線を張り、現場捜査を行ったが、右惨劇をいち早く目撃したのは、同町加瀬十次郎方同居で同家の出入男である三河生まれの木村藤次郎で、どうも同人の挙動を怪しいと見て、目下引続き警察に留置し厳重に取り調べを行っている。

 

「噂の三角恋愛、原因いろいろに憶測さる」

なお本稿締切までには原因、加害者等不明であるが、一説には亭主の英三郎が先年、とみの実妹ふで(当時二十一歳)と、三角恋愛に陥り北海道へ駆け落ちしたことがあって以来、夫婦仲には面白からぬ風説もあったので、あるいはこれで英三郎が怪しいという噂もあるが、英三郎は事件発生後直ちに帰宅して自宅に引きこもり失神したようになっているということである。ちなみに吉田家は蟹江屈指の人物・吉田吾平氏の分家で、危篤の祖母さい(八三)は氏の実母であるから、吾平氏の邸は見舞客で一ぱいである。

 

「検事刑事課長一行急行す」

事件突発とともに名古屋地方裁判所よりJ予審判事、S検事、N本県刑事課長、O警部補以下、現場に出張した。

 

第二報(蟹江町三人斬りの詳報)

「犯人は亭主か、厳重に取り調べられる」

蟹江三人斬り事件について更に探聞する所によると、凶行に用いた手斧は現場に投げ捨ててあって、犯人はまだわからないが、右犯人は二十三日午前五時頃、吉田英三郎方の表から押し入り、まず仏間に寝ていた英三郎妻とみの顔面及び頸部数か所に斬りつけ、その物音に眼をさました長男太郎の頭部面部に重傷を負わせ、それより奥の納戸に踏み込んでとみの祖母さいの顔面を滅多斬りにして裏口からとび出した。これより先、主人英三郎、妻とみ、雇人酒井某の三人は、平常通り午前四時頃に起きて配達用の牛乳を瓶につめ、四時半頃英三郎と雇人とは配達のため家を出て行き、とみはそれから再び寝床に入った。凶行はそれより三十分後に起こったものであるが、同家表戸の鍵は右事情でかけていなかったものらしい。やがて六時頃に至り、同町本多精米所の主人が、英三郎方へ注文の麦糠を持参して椿事を発見し、付近の加瀬十次郎方雇人木村藤次郎(六一)と共に屋内に入り、三人が血まみれになってうめいているのを見て直ちに警察署に急報したので、蟹江署では署長以下署員を挙げて活動し、検事、刑事課長の出張となり、午後四時頃、主人英三郎及び数名の人々は参考人として召喚されたが、既報の如き三角恋愛関係で、英三郎が最も厳しく取り調べを受けた模様である。英三郎は獣医の免状を所有し、十三年前吉田吾平氏の婿養子となり、とみと結婚し、その後現在の所に分家して牛乳搾取業を始めたもので、かつて一度、町会議員となったこともある。ちなみに被害者三人は附近の鈴木病院に収容されて手当を受けたが、子供の太郎だけは一命を取り止めるであろう。

 

「原因は痴情」

S検事、N刑事課長一行は午前零時引き上げたが、刑事は八方に飛んで情報の収集に奔走している。主人吉田英三郎ほか二、三名のものは、遂に帰宅を許されなかったが、英三郎と三角関係を噂されたとみの実妹ふでは数年前に他に嫁いで子まで設け、今は英三郎とはまったく無関係であることがわかった。しかし被害者の家では何も無くなっていない点から考えて、強盗のしわざとは思えず、原因はやはり痴情にあるらしい。

 

第三報

「九分九厘まで亭主が犯人、雇人の酒井と共に取り調べ中」

蟹江三人斬り事件の犯人は九分九厘まで被害者の一人、とみの亭主吉田英三郎らしく同人は二十三日朝以来蟹江署に留置され、二十四日もS検事の取り調べを受けた。雇人酒井は近郷の者で、常に主人と早朝牛乳配達し、二十三日の朝も英三郎と一緒に家を出て、別の方面に牛乳を配達した。同人も嫌疑者の一人として留置されている。

第五報

「犯人は果して亭主英三郎、手を下したのは藤次郎」

蟹江三人斬り事件につき当初有力な嫌疑者として逮捕した同町加瀬方雇人木村藤次郎及び被害者方の主人英三郎に対し、S検事は厳重に取り調べていたが、その結果遂に犯行を自白したらしいので、二十五日午前、令状を執行され、両人は刑務所に収容された。探聞するところによると、吉田家は最近家庭に波風絶えず、夫婦喧嘩なども珍しくなかったそうで、ちょうど凶行の前夜すなわち二十二日の夜も夫婦の間に口汚い罵り合いが繰り返され、就寝したのは夜も遅かったというが、英三郎が殺意を持ったのはかなり以前の事の様に思われる節がある。夫婦間に破綻を生じた原因については、既報のように妻とみの妹ふでと英三郎をめぐる三角関係と、二つには英三郎が、とみ名義の財産に目をつけたためと言われているが、いち早く凶行現場を発見したという藤次郎が警察における取り調べに対して言動曖昧であり同人の着衣に血痕が附着していたので、こいつがテッキリ犯人だと目星をつけるに至ったものらしい。しかし養子英三郎は自ら手を下すことを避けて何食わぬ顔で当時配達に出かけ、留守中に藤次郎を忍ばせて凶行を演じさせ、事実を隠そうと犯人が他から来たもののように装ったものらしく、藤次郎と英三郎は日頃からただならぬ親しい仲であったという。

 

第六報(三月二十七日掲載)

(これが今朝の新聞に出ている所で、野々口はスクラップ・ブックを脇へやって、新聞を読んだ)

「真犯人は誰か。蟹江、三人斬り迷宮」

既報のように、英三郎、藤次郎の両名は三人斬りの犯人として刑務所に収容されたが、果してそれが事実であるか、その附近の人々は疑いを抱いている。警察は二、三十名の証人を呼び出して取り調べたが、誰一人両人を悪く言うものはなく、両人共平素は虫も殺さぬ男だという評判であった。しかし凶器、時間すべてのあたりの事情から察して、両人に対する嫌疑は免れないので、警察でも証拠の収集につとめたが、不幸にして、物的証拠はすこぶる貧弱で、何一つ目星しいものが見つからなかった。しかも頼みとする凶器の指紋は、検死以前巡査たちが無暗に触ってしまったため不明になっているということである。こんな訳で、たとえ両人が真犯人としても彼等がどこまでも自白しないとすると、事件落着を見るまでには相当の日数を要するかも知れない。更に一面には、いかに英三郎が鬼のような恐ろしい人間でも、血肉を分けた我子を殺すようなことは出来ないとともにまた、当日の牛乳配達についても精細に取り調べたところ、一軒も漏れなく配達してあるし、また八時半まで、井上機織会社で冗談を言って話していたということである。なお財産云々の関係から言っても営業名義こそ女房とみであるが全財産は戸主として立派に保持されているため、欲の上の凶行とは思えず、また痴情説も既報のようにすこぶる薄弱である。次に藤次郎は大正元年加瀬方の百姓男として抱えられ、それ以来十三年間一度も不正なことはなかったということである。こう書いて来ると彼等両名はこの犯罪に無関係だということになり、事件は文字通り迷宮に入った。

 

「老母と太郎絶命」

三人斬り被害者のうち、老母さいは昨日午後二時、長男太郎は午後六時、手当の甲斐もなく鈴木病院で絶命したが、とみの容態も楽観を許されないと言われている。

 

(二)

 

「だいたいその通りです」と野々口が読み終わるなり、吉田氏は言った。「実際そこにも書いてありますとおり、英三郎が下手人たる理由は何一つ無いのです。血のかかったものを三人まで失った私ですから、婿を憎んでしかるべきかも知れませんが、私は決して婿が犯人だと思いません。ところが警察では始めから婿が怪しいと思い込んでさんざん責めつけたらしいです。けれど英三郎が自白する訳はないです。で、私も、そのうちには放免されるだろうと安心しておりましたが、娘が臨終に、犯人は亭主だと言ったと聞いては、もうじっとしておれず、こうしてお願いに来たのでございます」

「そうですね。臨終の言葉というものは聞きにくいものですから、警官が聞き違えたのではないでしょうか。その時、お医者さんは立ち合いませんでしたかしら?」

「何でも番に来ていた巡査が二人、外のものを皆しりぞけて尋問したそうです」

「新聞では、はじめ三角関係のことをしきりに書いておりますが、実際はどんな有様ですか?」

吉田氏は少し顔を紅くして言った。 「それはずっと昔のことです」

「時々夫婦喧嘩をなさったということも嘘ですか?」

「そんなことは滅多になかったようです。けれど、新聞にも書いてあるように、事件の起こる前の晩には、いさかいをしたそうです」

「誰からお聞きになりましたか?」

「雇人の酒井からです」

「何のことでいさかいをなさったのですか?」

「酒井は離れの下男部屋にいたので、よくわからなかったといいます」

「英三郎さんにお聞きになりませんでしたか?」

「聞いて見ましたが、つまらぬことだと言って話しません」

「ふむ」と野々口は固く唇を結んで考えた。

「で、亡くなった三人の葬式はいつなさいますか?」

「明日出すことに許可を得ました」

「すると今晩はお通夜ですね?」

「そうです」

「それじゃ沢山の人が集まる訳ですね。そりゃ大へん都合がよいです。今晩私も通夜に行かせていただきましょう。が、これから英三郎さんにちょっと会って来ようではありませんか・・・・・・」

電話で裁判所へ問い合わせると、ちょうど今英三郎の尋問が行われているということであったので、野々口は書生に命じて自動車を呼ばせ、洋服に着替えて吉田氏と共に裁判所に向かった。

裁判所に着いたのは九時半であったが、英三郎の尋問は長びき、十二時近くになって、しばらく会うことが出来た。彼はいま三人の死を聞かされ、妻の臨終の言葉を聞かされて来たのである。

吉田氏が野々口探偵を紹介すると、英三郎の眼には涙がたまった。

「お察し致します」と野々口は言った。

「どうか気を引き上げていて下さい、僕はできる限りのことを致しますから。で、お疲れのところをはなはだお気の毒ですが、僕にも少し尋ねさせて下さいませんか。吉田さんのお話によると、事件の起こる前の晩、奥さんといさかいをなさったそうですが、何がもとでいさかいをなさったのですか?」

英三郎は下を向いたまま黙っていた。

野々口は言葉を続けた。「警察ではきっとそれを痴話喧嘩と解釈しているのでしょう。痴話喧嘩なら痴話喧嘩でよろしいが、それだからといって、僕は必ずしも痴情を凶行の動機とは認めません。可愛い我子を殺すというようなことは尋常一様の動機では出来ないことです。お子さんの霊を慰めたいと思われたら、是非あからさまに話して下さい」

英三郎の目から二、三滴の露が落ちた。

「太郎が生きている間は言うまいと思いましたが、それではお話ししましょう」

「では、太郎さんのことでいさかいなさったのですか?」

英三郎は軽くうなずいて伏目がちに語った。

「実はあの晩、太郎の学校用具の中に五圓紙幣が入っていることを家内が見つけたのです。子供にとって五圓は大金です(※現在の価値で約四千円)。それゆえ家内はどうして持っているのかと太郎をとがめました。今まで一度も親の言うことに反抗したことはありませんのに、その晩に限って、太郎はどうしてもそれを言いませんでした。すると、家内はどこかで盗んで来たのだろうと言って、しまいには家内までが泣き出して大騒動になりました。自分の子を褒めるのもおかしいですが、太郎は小学校で、いつも優等でして、品行にも悪いところは少しもありませんでしたから、何か事情があるだろうと、おだやかに私は尋ねましてもやっぱり言いません。あげくの果てに、太郎は、明日になったら貰った人に返して来るから堪忍してくれと申しました。それを聞いた家内は、それどうだ、やっぱり盗んで来たのだと泣きしゃべり、しまいには夫婦同士の喧嘩になりました。ようやく祖母が仲裁に入ってひとまず収まったのですが、太郎がどうして五圓紙幣を持っていたかはとうとうわからずじまいです」

「そうですか、それではやっぱり痴話喧嘩ではなかったのですね。それにしても奥さんが犯人はあなただとおっしゃったのはどういう訳でしょうか?」

英三郎は少しも顔色を変えずに言った。「本当のことでしょうか? 私は始め検事が鎌をかけていると思いましたが、藤次郎さんが放免されたところを見ると、本当かとも思ったです・・・・・・」

「藤次郎さんは放免されたか?」と吉田氏が尋ねた。

「今朝一緒に呼び出されたのですが、九時頃に帰ってもよいと言われたらしかったです。あの人にも罪はありません」

「で、今度のことについて、あなたは誰か犯人の心当たりはありませんか?」と野々口が尋ねた。

「さっぱりありません」

「ありがとうございました。これから僕は吉田さんと、お宅へ伺って取り調べようと思うのです・・・・・・」

吉田氏はそれからしばらく英三郎と葬式の話などをし、やがて野々口と共に自動車に乗った。野々口は自動車が市街を離れるまで、目をつぶってじっと考えていたが、急に思い出したように、吉田氏に尋ねた。

「蟹江にこの頃、娘さんが入学試験に失敗したというので首吊った母親がありましたですねぇ?」

「ええ、佐藤了蔵さんの奥さんです」

「何とかいう名でしたねぇ?」

「つねさんと言いました」

「自殺するような人でしたか?」

「ええもう、評判のヒステリーで、近頃はこれが高じていた矢先、娘さんがあんな風でしたから、死ぬ死ぬといって近所にふれまわっていたくらいです」

「そうですか? 佐藤さんのお宅は、英三郎さんの所と離れていますか?」

「いいえ、つい近所です」

自動車は庄内川、新川を経て、田舎の街道を走った。空は美しく晴れ渡り、遥か西北に当って、多度山、養老山、伊吹山などが紫色に染まって、起伏していた。野々口は道の両側の田んぼに目を落としながらじっと考え込んだ。

「どうでしょう。あなたの見込みは?」と吉田氏は尋ねた。 

「そうですね。奥さんの臨終の言葉が問題ですよ。それがわからなくてはこの事件の解決は難しかろうと思います」

こう言って彼は急に乗り気になって喋り出した。「いったい近年になって、よく幾人斬りという事件が起きますが、その動機は痴情か物盗りか、遺恨かの三つでして、僕の統計によりますと、犯人の年齢は二十四、五歳から三十六、七歳の者が一番多く、しかも犯人は、被害者の家の勝手をよく知ったものです。斧で幾人も人を殺すには相当の力が要るものですから、六十越した藤次郎さんを犯人と見なすのは適当じゃありません。さて、英三郎さんは三十八歳ですから犯人と見なしても差し支えのない年齢です。しかし警察では年齢のことなどは考えないで、動機の方ばかりから英三郎さんを犯人と見なそうとしたのです。いかにも、物盗りでもなく、遺恨でもないとすると痴情と見るよりほかはありません。しかも物的証拠が何一つ挙がらないのですから、警察の人々は何か痴情に関係のある事情はないか、英三郎さんが犯人だという証拠はないかと、そればかりに心を注いでいたのです。ですからもし奥さんが臨終に何かおっしゃったのなら、犯人は亭主だという風に聞き違えたのではないかと思うのですが、とにかく、今のところ、少し見当がつきません」

 

(三)  

 

裁判所を出てから四十分ほど経って、自動車は凶行のあった英三郎の家に着いた。一軒家というほどではないが、隣とはかなりに離れているから、犯人の出入りが人々に気付かれなかったのも無理はないと思われた。野々口は家の中へ入る前に周囲を一まわりして、裏の畑の方まで調べたけれど何一つ証拠になるようなものは発見されなかった。

家の中には親戚や附近の男女が沢山集まっていて凶行の現場もきれいに掃除されていたから、手がかりはさっぱり得られなかった。

仏間には三個の寝棺が置かれてあったので、野々口は吉田に頼んで人々を遠ざけて、死体を検査させてもらったが、傷口にもこれという特異な現象は認められなかった。納戸の方で幼子がしきりに泣いている声を聞いた野々口はそれが生き残った二歳の女児であろうと思ってほろりとさせられた。

彼は雇人の酒井を始め、今日放免されて来た藤次郎、その他手伝いの誰彼となく尋問したけれど、新聞に書いてある以上のことを聞き出すことが出来なかった。人々は口を揃えて英三郎の潔白を主張し、とみが臨終に「犯人は亭主」だといったのは、恐らく正気ではなかっただろうと解釈した。

野々口はすっかり閉口してしまった。物的証拠は何一つなく、犯罪の動機もさっぱりわからない。凶器の斧は官憲の手にあるけれど、それを見たところが、恐らく何の得るところもなかろう、だからこの上取るべき手段はたった一つしかない。それはとみが臨終に発した言葉の詮索である。で、彼は英三郎の家を出て、蟹江署を訪ね、来意を告げてとみの臨終に立ち合った警官に面会を申し込んだ。

とみの臨終に立ち合った二人の警官のうち一人は名古屋の裁判所に行って不在であったが、今一人の警官は渋々ながら応接室に入って来た。連日の疲労のためか、何となくぼんやりしていたが、野々口はその顔を一目見て、これじゃ聞き違いをしかねやしないと思った。

いかにも血のめぐりの悪そうな表情をしている上に、田舎の巡査によくある横柄な態度があった。野々口は内心大いに不快を覚えた。

また巡査は巡査で、私立探偵と聞いて少なからぬ反感を抱いたらしかった。

「とみさんは臨終に何と言われたのですか?」と野々口は、一、二の挨拶の後尋ねた。

「亭主が殺したと言ったさ」

「そんなにはっきり聞き取れましたか?」

「聞き取れたとも、英三郎だと言ったよ」

「おや、亭主が殺したと言ったのじゃなかったですか?」

「亭主なら英三郎じゃないか、おかしいことを言うね」

「いえ、私の言うのは亭主と言ったか英三郎と言ったかということです」

「どっちでも同じじゃないか」

「そうじゃないんです・・・・・・」

「うるさいなあ、そんなに聞きたければ、地獄に行ってとみに聞いて来るさ」

野々口は呆れ果てた。こんな石あたまの相手になっていてはきりがない。

「おや、地獄だということをよくご承知ですねえ。僕はとみさんは極楽に行っていると思います」

こう言って彼は、挨拶もそこそこに外へ出た。「驚いた。こんな連中では、事件の解決は出来ようはずがない」と彼はつぶやいた。が、それと同時に彼は、とみの臨終の言葉が、たしかに、あの石あたまの警官のために聞き違えられたのであると思った。連日の疲労のために、ただでさえはっきりしない頭がぼんやりして、しかも犯人は亭主だと思い込んでいる矢先であるから、瀕死の病人の曖昧な言葉を亭主だと解釈するのは当然のことである。臨終に立ち合った今一人の警官も、恐らく群衆妄覚によって、同じように聞き違えたであろう。

野々口は英三郎の家に帰って、自分の部屋として与えられた納戸にただひとり座り込んだ。茶と菓子を持ってきてくれた吉田氏に、しばらくの間誰も納戸へは来ないようにして貰って、腕を組んでじっと考えた。

彼はポケットから、有朋堂文庫の「醒睡笑(せいすいしょう)」を取り出した。この書は徳川初期の茶人、安楽庵策伝が、一代の名奉行板倉重宗のために、聞き集めた笑話を記して贈ったもので、後世幾多の笑話の源流をなしているといってよい。彼はいつも探偵に必要なものは機智(ウィット)と諧謔(ユーモア)であると考え、この書をポケットから離したことがないのである。この書の中には板倉伊賀守の取り扱った裁判事件も書かれてあるので、かたがた彼は愛読してやまない。彼はいつも難問題にぶつかると、この書のどのページでもいいから開いて読み、しかる後よく考えて解決の緒を見出すのが常であった。むかし江戸の探偵箕島桐十郎は難事件に会うと、船宿から船を出させ、沖釣りに託して考えをまとめたそうであって、当時においては桐十郎の「船思案」として名高く、船思案の結果は必ず真犯人の発見となった。それと同じように野々口は「醒睡笑」の思案によってこれまで多くの事件を解決したのである。

彼は今、醒睡笑のあるページを開いて膝にのせ、腕を組みながら、この事件について考えをめぐらせた。すると、彼は、また警察や新聞と同じように、英三郎ととみを中心としてこの事件を解決しようとしていることに気付いた。否、むしろ新聞のために一つの先入観を与えられていることを悟ったのである。新聞はとみが最初に斬られ、次に太郎、次に祖母が斬られたように書いているけれど、それが果たして真実であろうか。とみが最初に斬られたことがわかっているくらいなら、犯人だってわかっているはずである、だから、とみが最初に斬られたというのは、全く、亭主を犯人と想像したために起こった、やはり一つの想像に過ぎないのである。この事件において三人のうち誰が最初に殺されたかということを決するには、よほどの綿密な検査によらなければならない。ところが、斧の指紋さえ台無しにしてしまった警官たちのことであるから、それだけの綿密な検査が出来たとは考えられないのである。

して見るとまず誰が先に殺されたかということ、否、三人のうち誰が犯罪の動機になったかということを考えてみなければならない。

多人斬りの犯人は必ずしも自分の動機に関係のある人間を一番先に殺すとは限らないけれど、もし殺さねばならぬ重大な理由があるときには、当然目ざす人間をまず先に殺すに違いない。野々口はこれまで、知らず知らずのうちにとみが最初に殺されたものと思っていたのであるから、とみによって動機を解決しようとしたのであるが、これは実に、大きな過ちであった。

そこで彼はとみを度外視して、祖母と太郎とに動機を求め得ないであろうかと考えた。しかし、先刻この家に来ている人々から聞いた所によると、祖母と太郎とに、動機を求むべき事情は何事もなかった・・・・・・。

「五圓紙幣だッ」と彼はその時思わず声を出した。そうだ! 太郎には五圓紙幣の謎があるではないか、太郎の持っていた五圓紙幣のために夫婦喧嘩が始まったではないか? して見ると五圓紙幣の謎を解くこともあながち徒労ではあるまい。

九歳の少年太郎は、どうして五圓紙幣を持っていたか、太郎が、「明日は貰った人に返して来る」と言ったという英三郎の言葉が真であるならば、とみが解釈したように、盗んで来たとも言えるし、また、真実誰かに貰ったものを、両親に叱られたために返して来ると言ったとも解釈出来る。しかし、貰ったものならば、誰々から貰ったと言うはずである。それを言わないのは、彼に五圓紙幣を与えたものが、「俺に貰ったと言うな」と口止めをしたのかもしれない。盗んだか、貰ったか。それを確かめるためには少年の性質をよく取り調べなければならない。こう思って彼は襖を開けて吉田氏に会い、太郎の学校の受け持ちの先生はどこに住んでいるか尋ねた。

「大野先生はもうじきお通夜に来てくださるはずです」と吉田氏は言った。

「大野さんが見えたらすぐご紹介を願います」と言って、野々口は再び納戸に入った。夕暮れは迫って、八燭光の電燈がついた、この部屋は祖母が斬られたところであって、隅の方のうす暗い陰から、新聞で見た彼女のやさしい顔が浮き出しているかのように思えた。

ほどなく野々口は大野訓導と対座した。

「太郎君は決して他人のものを盗るような子ではありません」と訓導は言った。「ただ少し強情なところがありました。自分がやろうと思ったことはどんなにしてもやり遂げ、やるまいと思ったことは決してやりませんでした。成績は一人だけ飛びぬけてよく、二番は佐藤といってかなりよく出来ますが、太郎君とは段違いです」

「佐藤」という言葉を聞いて野々口はどきりとした。吉田氏から聞いた佐藤了蔵の名をはっきり記憶していたからである。

「佐藤というと、もしやこの間、自殺した・・・・・・」

大野訓導は右手をあげて野々口を制し、声を低めて言った。

「佐藤さんは今あちらへ来ておられます。そうです。娘さんが女学校へ不合格で、お母さんが自殺した家です」

「そうでしたか、佐藤さんの息子と太郎君とは同級でしたか。で、その二人は仲がよかったですか?」

「大の仲よしで、つい家が近所だものですから、遊びに来たり行ったりしていました」

野々口はしばらく考えた。「佐藤さんは幾つぐらいの人ですか?」

「まだ四十前だと思います」

「何をしている人ですか」

「別に何もしておられません」

「英三郎さんとはよく交際しておられますか」

「そのようです」

大野訓導が去ると、野々口の顔は急に輝いた。彼は考えた。佐藤了蔵の子と太郎は同級であって佐藤の子は太郎に到底及ばない。世間の親の常として、我が子を一番にならせたい望みは佐藤にもたっぷりあろうではないか。しかも彼の妻は、娘が女学校の入学試験を落第したことを気に病んで自殺したではないか。妻のこの虚栄が良人には無いと誰が言い得よう。現に山陰道にはこの虚栄のために両親共に自殺した例がある。佐藤が妻と共に自殺しなかったのは、その息子があるためだと解釈出来ぬものか? 妻の自殺で心に打撃を受けた佐藤が、太郎を亡きものにして我が子を一番にしたいと願う・・・・・・。こう考えれば、この事件の動機は容易に解決できるではないか。

警察は三人斬りという大事件の突破のために小さい事件、すなわち佐藤夫人の自殺事件を忘れてしまっている。同じ土地に時を同じくして起こった事件は、互いに関係を持つものだと主張する学者さえあるではないか。ヘルマン・ランドンは、このことを種として「動く戸板」という探偵小説を書いているではないか。 

彼は再び「醒睡笑」のあるページを開いて、じっと考え込んだ。

「しかしだ。まだ五圓紙幣の謎があるではないか? とみの臨終の言葉が、解決されていないではないか?」と彼は自問した。五圓紙幣の謎は、あるいはこの事件と全く無関係であるかもしれないが、少なくとも、犯罪発生の時期に関係していると考えて差し支えないではないか?

かねて機会を窺っていた犯人が、夫婦喧嘩を立ち聞きして、これこそ嫌疑を英三郎にかけ得る絶好の時期だと考えて、翌朝英三郎の留守をうかがって家内へ忍び込んだとすればどうであるか。

彼は「醒睡笑」のページにチラと眼をやり、「わかった!」と叫んだ。そうだ。今一歩考えを進めてはどうか。犯人が太郎にわざわざ五圓紙幣を与え、それで夫婦の喧嘩を起こさせ、いよいよ喧嘩の起こったのを知ってその翌朝殺しに行く。こうすれば極めて自然にしかも簡単に説明がつくではないか?

「まだとみの臨終の言葉が残っている」と彼は再びがっかりしてつぶやいた。とみは恐らく犯人の顔を知っていたであろう。戸外はもう明るくなっている頃であったから、たとえ電燈が消えた後でも、犯人の顔を認めたであろう。もちろん犯人は覆面をしていたであろうけれど、何かの拍子に覆面が取れたかも知れない。また、犯人の顔を認めたればこそ、臨終の際、犯人の名を問われて、必死の努力で喋ったのであろう。

しかし、もし犯人を佐藤としても、「さとう」とか、「さとうりょうぞう」という臨終の言葉を、亭主という意味の言葉に聞き違えることは困難である。「さとう」と「をつと」とは聞き違えられぬこともない。また、「りょうぞう」と「えいざぶろう」とは似ていないでもない・・・・・。けれど彼の心は、これで満足することが出来なかった。

そのとき、襖の外で、誰かが大声で言った。

「立石さん、線香を出して下さい」

これを聞いた野々口は はっと思った。

「たていし」、「たていし」。これこそ「ていしゅ」(亭主)と聞き違えやすい言葉ではないか。野々口は、直ちに吉田氏を招いて尋ねた。

「立石さんという人が来ておられるようですが、あれはどういう人ですか?」

「殺されたとみの従兄です」

「やはりこの町に住んでおられますか」

「ええ。ここへもよく出入りします」

「奥さんはおありですか?」

「あります。子が無いので、ここのうちの太郎を自分の子のように可愛がっていました」

野々口は迷った。彼は立石がこの事件に関係ありそうかどうかを吉田氏に聞いて見たかったのである。けれど、そういう事を尋ねてかえってぶちこわしになり易いことを彼は恐れた。それは立石の名はたった今、偶然に彼の心を占領しただけであって、推理から割り出されて思いついた名ではない。もっとも犯罪探偵には偶然はかなりに大切な要素である。ことに立石は被害者とみの従兄であるというから、二人の間に、ある関係を想像するに難くない。また、五圓紙幣の一件も立石に当てはめて考えることが出来る。ことに「たていし」という言葉は「ていしゅ」と聞き違えやすいではないか。

佐藤か、立石か。かくて、佐藤は推理の結果、立石は偶然に彼の心の中での嫌疑者となったが、さて、これから先どう判断してよいか。・・・・・・が、急いではならない。彼は通夜の席でゆっくり犯人の探索をしようと決心したのである。

「どうです、犯人の見当はつきましたか?」と吉田氏は沈黙を破った。

「まだわからぬことが沢山ありますから、通夜の場で探って見ようと思います」

「では、犯人が通夜へ来るというお考えですか?」と吉田氏は驚いて言った。

「来るかもわかりませんよ」と野々口は極めて平静に言った。

 

(四) 

 

通夜は割合に静かに行われた。十数人の男女が三つの棺を囲んで念仏し雑談した。線香の煙はゆるやかに流れて春の夜はだんだん更けていった。野々口は吉田氏から、人々に紹介されて席に連なり、それとなく佐藤、立石の挙動に目をつけた。二人とも顔色は悪かったが、これという怪しい様子を見られなかった。

おいおい人々は眠たそうな顔をし出したので、野々口はぼつぼつ犯罪探偵に関する話を、田舎の人にもよくわかるように話しかけた。

「すべて人殺しをしたものは、自分の殺した屍骸の傍へ来たがるものです。来たいのではない、来ずにはいられないのです。つまり死体に引っ張られて来るのです。むかし西洋では、殺したものが死体のそばへ来ると、死体の傷口から血を吹き出すという迷信がありました。だからこうやって通夜でもするようなときは、棺の蓋をとって試してみたものだそうです。昭和の今日、そんなことを誰も信じませんが、犯人が殺した屍骸の傍へ来たがることだけは昔も今も変わりありません。こう言うと皆さんは、この席へ犯人が来ていると思われるかも知れませんが、みんな殺された人のお近づきばかりのようですから、どうぞお互いに安心なすって下さい」

それから彼は古今東西の珍しい探偵事件をはじめ、自分の取り扱った事件を次から次へと話して行って、どんなに犯人が賢くても、遂には捕えられるものだということを述べ、智慧のすぐれた探偵の「智慧」の恐ろしさを語った。一座の人々は、もはや眠たいことも忘れ、念佛を唱えることさえ忘れて、ひたすらに聞き入った。

彼は話し続けた。「殺された太郎さんは大へん賢い子だったということですから、もし生きていて大人になったら、あるいは立派な探偵になったかもしれません。ですが子供というものは賢いようでも他愛のない所があります。僕の東京の友人があるとき名古屋へ来まして、是非挨拶に立ち寄らねばならぬ親戚へ顔を出さずに、ある料理屋で酒を飲んでいると、運悪くそこへ親戚の子が遊びに来たそうです。友人は困って、早速五十銭銀貨をやって、決してお父さんやお母さんに話してはくれるなと言って口止めをしたそうです。するとその子は、家へ帰るなり、

「僕、いい人から五十銭貰ったけれど、言うなと言われたから言わないよ」と言って銀貨を母親に見せたそうです。母親は大いに驚いて、もしや盗んできたのではないかと思って責めつけたのでその子はとうとう白状したと言います。友人は口止めしたがためにかえって悪かったのです」

一座のものはさびしく笑った。佐藤の顔に変化はなかったが、立石の顔は何だか曇ったようである。間もなく立石はちょっと便所に行って来るといって席を外した。

十分、二十分経っても立石は帰って来なかった。時計は午前二時を報じた。野々口は席を立って、台所に集まっている人々に聞いて見ると、立石は用事が出来たからちょっと自宅へ行って来ると言って帰ったということであった。

野々口が通夜の席に戻ると、驚いたことに佐藤の姿も見えなかった。彼もまた家に帰ったと見えて長い間戻らなかった。すると三時半頃、立石が、鮨の箱をかついで入って来た。人々は喜んで鮨を食べた。

佐藤は、どうしたものか、四時が過ぎても戻らなかった、人々は家に帰って寝たのであろうと言った。すると四時半頃、佐藤の家の女中が息をきらして駆け込んで来た。

「大変です。旦那様が首を吊りました!!」

驚く人々を静めて、野々口は吉田氏とその他の二、三の人々と共に佐藤の家へ駆けつけた。佐藤は先日、夫人が首を吊った同じ座敷の梁に帯を掛けて冷たくなりかけていた。机の上には鉛筆で走り書きをした白い紙が置かれてあったが、野々口は警官が来るまで手を触れぬことにした。そして人々とともに死体をおろして座敷に寝かせた。物音を聞いて起きた二人の姉妹は死体にすがって泣いた。

やがて警察署から当直をしていた巡査が来た。それは皮肉にも、野々口が昨日面談した石あたまその人であった。野々口は一応事情を物語って、机の上の白い紙を見た。それは佐藤の書き置きであった。

それによると、佐藤は二つの大罪のために自決したのであるとわかった。一つは三人斬りの犯人としてであるが、もう一つは人々には全く意外な犯罪であった。

佐藤夫人が自殺したのは、その実、佐藤が手を下して殺し、自殺したように見せかけたのであった。佐藤は誰にも知られぬように名古屋に妾を囲っていたのであるが、最近それが細君に知れて急にそのヒステリーが嵩じた矢先、娘が女学校の入学試験に落第したので、細君は「死ぬ死ぬ」と言いふらした。色におぼれた佐藤は、この機を利用して細君を亡きものにしようという恐ろしい計画をしたのである。

三月二十一日すなわち春季皇霊祭の午後である。佐藤は女中に二人の子女を連れさせて、附近の寺へ彼岸参りにやり、その留守に細君を絞殺して梁へ吊った。

彼は早速外出し、夕方何食わぬ顔をして戻って来るつもりで座敷の障子を開けると、庭の飛石の上に殺された太郎が突っ立っていた。太郎は佐藤の息子と遊ぶためにそこへ来たのである。佐藤ははっと思ったがもう遅かった。目の早い太郎は座敷の中を見てしまったらしかった。咄嗟のことに佐藤はうろたえ、懐から紙入れを出して五圓紙幣を与え、かたく口止めをして太郎を帰した。

検死は無事に済んで、その翌日葬式を出したが、太郎のことが気にかかったので、夜分、英三郎の家の前で様子を窺っていると、五圓紙幣のために夫婦喧嘩が起こった。その時から彼は太郎を無きものにしようと思ったのである。

翌朝、懐中に短刀をしのばせ、覆面をして、英三郎等が出て行くのを見すまし、裏口から入ると、入口に斧が置かれてあったので、それを持って真っ先に太郎を斬ったが、その時覆面がとれて、とみに見られたので、直ちに斬りつけ、更に納戸に物音がしたので、祖母を斬り、斧を投げ捨てて再び忍び出たのである。

 

野々口は、あまりに早く事件が解決されたのに驚いたが、それと同時に、自分の推理の当たらなかったことを恥じた。彼の通夜の席での談話が、佐藤の死を早めたことは疑いないが、彼はただ、ああして一つの実験を試み、しかる後、徐々に解決の歩を進めるつもりであった。三人斬り事件と、自殺事件とに関係があると睨んだのは正しかった。又、五圓紙幣が口止めに用いられたこともある程度まで推定した。けれど、とみの臨終の言葉を解決したいという心が邪魔をして、五圓紙幣と自殺事件とを結びつけることが出来なかったのである。

しかしながら、こうして事件は解決されても、とみの臨終の言葉の謎は依然として解決されなかった。彼はそれをすこぶる物足らなく思った。そして出来るならこの場で解決してしまいたいと思った。

立合いの巡査は、英三郎を犯人と思いこみ、とみの臨終の言葉を聞き取った当の人間であるから、この意外な犯人の出現に、茫然としてしまって、臨終の言葉のことなど、考えている余裕さえないらしかった。野々口は巡査の元気のない顔を見て、からかってやる気も起らなかった。彼は黙って、見るともなしに部屋の中を見まわした。

すると彼は欄間に掲げてある額の文字に目をつけた。額には長三洲の筆で、肉太に「内野屋」と三文字書かれてあった。

「内野屋とは何ですか?」と彼は高まる動悸を抑えて吉田氏に尋ねた。

「佐藤さんの家は十年ばかり前まで、本町で呉服屋をして内野屋といったのです」

「それでは今でも佐藤さんを内野屋さんとでもいう人がありましょう」

「ありますとも」 

「それでわかった!」と彼は叫んだ。「このことがわかっておれば、とっくに事件は解決していたんです」

巡査と吉田氏は思わず野々口の顔を見つめた。

「殺されたとみさんはたしかに臨終に犯人の名前を言ったんですよ」野々口は言った。

「だって娘の亭主だと申したと聞きましたが」と吉田氏は巡査に気兼ねするようにして言った。

「この人は犯人が英三郎さんだと思い込んで、とうとう聞き違えてしまったのです。この辺では普通妻が良人(おっと)のことを何と言いますか?」

「うちの人とか、うちのとか・・・・・・」

「それですよ。内野(うちの)・・・・・・・と言ったのを、良人(うちの)と聞き違えたんです・・・・・・」

こう言って野々口は呆気にとられた警官を残し、吉田氏を引っ張り出すようにして、座敷を出た。

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