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更新日:2021年10月30日公開 印刷ページ表示

紅蜘蛛の怪異(大正15年発表)

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(一)

「私が警視庁の刑事になった動機を話せというのですか。そうですねぇ、大して珍しい動機ではないですが、そこにちょっとしたロマンスがあるのですよ。などと言うといささか皆さんの好奇心をそそるでしょうが、話して見れば案外つまらぬかも知れません。しかし、私自身にとっては一生涯忘れることの出来ぬ大冒険でした」

と、森一氏は語り始めた。まだ四十三、四の年輩であるのに、かなりに白髪の多いことは、氏の半生の苦労をあからさまに物語っていると言ってよい。このたび氏が、欧米の警察制度視察のため海外へ出張を命じられたため、今宵は氏と懇意にしているものが十人ほど集まって送別の宴を催したのであるが、平素無口である氏が、非常に愉快に談笑にふけったから、私は、かねて聞きたいと思っていた氏の刑事志願の動機を尋ねると、ほかの人たちも口を揃えて促したので、氏は遂に、今まで誰にも話さなかった秘密を快く打ち明けるに至ったのである。

 

*    *    *    *    *

 

今まで、このことをどなたにもお話ししなかったのは、自分の恥をさらけ出さねばならぬからでした。若気の至りとはいえ、あまりにも馬鹿馬鹿しい目に出会い、その結果、生命危篤に陥ったというような、変な冒険なのですから、お話する勇気がなかったのですが、当分、皆さんにお別れしなければなりませんから、言わば置き土産に、私一代の懺悔話を致そうと思います。

少し、余談にわたるかも知れませんが、私は皆さんに、病気というものが、全く本人の心の持ち方一つで治るということを特に申し上げたいと思います。私も若いときには肺結核で死の状態に立ち至りましたが、それがある日、心に変動が起こってこの通りピンピした身体になってしまったのでございます。これから申し上げるお話も、実は私が二十年ほど前に、肺結核に罹った時から始まるのでございます。

私は名古屋の旧藩士の一人息子として生まれましたが、十八歳の時、父と母とが相次いで肺病で亡くなりましたから、中学を卒業するなり、私は家の財産を金に替え、上京して早稲田大学の文科に入りました。三年級になるまでは無事に暮らしましたが、友人たちと、ふしだらな遊びをしたのが祟ったのか、その秋の始めから、何となく健康がすぐれませんでした。で、医師に診てもらうと、右肺尖カタルだから、ぜひ今のうちに興津(※静岡市清水区)あたりで一年ぐらい静養するがよいとの忠告を受けました。両親が二人共肺病で死にましたし、何事も命あっての物種ですから、医師の言に従い、少なくとも一ヶ年興津に滞在しようと決心したのであります。中学の時分から高山樗牛(※明治期の文筆家)が大好きで、興津にはかなりの憧れを持っておりましたから、いよいよ私は、行李をまとめて、鶴巻町の下宿に別れを告げ、新橋停車場に人力車を走らせました。

午後六時半発の列車に乗るために駈けつけたのですけれど、先方へ真夜中に着くのも面白くないから、いっそ、こちらを真夜中に出発して先方へ朝着くことにしようと、ふと、気が変わったのであります。その時、素直に六時半の汽車に乗っていたならば、これから申しあげるような、私の一生涯における最大の冒険はしなかったのですが、新橋へ着いて、当分大都会の空気が吸えないかと思うと、一種の悲哀が胸に迫って来たので、三、四時間付近を散歩して見ようと決心し、かたがた出発を遅らせたわけなのです。で、荷物だけを先へ送って、私は手ぶらになって、夜の町へ出かけました。

空は美しく晴れて、星がいっぱい輝いておりました。秋の末のこととて、妙に寒い風が和服のすき間から入って、感じ易くなっている私の皮膚に粟を生ぜしめましたが、私は中折帽を目深に被って、何かに引きずられるように、白昼の如き銀座通りの人ごみの中を、縫うようにして、京橋の方に歩いて行きました。その夜に限って私は、初めて上京した時のように、見るもののことごとくを珍しく思いました。

そのうちに私はある街角の洋品店の前に来ました。ショウ・ウィンドウに飾られてある蝋細工の女人形が、妙に懐かしいように思われたので、しばらくの間立ちどまって、じっと眺めておりました。

ふと、気がつくと、薄暗い横町に一人の若い女が、腰をかがめて、苦しそうに立ちどまっておりました。私は気の毒に思って傍に近寄りますと、女は顔を上げましたが、その美しさは今もなお目の前にちらつくほどでした。女は私の顔を見て、何か怖いものに出会ったような表情をしましたが、私はそれを苦痛のためであると解釈しました。そして直感とでも言いますか、女は飢えに苦しんでいるようにも思えました。よく見ると、女はあまりよい階級には属していないらしく、古びた銘仙の羽織に銘仙の袷を着て、垢のついたメリンスの帯を締めておりました。

私はつとめて丁寧な言葉使いをして、

「どうかなさいましたか。苦しそうに見えますが、何でしたら、お宅までお送りしましょうか」

と言って、右の手を差し出しました。

すると、彼女は再びチラと私の顔を見ましたが、さも苦しそうに腰を伸ばして、左手で私の手にすがり、

「すみません」と、言いながら、私の身体にもたれるように寄り添いました。

大通りへ出るのは何となく気が引けましたし、それに彼女は、そわそわして、時々あたりを見回しましたから、私たちは、そのうす暗い横町をまっすぐに進みました。

「どこまで行きますか」と私は歩きながら尋ねました。その時、彼女は突然立ちどまって顔をしかめ、腰をかがめました。

「お腹が痛いのですか」と私は彼女の身体を抱くように手をかけました。ふっくりした肉の感じが、妙に激しく私の心を刺激しました。女は恥ずかしそうな顔をしながら、

「朝からまだ何もいただきません」と細い声で言いました。

私は私の直感の当たったことを知って、

「それはお気の毒ですねぇ」と言いながら、そのあたりを見回すと、ちょうど五、六軒先に蕎麦屋があったので、私は黙って彼女を促して中へ入りますと、彼女は素直について来ました。

私たちは二階へ上って種ものを注文しました。二階には客は一人もおりませんでしたが、女は恥ずかしそうにして、運ばれた蕎麦をおいしそうに食べました。私はうす暗い電燈の下で、つつましやかに箸を運ぶ彼女の姿をつくづく観察しました。漆黒の髪は銀杏返しに結ばれ、色が抜けるほどに白く、大粒な目を覆う長いまつげが、顔全体に幾分か悲しそうな表情を帯ばせておりました。私は生まれてから、これほど美しい女に接したことがありませんでしたから、一種の威圧をさえ感じました。そして、この女はいったい何者であろうかという疑問が雲のように湧いて来ました。

やがて女は、箸を置いて、

「どうも、たいへん、ご厄介になりました」 と言って軽くお辞儀をしました。その様子は良家に育った者のようにも思われました。女は更に言葉を続けました。

「こんなにご厄介になっても、ご恩に報いることが出来ないのが残念でございます」

こう言って彼女は顔を赤らめてうつむきました。

私はこの言葉にどぎまぎして、

「これからどちらへお行きになりますか』と尋ねました。

すると女は急に悲しそうな顔をして言いました。

「実は、今朝まで番町のあるお屋敷に奉公していたのでございますが、お暇をもらって、沼津の実家へ帰ろうとしますと、新橋の停車場で、男の人になれなれしく話しかけられ、いつの間にか、荷物もお金も盗られてしまったのでございます。それから途方に暮れて、あてもなく歩きまわりましたが、急に腹痛が起こって難儀しているところを、あなたに救って頂いたのでございます」

これを聞いて私には同情の念がむらむらと起きました。

「今晩私は興津へ行きますから、よかったら沼津までお送りしましょうか」

その時彼女はまたもや顔をしかめました。

「ありがとうございます。けれど私はこうなった以上、何だか国元へ帰るのが厭でございます。それに気分も悪いですから、今晩は、どこかこのへんで泊りたいと思います」

こう言ってから、彼女はため息をついてしばらく躊躇していましたが、やがて、決心したように言いました。

「それに私、あなたのご親切に向かってお礼がしたいと思いますので・・・・・・」

彼女はうつむきました。私は彼女の言葉の意味をはっきり理解することが出来ました。そして急に心臓の鼓動が激しくなりました。皆さんは定めし私のその時の心持ちをよく理解して下さるだろうと思います。とうとう私たちは無言のうちにある約束を決めてしまいました。

やがて、私たちは蕎麦屋を出ました。およそ一町(約100m)ほど歩いて行きますと、宿屋が二、三軒並んでいましたので、とっつきの家に入りますと、亭主は気を利かせて、女中に命じて私たちを奧の離れ座敷に案内させました。宿へ入ると私よりも彼女の方が度胸がすわって、女中の持って来た宿帳に、彼女自身、すらすらと筆を運ばせ、出鱈目な名を書いて否応なく私たち二人を夫婦にしてしまいました。そして、まだ九時を打って間もないのに、女中に命じて床をとらせました。

 

(二)

 

思いがけない幸福に浴して、私は床の中で目をふさいで、今夜の冒険の顛末を、まるで夢を見るかのように思いめぐらしていますと、ふと、女が身を震わせているのに気づきました。見ると彼女はしきりにすすり泣きをしておりました。私はびっくりして事情を尋ねましたが、彼女はただ泣くばかりでした。私は彼女が私に身を任せたことを後悔し始めたのであろうと考えて、そのことを尋ねますと、彼女は突然むくりと床の上に起き上りました。私も共に起き上って、何事が起きたのかと、彼女の様子を見つめていますと、彼女は突然

「わたしはもう生きておれません」と言い放ちました。

私はぎょっとしました。

「どうしたのです? 何故です?」と私は声を震わせて尋ねました。

「私は今朝お屋敷の宝石を盗んで逃げて来たのです。それは私の出来心でしたことではありません。御前様に対する復讐をしたのです・・・・・・」

「え、復讐?」と、私は思わず尋ね返しました。

彼女はうなずいて、何を思ったか、にわかに寝巻きを脱いで、大理石のような美しい肌をあらわし、そして、その背中を私の方に向けました。私は彼女の背中を見た瞬間、私の全身の血液が凍るかと思いました。と言うのは、彼女の背中いっぱいに、巨大な蜘蛛が六本の足を拡げてわだかまっている入れ墨がちょうど、握りこぶしほどの血を一滴したたらせたかのように、真紅な絵の具で施され、彼女の呼吸と共に、その蜘蛛が生きているように見えたからです。

私は小さい時から、非常に蜘蛛が嫌いでした。それなのに今こうした巨大な紅蜘蛛を見たのですから、私は卒倒しそうになって、ぶるぶる身を震わせました。

「この蜘蛛の入れ墨は、御前様が私に麻酔をかけ、知らぬ間に彫り物師に入れさせになったものです。御前様は私の身を汚した上に、こうした罪の深いことをなさったのです。私は心の中で何とかして、恨みが晴らしたいと思い、とうとう、すきを窺って、御前様のいちばん大切にしておられる宝石を盗んで逃げたのですが、運悪くそれも、停車場で盗られてしまったのです。私はもう生きておれません」

こう言って彼女はさめざめと泣きました。私は、その巨大な紅蜘蛛を見てから、彼女自身までが、何となく怖ろしく見え、どう答えてよいかわからずに、途方に暮れて黙っていました。

「ね、あなた」 と彼女は涙の顔をあげて私を見つめました。

「ね、お願いですから私を殺して下さい。私はあなたの手にかかって死にたいのです。今日まで私は男の人をたくさん見ましたけれど、あなたほど恋しい人に逢ったのは初めてです。だから、あなたの手にかかって死ねば本望です」

私は、いよいよ怖ろしくなりました。すると彼女は、変然どこからともなく白鞘の短刀を取り出して、ぎらりと抜きました。そしてそれを私の方へ差し出しました。

「ね、早く、これでひと思いに私を突き刺して下さい。紅蜘蛛の目のところをずぶりと刺して下さい」

私は恐怖のために舌の根がこわばったように感じました。身動きもせず、ただ目をぱちくりさせて座っていました。すると彼女は、にやりと笑って、さげすむような態度で言いました。

「あなたは案外に意気地がないですのねぇ。いいわ、それじゃわたし、自分で死ぬから。けれどあなたも、わたしに見込まれたが最後、生命がないから、そう思っていらっしゃい。私はこの入れ墨をされてから、私の心も蜘蛛のように執念深くなったのよ。あなたは私を弄んでおいて、今になって私の願いを聞かないのだもの、きっと復讐してやるわ。もうあなたには用がないから、さっさと出て行って下さい。これから、私はこの短刀で自殺して、あなたに殺されたように見せかけ、あなたを死刑にさせずにおかぬからそう思っていらっしゃい。たとえあなたが警察の手を逃れても、蜘蛛の一念できっとあなたに祟ってやるわよ」

こう言って彼女は短刀を取り上げました。

ふと、気がついて見ると、私は銀座の裏通りを、夢遊病者のように歩いていました。私がどうして、あの離れ座敷から逃げ出したかを私ははっきり思い出すことが出来ませんでした。私はあの部屋から逃げ出す拍子に一、二度布団につまずいて転んだような気がしました。しかし、彼女は私を追っては来ませんでした。

寒い夜風に触れて、私の神経はだんだん沈静して来ました。それと同時に、彼女はあれからどうしただろうかという疑問がしきりに浮んで来ました。彼女は果たして自殺しただろうか。それとも、何かの目的があって、あのような狂言を行ったのであろうか。ことによると、彼女は私のあとから、あの宿を立ち去るかも知れない。彼女は何者だろう。もし宿から出て来れば、あとをつけて、その行先を知ることが出来る。こう思って私は、一種の好奇心に駆られ、停車場付近まで歩いて来たのを再び引き返して、私たちのかりそめの宿の方をさして歩いて行きました。

と、宿屋のある△△町の角まで来ると、前方に人だかりがしていました。近寄って見ると、警官が二、三人私たちの宿の前に立っていました。私は、はっと思って、群衆の中の一人の男に、何事が起きたのかと尋ねました。するとその男は、私の顔をじろじろ眺めながら答えました。

「いま、あの宿屋で殺しがあったのです。殺されたのは若い女で、犯人は女の情夫らしく、早くも逃げてしまったそうです・・・・・・」

 

(三)

 

それから私がどんな行動をとったかは、皆さんにも想像がつくだろうと思います。私は無我夢中で駈けて来て、新橋停車場から、ちょうど都合よく、まさに発車せんとする十二時三十分の列車に乗り込みました。

汽車が出てからしばらくの間、私はただもうぼんやりとして、全身の筋肉がまるでクラゲのようにぐったりしていましたが、だんだん我に返るにつれて、激しい恐怖に駆られました。たとえ自分で手を下さなかったとはいえ、ああした事情のもとにおいては、彼女が自殺したと認定されるわけはなく、定めし今頃は警察で私を捜しているだろうと思って、じっとしてはおられぬような気がしました。私は心を沈めて考えました。宿帳には彼女が出鱈目の名と住所とを書いたから、恐らく今頃は、それによって搜索が行われているに違いないと思い、幾分か心が軽くなりましたが、その時、私はふと、懐に手を入れてぎくりとしました。

私はすなわち紙入れ(財布)を紛失していることに気づいたのです。私はその日、下宿を出るとき、腹巻きに私の全財産を入れ、紙入れに五十圓(※現在の価値で約四万円)ばかり、銭入れに銀貨を十圓(※同約八千円)ばかり入れて出ましたが、切符と荷物の預かり証とは銭入れに入れてあったので、それまで紙入れを紛失したことに気づかなかったのです。紙入れの中には、住所の書いてない私の名刺がありましたので、もし私が宿屋で落したものとすれば、警察にはすぐ私の本名が知れるわけです。もし幸いに新橋まで夢中で駆けつけたときに落としたものとすればよいけれども、とにかく私の本名を名乗るのは危険だと思いましたので、以後は偽名を使うことに決心しました。

私はことによると興津へ着く前に逮捕されるかも知れぬと思いました。一晩中まんじりともせずに、今後どうしたならば、身をくらます事が出来るかということを一生懸命に考えました。

その結果私は偽名で興津の療養所に入ったならば、きっと巧みに身を隠すことが出来るに違いないと思いました。まさか病人が殺人を行なうとは警察でも考えないであろうから、それが一番安全な方法だろうと考えたのです。

興津へ着いたのは朝でした。今にも警官が近寄って来はしないかとびくびくしましたが、幸いにも何ごともありませんでした。私は人力車に乗って結核療養所を訪ね、所長の診察を受けて、日本式の病室を与えられました。

翌日、私が、東京の新聞を見ると、果たして殺人の記事が出ていました。京橋区△△町御納屋という宿で一人の若い女が殺され、犯人が行方不明だから警察では厳探中だと書かれてあるのみで、私の名も彼女の名も書かれてはありませんでした。多分警察では、何もかも秘密にして活動しつつあるのだろうと思いました。ただ私はその時、初めて私たちの入った宿が御納屋という名であることを知りました。

一週間は不安と焦躁との間に暮れました。しかし何事も起こりませんでした。前に見渡す美しい興津の海も、緑ゆかしい背後の山々も、私には何の慰安も与えませんでした。どうやら私は警察の手から逃れたように思いましたが、それと同時に、彼女の恐ろしい言葉が耳の底に浮び上りました。

「たとえ、あなたが警察の手を逃れても、蜘蛛の一念で、きっと祟ってやるわよ」と言った言葉が、ひしひしと私の胸に迫って来ました。そして、病室に居ても、あの巨大な紅蜘蛛が、どこかの隅から私を睨んでいるような気がしたのです。

皆さんは私のその時の迷信的な気持ちをお笑いになりましょう。しかし肺病になると、誰でも迷信家になります。ことに、その夜のことを思うと、たとえ、自分で手を下さなかったにしても、彼女の死にはまんざら責任のないことはないような気がして、言わば良心の呵責が手伝って、いよいよ私は迷信家となったのであります。そして、自分は早晩、紅蜘蛛の祟りによって命を取られるに違いないと信じてしまいました。

二週間経ち、三週間経っても、別に警察の人は訪ねて来ませんでした。新聞を見ましても、もはや何も書かれていなくなりました。つまり御納屋の殺人事件は迷宮に入ったらしいのでした。私は多少安心しましたけれど、紅蜘蛛の幻想は日ごとに強く、私を悩ませました。

私の食欲はだんだん減って行きました。咳嗽(せき)と喀痰(たん)が日ごとに増えて行きました。医師は興津へ来てから病勢がにわかに進行したことに頭を傾げました。今でこそ、こうして、平気でお話が出来ますけれど、その当時の私の気持ちは何に例えようもないやるせないものでした。言わば死刑の日を待つ囚人の心持ちにも例えるべきものでした。紅蜘蛛の姿が絶えず目の前にちらつきました。私は彼女の恐ろしい執念が目に見えぬ絆をもって十重二十重に私を縛り付けているように思いました。しまいには毎朝吐く痰のねばねばした形が、巨大な蜘蛛の糸のように思われました。滋養分を無理に摂取しても、薬剤を浴びるように飲んでも、私の身体は痩せて行くばかりでした。熱は毎日三十八度五分に上りました。とうとう、私は、寝床から起き上ることを禁じられてしまいました。そして毎晩私は、巨大な蜘蛛のために、その糸で締め付けられる夢を見て目を覚ますと、油のような寝汗をびっしょりかいているのでした。こんなに蜘蛛の幼想のために責められるぐらいならば、いっそ、警察へ自首した方が、遙かに楽だろうと思いましたが、もはやいかんともすることが出来ませんでした。

二ヶ月過ぎた頃には、私は衰弱の極に達しました。医師は私に新聞を見ることをさえ禁じました。たまたま空を見ましても、雲の形が蜘蛛のうずくまっているように見えたり、看護婦の使用している楕円形の懐鏡が、巨大な蜘蛛の眼球に見えたり、目を開いても、眼を閉じても蜘蛛は一刻の休みもなく私を責めるのでありました。

ある朝、----それは何となく陰鬱な曇り日でした。看護婦に食事を与えてもらっていると、突然私は、これまで経験したことのない、はげしい咳嗽に襲われ、次の瞬間思はずも、あたり一面に真紅な血の飛沫を飛ばしました。看護婦は驚いて医師を呼びに行きました。けたたましい咳嗽は続けざまに起こって、白い布団の上や畳の上は、点々たる血痕でいっぱいに染められました。始めは、精神が比較的はっきりしていましたが、後に、ぼーっとした気持ちになりました。と、その時です。畳の上や敷布の上に飛び散った一滴一滴の血痕が、そのまま、小さいのは小さいなりに、大きいのは大きいなりにそれぞれ無数の紅蜘蛛となって、一斉に私の口元めがけてさらさらと動いて来ました。はっと思う拍子に私は人事不省に陥っていました。

 

(四)

 

幾分かの後、気が付いて見ますと、私は医師と看護婦とに介抱されていました。

「気が付きましたか、よかった、よかった。静かになさい」と医師はやさしく言いました。私が何か言おうとすると医師は手を振って制しました。人事不省の間に注射が行われたと見え、左の腕がしくしく痛みました。

医師は看護婦に向かって、私の胸に氷嚢を当てるように命じ、私に向かって、もう大丈夫だから、絶対安静にしていなさいと言って病室を去りました。私は始め、ぼんやりしていましたがだんだん意識が明瞭になるに連れ、いよいよ、紅蜘蛛紙の祟りで死なねばならぬことを悟りました。

死ぬと決まった以上私は医師に向かって懺悔しておきたいと思いました。で、私は看護婦に医師を呼ばせました。医師はすぐさまやって来て、私の意志を聞いて、初めは話をすることに猛烈に反対しましたが、私の態度が真剣であったので、遂に内緒声で話すことを許しました。

私は私の冒険の一部始終を話し、紅蜘蛛の幻想に悩まされた顛末を告げ、そして最後に、

「こういうわけですから、私が死んだら、どうかあなたから、警察の人に委細を告げて下さい」

と申しました。

語り終わると、私は何となく胸がすがすがしくなるのを覚えました。医師は初め好奇心をもって聞いていましたが、後には意外であるというような顔つきをしました。そして私が語り終わるや否や、

「ちょっと、お待ちなさい」と言って急いで病室を出て行きましたが、しばらくすると、手に一枚の新聞を携えて帰ってきました。そして医師は三面を開き、ある写真を指して、

「これに見覚えがありますか」と尋ねました。

私はその写真を見て血を吐きそうになるくらいびっくりしました。その写真こそ、私が夢にも忘れぬ彼女---すなわち紅蜘蛛の女であったからです。

「あなたの先刻お話しになったのはこの女でしょう。これを読んでご覧なさい」と、医師はそのそばの新聞記事を指しました。

紅蜘蛛お辰捕縛さる・・・・・・

かねて、浅草、京橋方面に出没して、幾多の男を餌食にしていた女賊紅蜘蛛お辰は、一昨夜、京橋署の手に逮捕された。彼女は病人を装って男を釣り、付近の宿屋に連れ込んで、背中の紅蜘蛛の入れ墨を示して男の度肝を抜き、後に短刀を出して殺してくれと迫り、男が狼狽して逃げ出す隙に、男の懐中物を抜き取っていたのであるが、一昨夜、同様の手段で××町の葛屋に男を連れ込んだところを、張り込み中の警官に逮捕されたものである。彼女の毒牙にかかった男は数えきれぬほどで、目下関係者を引致して取り調べ中である。(写真は紅蜘蛛お辰)

あまりのことに私は私の目を疑いました。気が遠くなるように覚えました。その時医師は微笑を浮かべて言いました。

「これは一昨日の新聞ですよ。どうやらあなたも被害者の一人のようですねぇ。紅蜘蛛は死んだどころかぴんぴんしていたのですよ? さあ、しっかりして下さい。もう紅蜘蛛の幻想は起こりませんよ・・・・・・」

ここまで語って森氏はほっと一息した。私たち一同はこの不思議な話を息をこらして聞き入った。

「すると、その殺された女は誰でしたか」と、私は待ち切れないで尋ねた。

「実は、私もそれが不審でならなかったのですよ。で、その時から、私は刑事になろうと決心したのです。一つにはその殺された女が誰だったかを確かめるため、今一つには、私のような世間知らずの男をだます女賊を無くしたいと思ったからです。

そう決心すると、不思議にもその日から私の病気は回復に向かい、食欲も盛んになる、熱も下がる、寝汗も出なくなる、体重も増えるという具合に、言わば薄紙をはぐように良くなって、約四ヶ月の後には以前にまさる健康状態になってしまいました。

そこで私は上京して、早稲田大学を退き、警視庁の刑事を志願して、首尾よく探用されました。そして、その夜の事件を探索して見ると、御納屋で1人の女が殺されたのは事実でしたが、私たちが入った宿屋は御納屋ではなく、実はその隣の銭屋というので、全く偶然に御納屋の殺人の時間と、銭屋で私が紅蜘蛛の女を残して去った時間とが一致したのです。

御納屋で殺された女、とうとう身元もわからず、また、その犯人も知れませんでした。いや、私は、偶然の事件のために、思わぬ災難をこうむりましたが、こうして健康を回復した今日から見れば、まことに、尊い経験をしたと思うのであります・・・・・・」

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