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肖像の怪(大正15年発表)
(一)
△△会社員内山源吉は、高利貸富田儀助を自宅へ呼び寄せて、首を絞めて殺した上に、その死体を切断してかまどの中で焼いてしまいました。
源吉が何故そのような恐ろしい犯罪を行ったかというと、彼は学生時代の時に富田儀助から借金したのですが、利子に利子がついて莫大な額となり、到底、返すことができないところへ、儀助からしきりに返済を迫られたからであります。ことに彼は彼の勤めている会社の重役の娘と近く結婚することになっていて、儀助は、もし彼が返済しなければ、そのことを重役に告げると脅かしたことから、婚約が破れる恐ろしさも加わって、儀助を殺そうと決心したのであります。
彼はまず結婚の準備のために、郊外の、ある文化住宅を借りました。そして、儀助をそこで殺すつもりでしたから、彼は下女も雇わずひとりで住みました。その文化住宅は純西洋式に造られていましたので、食事のときや外出の際はドアに錠をおろして出ることにしました。小さな家でしたが、電話も引かれていて、すこぶる便利で、付近の景色もよく、若夫婦が住むには言わば理想的な家でした。
しかし彼は、しかるべき結婚生活を血をもって祝福しようとしました。花嫁となるべき人は、未来の良人が、そのような恐ろしい心の持主とは知らず、結婚後の華やかな生活を夢みつつ、暮らしていたのに源吉の心は反対に、黒い魔の雲に包まれて、その内に、刻一刻、殺人の計画が熟しかけていたのであります。
いよいよ計画が完成すると、彼はある日儀助に向かって手紙を出しました。拝借の金は自宅でお支払いしますから、四月×日の午後、証文を持ってご来訪を願いたいと書いたのであります。儀助は、源吉が急に金をこしらえたことを不審に思いましたが、ことによると、舅となる重役から金を借りたのかも知れぬと思い、証文を持って、先方の申し越した時間に訪ねたのであります。
彼は、日本式に言うと六畳ほどの書斎に通されました。その書斎には、窓が三つありましたが、その窓のガラス戸の前には鉄格子が作りつけてありました。書斎はただ一つのドアによって、ホールと続いていました。すなわち書斎へ入るにも、また書斎から出るにも、そのドアを使うことになっていました。そして、そのドアの真上の内側に、源吉の父親の肖像でほとんど実物大といってよいくらいの大きさの引き伸ばし写真がガラス板をはめた、どっしりした額の中に入れて掛けてありました。この源吉の父親の肖像が、後にこの事件において、実に不思議な役目をつとめるのであります。
書斎の内側にはその肖像の他に、これという目立つものはありませんでした。書棚に机、藤のテーブルに三脚の椅子なども書斎につきもので、あらためて言うには及ばないものです。儀助はその椅子の一つに腰を掛けさせられ、応接を受けたのであります。
(二)
数分の後、儀助は源吉に絞殺され、死体となって横たわっていました。源吉がいかなる方法で儀助を殺したかは、あまり残酷であるから申し上げません。また、源吉がそれから儀助の死体を切断して焼却したことについても詳しいことは申し上げないつもりです、何となればこの物語は、主として、源吉の殺人後の心理状態を述べるのが目的だからであります。
さて、源吉は、予定通り、儀助を完全になきものにしてその証文を奪ったのみならず、儀助の帽子も下駄もすっかり焼き払い、死体の灰と共に片づけてしまったのであります。換言すれば、源吉が儀助を殺したという証拠をまったく無くしてしまいました。大抵の殺人者は、どこかに手ぬかりをして、例えば血痕であるとか、または切断に用いたナイフであるとかをうっかり残して罪を暴かれるのでありますが、源吉は長い間に考えに考えて計画したことでありますから、完全に証拠を滅却したのです。
完全に証拠を滅却すれば、法律上の罪人とはならないのであります。法律は殺害の具体的証拠がなければ、たとえ殺人者といえども、これを罰することができません。すなわち殺人者は大手を振って、白日の下を歩くことができるのであります。
道徳上は大罪人でありながら、法律上無罪であるということは、いかにも残念なことですが、これは法律の性質としてやむを得ないことであります。しかし、多くの罪人は、たとえ法律の制裁を逃れても、道徳上の制裁を逃れることができません。道徳上の制裁とは何であるかというと、いわゆる良心の呵責であります。他人は誰一人知らない罪でも、自分だけは知っております。この自分だけが知っているということが、良心の呵責となり、遂にその罪悪が露見したり、あるいは不思議な、いわば、怪奇的な方法で、直接制裁を受けるようなことになるのであります。
富田儀助を殺してその証拠を無くした源吉も、この良心の呵責をいかんともすることができませんでした。彼は儀助を殺してその証拠を無くするまでは、万事予定の通りに実行しましたが、良心の呵責の処置についてはまったく何事も予定していなかったのであります。それもそのはず、殺して見なければ良心の呵責は起きないのですから、殺さない前に、それに対する処置の講じようがありません。
彼は今まで殺人者が良心の苛責のために、殺したものの幽霊を見るとか、または怪異な出来事に出会うとかいうことは、物語や芝居で読んだり見たりしていましたけれど、自分にはそういうことはあるまいと高をくくっていたのであります。ところが、いったん人を殺してみると、まったくその予想が裏切られたことを感じました。死体を焼却し終わるまでは、まるで夢中で行動していたのですが、いよいよ証拠を滅却して一息つくなり不安な、いらいらするような心が猛然として起こってきたのであります。
(三)
話変わって、ここに被害者たる富田儀助の家族について申し上げましょう。儀助は早く妻を失って、一人息子の哲男は、今××中学の四年級なのであります。家は儀助と哲男と女中の三人暮らしでしたが、その日、哲男は、夜遅くまで、父が帰らないので、非常に心配をして、父が出がけに内山源吉さんの家を訪ねると言ったことを思い出し、女中に電話を掛けさせたのでした。ところが、留守のためか、どうしても通じなかったので、不安の一夜を明かして、あくる朝女中に源吉方を訪ねさせると、儀助は昨日の午後六時頃に帰ったとの返事でした。びっくりして電話で方々の心当たりを尋ねましたが、父の行方は少しもわかりませんでしたから、遂に警察に訴え出たのであります。
刑事は事情を聞いてまず内山方を訪ねましたが、何の要領をも得ませんでした。一日過ぎ、二日過ぎても儀助は帰らなかったので、もしや内山源吉が儀助を殺害したのではないかと疑い、刑事は令状を持って家宅捜索をしましたが何ものをも発見することができませんでした。一週間、二週間経っても儀助は帰らないので、儀助が死んだことは、どうやら確かになったらしいが、さて、誰に、いかなる方法で殺されたかはわかりませんでした。
しかし、哲男は、前後の事情から察して、内山源吉が父を殺したに違いないと思いました。父が内山源吉の家を訪ねた以後、誰も父の姿を見たものがないとすれば、父は内山方で殺され、その死骸を何らかの方法で片づけられたに違いないと推定しました。彼は非常に源吉を憎みました。何とかして復讐してやりたいと思いました。しかし、警察でさえ、いかんともすることができないのに、自分がどうして彼の罪を暴くことができよう。たとえ腕力を用いたとしても年長の内山にはかなわない。かといって、内山をあのまま横行闊歩させておくことは父の霊に向かって申し訳がない。
こう考えると哲男は言うに言えぬ焦燥を感じたのでした。彼はかねて探偵小説を愛読していたから、何かよい知恵が出ないものかと読み古した書物を引っ張り出しました。探偵小説の知識を役立てるにはまたとない機会だと思いました。そして、父の仇を取ってやろうという念は、日に日に強くなって行きました。
(四)
一方源吉は、警察の眼をうまくごまかすことができました。けれども心の不安から免れることはできませんでした。かえって彼の心はだんだん重くなるばかりでなく、神経がいたって鋭敏になり、わずかな物音にもびくつくようになりました。ことに、たったひとりで、郊外の文化住宅に住むということが、はなはだ気味が悪く、彼は幾度かこの家を捨てて、再び下宿住まいをしようかと思いましたが、自分が去れば、後に入った人に自分の罪を発見されはしないかという恐怖があって、どうしても去る勇気がありませんでした。
しかし彼は、不思議にも、殺した儀助の夢を見ませんでした。それが、幾分か彼の心を安らかにしていたのでありますが、とうとう五月のある夜、彼は不思議な出来事に出会ったのであります。
その夜彼がいつものごとく遅く帰って見ると、電話のベルが激しく鳴りました。何でもありませんでしたけれども、その夜は直感とでも言いますか、何となく変な気がしたので、ベルの音を聞くなり彼はぞっとしました。しかし、ベルがしきりに激しく鳴りますので、受話機を外して耳に当てると、しばらくの間
「じーっ、じーっ」
というばかりでした。
「もしもし」
と彼は言いました。すると、先方は、
「ひ、ひ、ひ」
と、笑うような声を出しました。彼はぎょっとしましたが、続いて、
「人殺し、人殺し、人殺し」
と、まるで、地獄の底からでも聞こえて来るような、何ともいえぬ無気味な声がしました。しかもそれが何だか、聞き覚えのあるような声でしたから、彼の全身の血は、一時に頭に逆上してきました。
「俺は富田だ。儀助だ。今日は俺の五七日(ごなのか※命日から三十五日目に当たる忌日法要のこと)だ」
はっと思う拍子に電話は切れてしまいました。彼はひょろひょろとしてその場にうずくまりましたが五七日と聞いて、初めて彼が儀助を殺してから今日で三十五日過ぎたことを知り、忌日にあたって、地獄から電話が掛かったのだと考えました。
その夜、彼は一睡もできませんでした。彼は寝室に固く錠をおろして、ベッドの中にもぐっていましたが、儀助の幽霊がそこらあたりにさまよっていはしないかと思うと、顔をあげることさえできませんでした。しかし、朝になって太陽の光が窓から入って来たとき、
「地獄から電話が掛かるというはずがない。誰かがいたずらをしたのだ」
と、自分の臆病を笑いました。けれど彼の神経はこのことがあってから非常に鋭敏になりました。
不思議な電話はその後再び掛かりませんでした。ところがある夜、彼が家に帰ると、書斎の引き出しがことごとく引き出したままになり、書棚の書籍がみな後ろ向きに並べられ、寝室のベッドがいつもの位置と正反対に置かれてありました。彼は泥棒が入ったのではないかと捜して見ましたが、別に何も失ってはおりませんでしたが、便所へ行くなり彼はぎょっとしました。便所の壁に、墨の色鮮やかに大文字で「六七日(むなのか※命日から四十二日目に当たる忌日法要のこと)」と書かれてあったからです。
彼は思わず便所から走り出しました。彼はその時先日の電話の不思議があってから七日を経ていることに気づいて、一層気味悪く思いました。その晩も彼は興奮して眠れませんでしたが、朝になってよく考えてみると、やはり誰かのいたずらであるに違いないと思われました。で、彼は、もう一度よく便所に書かれた文字を見届けようと思って入って行きました。すると、どうでしょう。壁に書かれた「六七日」の文字は完全に消えてなくなっていました。
彼はもう、この家に居るには耐えられないように思いました。しかし、どうした訳か、気味が悪いと思えば思うほどこの家を見捨てることが恐ろしくなりました。もし誰かのいたずらであるとすれば警察に保護を願えばよいけれども、人殺しの罪を持つ身が、警察に救いを求めることは、どうしてもしがたいところでした。
五七日と六七日とに、このような奇怪なことがあった以上、七七日(なななぬか※命日から四十九日目に当たる忌日法要のこと)には、どんなに恐ろしいことが起こるかも知れない。こう思って彼はいっそ旅行でもしようかと考えましたが、一晩でも家を空けるということが、何となく危険に思えたので、あたかも夏虫が、灯の周りをくるくる回っているように、どうしてもこの家を離れることができなかったのです。
いよいよ七七日が来ました。彼はその後毎日勘定していたので七七日を忘れませんでした。彼は今夜こそどこかで泊ろうかと思いましたが、やはり一面には家に帰りたくてならないような衝動に駆られました。ちょうど蛇を怖がる人が蛇を見たがる心理と同じものでした。
彼は夜遅くわが家のドアを開けました。何事か起きるかと思ってしばらく佇んだまま耳を澄ましましたが、家の中はしーんとしているだけでした。彼は引きずられるように書斎に入りました。書斎は彼が儀助を殺したところですから夜分は入らないことにしていましたが、その夜に限って、入って見たくなりました。そして彼は背伸びをして電燈をつけました。
その時です。彼は世にも不思議なことが起こっていたことを知りました。
ドアの上に掛けてある父の実物大の肖像が、いつの間にか、富田儀助の肖像に変わって儀助が彼をにらんでいるではありませんか。
ひやっと叫んで彼は書斎を飛び出そうとしました。ところがドアは、釘付けされたようになって、開きませんでした。彼は死に物狂いになって握りをつかんで、ドアを前後に揺すりました。
と、その時、真上に掛けられてあった儀助の肖像の額の糸が、ぷっつり切れたかと思うと、額は源吉の脳天にがんと当たって打ち砕け、源吉はそのままガラスの破片の中に、死体となって横たわったのであります。
× × × ×
もはや読者諸君の想像されたであろうごとく、すべては、富田哲男のいたずらでした。すなわち彼は五七日の夜に電話を掛けて、自分の声が、父の声に似ていることを利用して相手に恐怖を起こさせ、六七日に忍び込んで、引き出しを引き出したりその他のいたずらを行った後、便所の壁に隠顕インク※で「六七日」と書き、更に七七日には、書斎の中の肖像を父の肖像に替え、ドアの錠に仕掛けをして、いったん中へ入ったら、中からは再び開かないようにしたのであります。
彼はただそれらのいたずらによって、源吉に恐怖を与え、自首させようと計画したのに過ぎません。ところが運命は遂に源吉を死に導いたのであります。
読者諸君、哲男は源吉の死に、果たして責任を持たなければならないでしょうか? それは諸君の判断に任せておくことにしましょう。
※紙に書いた時点、もしくは少し時間をおいた後に見えなくなる物質を使ったインク。