心臓の呵責（大正14年発表）

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私がなぜ女殺しで自首する気になったか話せとおっしゃるのですか。よろしい。明日はもう死刑を受けるのですから、思い切って話しましょう。一口に言うと心臓の呵責を受けたんです。妙なことを言うとお思いになるでしょうが、心臓は全く恐ろしい奴です。昔から人はよく、良心の呵責ということを話しますが、心臓の呵責とは、あなたも初めてお聞きになるでしょう。私には元来、良心などというものは薬にしたいほどもないんですから、人殺しをしても証拠さえ残しておかなきゃ、良心の呵責でバレるようなことはないと高をくくっていたんです。ところが思いがけなく心臓めが呵責を始めて、とうとう私に自首させてしまったんです。

悪党にはすべて左利きが多いんですってねぇ。私もやっぱり左利きなんです。生まれてから三十歳の今日まで一度も医者にかかったことのない、ご覧の通りの丈夫な体で、腕力も人一倍強いんですから、短刀で、憎い女の真正面から右の乳下をずぶりと刺したら、たった一突きでうんともいわずにあお向けに死にましたよ。

女はその時肌脱ぎでして、赤い血がひなげしのように傷口を染めたところは、言うに言えぬほど美しかったので、しばらくの間それをうっとり眺めていたんですが、それがやっぱりいけなかったんです。

その夜私はいつもと違って綿のように疲れたので、ぐっすり寝込んだのですが、ふと夜中に目を覚ますと、右の胸でどきん、どきんという音がするじゃありませんか。はてなと思って耳をすますと、音はますます高く聞こえます。ぱっと飛び起きて、右の胸に左手をあてがってみると、中でしきりに動いているものがあるのです。

それまで一度も私は自分の心臓の音を聞いたことはありませんでしたけれど、たぶん心臓の音だろうと考えましたが、同時に、全身に冷水を浴びたようにぞっとしました。心臓ならば左の胸にあるはずだ。こう思って左の胸に手を当ててみますと、左の胸は、私の部屋のように静かでした。

ああ、恐ろしいではありませんか。私の心臓は左の胸から右の胸へ動いたんです。何のために？ 言わなくても、もうお分かりでしょう。どきん、どきんと音のしている場所こそは、ちょうど女を殺した傷口に相当していたんです。

それから、私がどんなにその音に苦しんだかはとても話しかねます。左から右へ動いた心臓をもとの位置に戻すために、胸を叩いてみたり、横に寝転がってみたり、逆立ちをしてみたりしましたが、音のする場所は一向に変わりません。

身体の外から加えられる拷問なら、びくともしないつもりですが、身体の中からの拷問には、さすがの私も閉口して、とうとう警察へ自首したんです。すると、どきん、どきんの音はばったりと止みました。やっぱり心臓の呵責だったんです。

解剖台上で医師はこの男が珍しい症例者であることを発見した。すなわち内臓が左右転位しているのであって、左にあるべき心臓が右にあり、右にあるべき肝臓が左にあった。その他すべての臓器が左右正反対の位置にあった。

「これは何千人か何万人に一人しかいない珍しい例で、内臓全転位のものは、ほとんど皆左利きだと言われています」

と医師は説明した。

私は、さらけ出された男の心臓を見て尋ねた。

「平素気がつかない心臓の音が、突然自分の耳に聞こえるということはあるものでしょうか?」

「ありますとも、強い精神感動を受けた時など、誰にでもあることです」と医師は無造作に答えた。