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更新日:2022年2月14日公開 印刷ページ表示

難題(大正15年発表)

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(一)

 

私は内科を専門としておりますが、こうして市中で開業しておりましても、やはり、外科や婦人科の小手術ぐらい自分でやらないと繁盛医とはなりませんから、開業する前に、外科教室と産婦人科教室に、およそ一年ずつおりました。そのために今では相当に繁盛するようになりました。元来私は人にへつらうことが非常に嫌いでして、そのために、随分患者の感情を害したこともありますが、私の性質がよくわかると、後には却って私に好意を持ってくれるようです。

さて、独立して開業して見ますと、患者や世間の人から種々の難題を持ちこまれます。例えば診察もしない患者の診断書を書いてくれと頼まれたり、伝染病の届出を控えてくれと頼まれます。初め、私はこういう要求に対して、ぶっきら棒に、断然たる拒絶をして来ましたが、後にはなるべく円滑に先方の感情を害しないように断る工夫をしました。これからお話しようとするのも、私がこの種の難題に遭遇して、如何に当惑し、如何に苦しい策を講じたかという、言わば懺悔話といってよいものです。

ある日、私の患家先なる某富豪のお嬢さんがわざわざ訪ねて来ました。お嬢さんというものの、半年ほど前に養子を迎えられたのですから、むしろ××夫人と言った方が適当です。夫人はその時二十一歳の美人で、性質は一口に言えば「新しい女」のタイプでして、社交界の花形として、新聞紙などで盛んに持てはやされている人でした。生来非常に健康で、物心ついてからは一度も医者にかかったことのないほどの人ではあり、病気のことならば私を迎えに寄越されてしかるべきでありますから、私は何の用事で来られたのか、いぶからずにはおれませんでしたが、よく見ると、平素艶々した頬が幾分か痩せこけて、色が悪いように思われました。

とりあえず、洋装の夫人を応接室へ通しましたが、来訪の目的を聞くなり、私は更にびっくりしました。難題も難題、私にとっては大難題だったからです。そういう難題にぶつかったのは初めてでしたから、聞いただけでも怖しい気がして、実に当惑してしまいました。

「ご主人もご承知の上ですか?」と一通り婦人の話を聞いてから、騒ぎ立つ胸を抑えつけて尋ねました。

「ええ、しかし両親には内緒ですわ」

「そうでしよう。ご両親は一日も早くお孫さんの顔が見たいでしょうから。・・・・・・只今のお話によると、種々あなたが婦人運動に携わられるのに差支えがあるからとの事ですけれど、お子さんを犠牲にしてまで、尽くさねばならぬほど尊い仕事がこの世にありましょうか・・・・・・」

「先生、理屈はどうでもよいですわ」と夫人は遮りました。

「まだ三月ですのに、こんなに顔がやつれてくるのですもの、これから先、とてもたまりませんわ」

「それでは容色の美を保つために・・・・・・」

「理屈は抜きにして下さいってば、こんなことは私のお友達の間に、再々行われていることよ。先生には、いつも、家の者が厄介になるし、それに先生は婦人科の経験もおありですから、お願いに来たのです。ねえ、先生、わけのない手術でしょう?」

私は一種の威圧を感じました。頭は混乱して来ました。尋常一様の忠告では、到底夫人の志を翻すことは出来まいから、何かよい方法がないものかと種々考えましたが、獲物を見てから猟銃の用意をすると同じく、まごまごするばかりでした。

「ねえ、先生、どうにか勘考して頂戴!」と夫人はしきりにせがみました。

「実は、僕は一度もその経験がありません」

「嘘おっしゃい。婦人科の教室に居なすった癖に。そんな逃げ口上は駄目よ」

「でも、もし失敗するとたいへんなことになりますから」

夫人はしばらく黙って、私の顔を見つめました。

「大丈夫よ先生、お友だちはみんな無事でしたもの」

「いいえ、僕の言うのは、母体の危険ではありません。どんな方法を用いても成功しないことがあるかも知れぬので、それを恐れるのです」

この言葉は夫人に不可解だったと見えて、説明を求めるような顔付きをしました。

「こう言っただけでは、よくおわかりになりますまいから、私の知っている例を一つお話しましょう」

そして私は次の話をしました。

 

(二)

 

△△刑務所で、ある晩、重罪の女囚たちが五、六人、偶然の機会から一室に会合してお互いの身の上話を始めました。

最初に母親を殺した女が、その犯罪の顛末を語りました。彼は二十五、六歳の垢抜けのした美人でしたが、どうしたわけか、幼い時分から、母親が憎くて憎くてならず、それがため、とうとう斧で殺したのだと言いました。彼女の語るところによりますと、彼女の母は彼女を生む頃、ある人の妾をしていたのですが、その後旦那に捨てられて、貧困な生活を余儀なくされ、彼女が十四の時、彼女を芸者屋へ売りました。彼女はそれから十年間ばかり、辛い稼業に従事しましたが、遂にある成金の意に叶って、身請けの相談が持ち上りました。ところが、彼女には情夫があって、彼女は身請けに不服であったにも関わらず、金に目のくらんだ母親は、ひとり決めに承諾を与えたので、平素母親を憎いと思っていた彼女は、カッと逆上して、斧をもって殺したというのです。この話をした彼女は、最後に、「どうして、あんなに母親が憎かったか、今でもわからない」と言いました。

しかし、それに対して、誰も適当な説明をするものはありませんでした。この話を聞いていた女囚たちは、別にそのことに大した感興も持たなかったようでした。彼女が話し終わると、入れ代わって、強盗殺人をした女が話し出し、次には、二十三人の貰い子を殺した女が話しました。かくて順次に話し廻って、最後に七十歳ばかりの婆さんの番になりました。

この婆さんは産婆が本業でしたけれど、堕胎を手伝って今まで十数回罰せられたという痴れ者で、後には度々「殺児」を手伝ったことが知れたので、とうとう終身懲役に処せられたんです。婆さんは、話す順番が来ても、一向口を開かぬので、みんなが、ぜひ話をするように迫ると、いかにも面倒くさそうに、

「別に面白い話はないよ」と言ったきり、相手にしませんでした。

「でも、その商売をそんなに長く続けていたら、たまには気味の悪いこともあっただろうなあ?」と強盗殺人の女が尋ねました。

婆さんは幾分か乗り気になったと見え、しばらく考えていましたが、「そうだ、たった一ぺん厭な気のしたことがあるよ」と言いました。

みんなが好奇心に駆られて、口を揃えて、その話をするように頼みましたから、婆さんは、ぽつりぽつり話しかけました。それによると、今からおよそ二十年前、婆さんは一人の女から堕胎を頼まれました。その女はある人の妾をしていたのですが、他に情夫が出来たのを見つかって捨てられたので、妊娠中の彼女は、その子の始末に困って婆さんの許を訪ねました。ところが、婆さんが、どんなに骨を折って幾度となく、あらゆる方法を講じても成功しなかったので、流石の婆さんも閉口して、生まれてからしかるべく処置をすることに決心しました。ところが、月満ちて生まれた女の子には、そのへその少し上のところに、人間の両眼を入れ墨したような恰好をした痣があって、それが婆さんや母親を睨んでいるように見えたので、婆さんも手をつける気にならず、母親もそのまま育てる気になったというのです。

「あの痣を思い出すと今でもぞッとする」と、婆さんは最後に言いました。

最前から、婆さんの話を熱心に聞いていた母殺しの女は、この時、息をはずませ、目を輝かせて尋ねました。

「婆さん、お前に頼んだその母親の名は何といったか覚えている?」

「うむ、あれだけはよく覚えてる。『いち』という名だった・・・・・・」

アッという間もなく、母殺しの若い女は婆さんに飛び掛かりました。彼女は力を込めて婆さんの頸を両手で絞めたので、みんなが引き離したときには、婆さんは既に絶命していました。

申すまでもなく、その若い女こそは、人間の両眼に似た痣の持主だったのです。

 

(三)

 

「こういうわけで、もし不成功に終われば、恐ろしい因縁にまとわられますから、考えものです」と、私は最後に付け加えました。

××夫人は、以上の話に、熱心に耳を傾けていましたが、別に顔色を変えるほどではありませんでした。

「だって、その婆さんの時代には、方法が幼稚だったからでしょう。今どき、そんなことはありますまい」と夫人は私の話を疑うかのように申しました。

恐ろしい因縁話も、どうやら夫人を思いとどまらせることが出来そうにないので、私は内心大いに狼狽しました。けれど何とか適当な策を講じたいと思ったので、

「それでは、僕の友人に、あなたのような事情の人を大いに歓迎しているものがありますから、その男を紹介致しましょうか」と、私は小声で申しました。実は、上述の因縁話をしている間に、ふとある考えを得たからです。

夫人はしばらく考えていたが、「そう、それじゃ、その方にお願いしましょう」と、案外平気で答えました。

そこで私は夫人を待たせて別室に退き、友人R宛てに、事情を告げた長い紹介状を書いて渡すと、夫人は勇ましい歩調で去りました。

その同じ日、夫人は友人Rを訪ねました。Rは私と同窓でして、私と性質が極めてよく似ており小児科の病院を経営して盛んに活動しておりました。夫人は私の紹介状を持ってその病院を訪ねたのです。これから先の話は、後にRが私に語った所です。

Rは私の手紙を読んで、夫人を奥の一室に招じ入れました。彼は窓のカーテンをみんな閉じてからテーブルを囲んで夫人と対座しました。そして、夫人の方へ顔を寄せて、

「手術をお望みですか?」と小声で言いました。

夫人は黙ってうなづきました。

「幾月目ですか?」

「三月目です」

「本当にそうですか。よく考えて下さい」

「確かにそうです」

Rは嬉しそうな顔をしました。「そりゃたいへん好都合です。実は三月目の胎児を欲しいと思っていたところですから」と小声で言って、にやりと笑いました。

夫人はいささか気味が悪く感じて、不愉快げな顔をしましたが、やがて、好奇心に燃える目をもって、Rを見つめながら、

「先生は、それをいったい何になさいますか?」と尋ねました。

Rはすこぶる真面目な顔をして、更に声を小さくしました。

「実は、それで、ある実験をしているのでございます」

「実験と申しますと?」

Rはしばらく黙っていました、が

「確かに頂戴するという条件なら申し上げます」と意味ありげに申しました。

「お約束します」

「それでは申しますが、決して他言なさって下さいますな。ご承知かも知れませんが、六ヶ月以前の胎児は、これまで、母体を離れて人工的に育てることは不可能でした。しかし、僕は適当な方法さえ講ずれば、六ヶ月以前の胎児でも立派に育て上げることが出来るという考えで、色々工夫しましたところ、四月目以後の胎児ならば、確かに育てることが出来るようになりました。そこで、僕は、この調子で進んだならば、三月目、二月目、いや場合によっては、人間を、母体を借りずに人工的に養成することが出来るという確信を得たのです。もう、よほど以前から、友人たちに頼んで密かに胎児を供給してくれる人を捜しているのですが、これでなかなか思わしく手に入りません。幸い三月目の胎児が得たいと思っていたところですから、僕にとっては誠に好都合です」

Rの熱心に語る言葉を聞いて、夫人は真面目な顔をしました。

「先生、それは本当ですか」

「本当ですとも。今までの成績だけを発表しても、確かに、新発見と言ってよいと自惚れています」

「だって、そんな不思議なことが・・・・・・」

「確かに出来るのですよ。お疑いになるなら、証拠を見せましょうか。しかし、気味を悪く思わせても相済みませんから・・・・・・」

怖いもの見たさの習いで、夫人は、ぜひ見せてくれとせがみました。Rは、回復期の小児たちが嬉しそうに遊んでいる病室の廊下を通って、夫人を実験室に案内しました。最初の部屋はまっ暗と言ってよいほどで、隅の方に、四尺立方ぐらいの孵卵器が備え付けてありました。Rはそれを指して言いました。

「この中へ、今、四月目の胎児と、五月目の胎児がおのおの三個ずつ入っております。六ヶ月を経過しないうちは、少しの光線が当たっても死にますから、今、蓋を開けてお見せすることは出来ません。養分としては、二十歳以上の女の血を特別な方法で与えておりますが、一番難しいのはガス交換の関係でして、そこを僕が苦心した結果、成功したのです」

夫人は、二個のガスの小さい焔で暖められている孵卵器を珍しそうに眺めていました。それから、実験台の上に置かれた各種のガラス製の器具に目を移しましたが、別に何とも申しませんでした。そこでRは別室に移りました。その部屋のどの窓にも緑色のシェードが下されてありました。中には三人の看護婦が、三個のガラス製の保育器内に入れられた嬰児を看護していました。嬰児の二人は眠り、1人はぱちぱち瞬きをしていました。Rは看護婦たちを、一時、別室に立ち去らしめ、夫人に向かって言いました。

「この三人の子は、いずれも四月目の胎児から育てあげたのでして、今七ヶ月になります。七ヶ月になれば、もう光線にも堪えますし、母乳でも育ちます。女の血から乳に移るときが、また実に困難でして、これまで随分度々失敗しましたよ」

夫人はこの部屋でも、一口も申しませんでした。どうしたわけか、少し苦しそうな表情をしましたのでRは急いで、夫人を、もとの部屋に伴い帰りました。

「先生、わたし、少し考えさせて頂きますわ」と夫人は少しく声を震わせて、力なさそうに言いました。

「何をですか!」

「手術をして頂くことを!」

「え? でも、あれほどにお約束下さったのに!」

「もう、二、三日考えさせて下さい」

Rは失望の色を浮べました。「そうですか、そりゃ残念ですねぇ。しかし、致し方がありません、こればかりは無理にというわけにはいきませんから。では、どうかなるべく早くご決心下さい。僕は三月目のが欲しいのですから」

夫人は、初めの元気をどこへか失ってしまって、沈んだ顔をして帰って行きました。

 

(四)

 

その翌日、Rが私を訪ねました。私が××夫人に難題を持ち込まれてRに紹介状を書くまでの話をすると、Rは、以上述べた話を致しました。

「上出来、上出来。よくやってくれた」と私は言いました。

「何しろ、僕は咄嗟の間によい考えも浮かばず、苦しまぎれに囚人の話を考え出したんだ。しかし、辻褄の合わぬ上に、話が抽象的だから、一向効き目がなかったよ。ところが話しているうちに、ふと君といつか、胎児の人工養成の可能性を論じたことがあるのを思い出し、君ならば、うまく狂言をやりおおせて、夫人の志を翻させてくれると思ったのだ。で、あの長い紹介状を書いたわけだが、月足らずの児が、ガラス製の保温器の中で養育されるということを知らぬものは、誰だってあの姿を見て気味を悪がるだろうし、また病院の内部を知らぬものは、孵卵器などを見ると、異様な感じを抱くからねぇ。そこへさして、君がもっともらしく説明すれば、さすがの夫人でも、参らざるを得ないよ」

「いや、どうも、嘘というものは中々語りにくいものだよ。僕は、自分ながら、今にも噴き出しはしないかと心配したよ。しかし、どうやら、これで罪悪を未然に防いだわけだねぇ」

果たして、その後、夫人からはRの方へも私の方へも何の音沙汰もありませんでした。つまり私たちの苦しい策が成功したわけです。最早、一々説明するまでもありませんが、私の「囚人の話」は咄嗟の場合の創作で、Rの「胎児人工養成法の発見」も、私が計画して、Rによって実演された狂言でした。三月目の胎児を育て上げるなどということは出来るものではありませんが、抽象的な「囚人の話」よりも、実物を見せただけ「人工養成法」の方が印象が深かったわけです、いずれにしても私は、私にとっての大問題を、苦しいながらも切り抜けたことを満足に思いました。

すると、十日ほど経って、××夫人から一通の手紙を受け取りました。その文句は、だいたい次のようでした。

「先生、先日は種々ご心配をかけて相済みませんでした。実は私の勘違いでして、昨日から月のものが参りました。私は嬉しいような悲しいような気がします。と申しますのは、R先生の病院をお訪ねして病室の廊下を通りましたとき無邪気なお子さん達の遊んでいるのを見て、急に子供が欲しくなりましたからです。それ故あの日、R先生が種々懇ろに説明して下さいましても私は上の空で聞いていました。どうぞおついでの節、R先生に、よろしくお断りして下さいませ」

私はこの手紙を読んで、一時、ポカンとしました。夫人が思いとどまった原因が、私たちの想像と まったく違っていたのも皮肉ですが、それよりも、もっともっと大きいのは、妊娠でなかったという「自然」の皮肉です。夫人の言葉をそのまま信じて、妊娠か否かを確かめもしなかったのは私たちの大きな手ぬかりでした。

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