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更新日:2025年8月18日公開 印刷ページ表示

恋愛曲線(大正15年発表)

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親愛なるA君!

君の一代の盛典を祝するために、僕は今、僕の心からなる記念品として、「恋愛曲線」なるものを送ろうとしている。かような贈り物は、結婚の際はもちろんのこと、その他はいかなる場合においても、日本はおろか、支那でも、西洋でも、否、世界開闢以来、いまだかつてなん人によっても試みられなかったであろうと、僕は大いに得意に感じざるを得ない。貧乏な一介の医学者たる僕が、たとえおのれの全財産を傾けて買った品であっても、百万長者の長男たる君には、決して満足を与え得ないだろうと信じた僕は、熟考に熟考を重ねた結果、この恋愛曲線を思いつき、これならば十二分に君の心を動かすことができるだろうと予想して、この手紙を書きながらも、僕は、生まれてから初めて経験するほどの、胸の高鳴りを覚えつつあるのだ。君が結婚しようとする雪江さんは、僕もまんざら知らぬ仲ではないから、君たちの永遠の幸福を祈ってやまぬ僕は、ここに君に向かってうやうやしく恋愛曲線を捧げ、もって微意を表したいと思うのである。君は、僕のような武骨一点張りの科学者が、恋愛などという文字を使用することにすら、滑稽を覚えるかも知れぬが、しかし僕は君の考えているほど「冷血」ではなく、多少の温かい血は流れているつもりだ。流れておればこそ、君の結婚に対して無関心ではいられなくなり、頭脳を搾って、縁起のよかるべき名をもった、この贈り物を考え出したのである。

明日に迫った君の結婚に、今夜差し迫って手紙を書くということははなはだ礼を欠いているかも知れないが、恋愛曲線の製造が今夜でなくては行い得ないものだから、気を揉みながらも、やっと明日の朝、君の手許に届けることになってしまった。さだめし君は、多忙を極めているであろうが、しかし僕は、君がどんなに多忙な中でも、僕のこの手紙を終わりまで読んでくれるであろうと堅く信じている。だから僕は、ご迷惑ついでに、恋愛曲線の何ものであるかということを十分説明しておきたいと思うのだ。ひと口に言えば、恋愛の極致を曲線として表現したものであるが、開闢以来誰にも試みられなかったであろう贈り物の由来を物語っておかぬということは、君も物足らなかろうし、僕もすこぶる心残りがするから煩雑ながら、我慢して読んでくれたまえ。

この恋愛曲線の由来を最も明暸に理解してもらうためには、まずひと通り、君の結婚に対する僕の心持ちを述べておかねばならぬ。君を最後に見てから約半ヶ年、その間、絶えて音沙汰をしなかった僕が、突然、君に、世にも珍しいこの贈物をするについては、何か深い理由があるだろうと、早くも君は察するであろう。いや、聡明な君は、一歩進んで、その理由が何であるかをもあるいは知り抜いているであろう。

君のいわゆる「冷たい血しか流れておらぬ」僕が恋の敗北者であるということを、君は百も承知のはずである。だから、僕に対して恋の勝利者である君は、僕の贈り物が、一面においていかに悲しい思い出をもって充たされているかをも十分認めてくれるであろう。もっとも君は多くの女に失恋させた経験こそあれ自身には失恋の痛苦を味わったことがなかろうから、あるいは同情心を起こしてくれぬかもしれない。まったく君は女に対して不思議な力を持った男である。君の眼から見たら、たったひとりの女を奪われて、失恋の淵に沈む僕のような男の存在はむしろ奇怪に思われるであろう。しかし、何と思われたってかまわない。僕はやっぱり君のその不思議な力が羨ましくてならぬ。ことに君の金力に至っては、羨ましいのを通り越してうらめしい。その金力の前に、まず雪江さんの両親が額ずき、ついで雪江さんも額ずくことを余儀なくされたのだ。・・・・・・いや、こういう言葉を使うのはいかにも僕が君に対して恐ろしい敵意を持っているかのように見えるかもしれぬが、僕は元来意志の弱い人間で、人に敵意を持てないのだ。もし真に敵意を持っているならば、こうした贈り物はしないはずである。君に対してすこぶる礼を失するかも知れぬが、現になお雪江さんに対して、強い愛着の念を持っている僕が、雪江さんの良人となる君に、どうして敵意を差しはさむ事ができよう。僕は、この手紙を書きながらもやはり君たち二人の真の幸福について考えつつあるのだ。

半ヶ年前に、失恋の痛手を負った僕は、その後世間の交渉を絶って、研究室に閉じこもり、ひたすら生理学的研究に従事した。それからというものは、研究そのものが僕の生命であり、また恋人であった。時には、雨の日の前に古い肋膜炎の跡が痛みだすように、心の古傷も疼きだすことがあったが、何事も過去のことと諦めて、研究に邁進し、やっと近頃悲しい記憶を下積みにすることができ、君たちの結婚の日取りまでうっかり忘れるところであったが、先日はからずも、ある人から、君がいよいよ明日結婚するという手紙をもらい、それがため、下積みにされた記憶が、非常な勢いで浮かび上がり、遂に今回の贈り物を計画するに至ったのである。

君は実業家であるから、科学者なるものがどんな生活を営み、どんなことを考え、どんな研究を行っているかということを恐らくは知るまいと思う。外見上では、科学者の生活はいかにも冷たいものであり、またその研究事項はいかにも殺風景極まるものであるが、真の科学者は常に人類同胞を念頭に置き、人類に対する至上の愛をもって活動しつつあるのであって、従って、真の科学者には――えせ科学者はいざ知らず・・・・・・恐らく、誰よりも温かい血が流れているべきはずである。実際誰よりも温かい血が流れていなくては真の科学者たることはできないのだ。

さて僕が、失恋の痛苦を味わってから選んだ研究題目は何であるかというに、君よ、笑うなかれ、心臓の生理学的研究だ。しかし僕は、ブロークン・ハートにちなんで、この題目を選んだ訳では決して無い。それほどの茶目っ気は僕には無いのだ。破れた心臓の修理を行うために、まず心臓の研究に取り掛かったと言えばすこぶる小説的であるが、僕はただ、学生時代から心臓の機能に非常に興味を持っていたから、好きな題目を選んだのに過ぎない。ところがこの偶然選んだ研究題目がはからずも役に立って、君の一生の最もめでたかるべき儀式に、恋愛曲線を贈り得るに至ったのである。

恋愛曲線! これからいよいよ恋愛曲線の説明に移ろうと思うが、その前に一言、心臓が普通どんな方法で研究されているかを述べておかねばならない。心臓の機能を完全に知るためには、心臓を体外へ切り出して検査するのが最もよい方法である。心臓は、たとえこれを体外へ切り出しても、適当な条件を与えれば、平気で拍動を続けるものだ。単に下等な動物の心臓ばかりでなく、一般温血動物から人間に至るまで、その心臓は身体を離れても独立に、拡張、収縮の二運動を繰り返すのだ。心臓を切り出せばその個体は死ぬ、個体は死んでも心臓は動き続ける! 何と不思議な現象ではないか。試みに今、君の心臓を取り出して打たせてみたら、どんな有様だろうか、また、試みに今、雪江さんの心臓を切り出して打たせてみたら、どんな状態だろうか。さらに君の心臓と雪江さんの心臓とを並べ打たせたならば、どんな現象が見られるだろうか。君! 手足や胴体をそなえた人間にはとかく偽りが多いが、心臓は文字通り赤裸々だから、誰にもはばからぬ打ち方をするに違いない、結婚を目の前に控えた君たちの心臓を思って、このような愚にもつかぬ想像を巡らせながら、僕は今、この手紙を書きつつあるのだ。

思わずも記述が脇道へ入ったが、動物はもちろん、人間の心臓も、その個体が死んだ後でさえ、これを切り出して適当な条件の下に置けば再び動き出すものだ。クリアブコという人は、死後二十時間を経た人間の死体から、心臓を切り出して、これを動かしてみた所が約一時間、確かに動き続けたということだ。人間が死んでも、心臓だけが、二十時間も余計に生きているということは見ようによって、いかに心臓が生に対する執着の強いものだかということを知るに足ろう。昔の人が恋愛のシンボルとしてハートを選んだのも、偶然でないような気がする。だから、考え様によっては、心臓にこそ、人生のあらゆる神秘が蔵せられていると言ってよいかも知れない。かくして、人生の神秘を探ろうと思った僕が、心臓を研究の対象としたのも、ゆえ無きにあらずと言えるだろう。

恋愛曲線の由来を語るには、いかにして心臓を切り出し、いかなる方法で心臓を打たせるかという事をも一応述べておかねばならぬ。君が多忙であるということは重々お察しするが、手紙を書きつつある僕も、この手紙を書き終わると共に恋愛曲線を製造しなければならぬから、かなり心が急くのだ。しかし、僕は繰り返して言う通り、君に十分理解して欲しく、できるなら、君の心臓の表面に、この手紙の文句を刻みつけたいと思うほどだから、しばらく我慢して読んでくれたまえ。

初め僕は蛙の心臓を切り出して研究したけれども、医学は言うまでもなく人間を対象とする学問であるから、なるべく人間に近い動物を選びたいと思い、後には主として、兎の心臓について研究を進めた。しかし、蛙の心臓よりも、兎の心臓の方が、その取り扱い方ははるかに複雑であるから、かなり熟練を要する仕事であり、初めは助手を要するほどであったが、後にはひとりで何事もできるようになった。まず兎を固定器に仰向けに縛りつけてエーテル麻酔をかける。兎が十分麻酔した時機を見はからって、メスとハサミとをもって、胸壁の心臓部をできるだけ広く切り取り、しかる後心臓嚢を切り開くと、そこに、盛んに活動しつつある心臓が現れる。胸中深く秘められた心臓は、外気に晒されても、何食わぬ顔して動き続けている。君! まったく心臓は曲者だよ。「ハートはままにされない」と誰かが言ったが、まったくその通りだ。いよいよ心臓が現れると、今度はそれを切り取るのだが、そのままメスをあてては出血のために手術ができなくなるから、大静脈、大動脈、肺静脈、肺動脈等の大血管をことごとく糸をもって縛り、しかる後にメスをもってそれ等の大血管を切り離すのだ。

切り出した心臓は、すぐさま、いったん摂氏三十七度内外に温めたロック氏液を盛った皿の中に入れるのだ。栗の実ほどの大きさをした兎の心臓は、さすがにぐったりして一時拍動を中止する。そこで、手早く、肺動脈と肺静脈の切り口を縛り、大動脈と大静脈の切り口にガラス管を結びつけ、さらに取り出して特別に設けられた一尺立方ほどの箱の中の、適当な場所にガラス管を結びつけ、摂氏三十七度に温めたロック氏液を通ずると、心臓はみごとに打ちだすのだ。このロック氏液というのは一パーセントの塩化ナトリウム、〇・二パーセントの塩化カルシウム、〇・二パーセントの塩化カリウム、〇・一パーセントの重炭酸ナトリウムの水溶液であって、ほぼ血液中の塩類成分の量に一致しているから、心臓は血液を送りこまれているのと同じ状態になって、その拍動を続けるのだ。しかし、ただこの液を通ずるだけでは、心臓も遂には疲れてくる。いかに生に執着の強い心臓でも、外からエネルギーを仰がなければ、動き続けることはできない。卑近な言葉で言えば、食物が欠乏しては動けない。そこで通常この液の中へ、エネルギーの源すなわち心臓の食物として、少量の血清アルブミンかまたはブドウ糖を加えると、心臓は長い間拍動を続けるのである。一番よいのは、ロック氏液の代わりに血液を通過させることであるが、通常の実験にはロック氏液だけで十分だ。なお心臓を自由に活動させるには酸素を必要とするから、通常ロック氏液に酸素を含ませて通過させるのだ。

心臓を働かせる箱の中の空気の温度も、やはり摂氏三十七度内外にしてある。そうしてロック氏液は箱の上から流すようになっており、心臓を通過した液は箱の下へ落ち去るようになっている。箱の中で、心臓だけが働いている光景は、到底君には想像も及ばぬほど、厳粛な感じを与えるものだ。切り出された心臓は立派な一個の生物だ。バラのような紅い地色に黄の小菊の花弁を散らしたような肉体を持つ魔性の生物は、渚に泳ぎ寄るくらげのように、収縮と拡張の二運動を律動的に繰り返すのだ。また、じっとその運動を眺めていると、心臓はあたかも自分の自由意志をもって動いているかのように思われる。ある時はその心臓に小さな目鼻ができて、母体から切り離されたことを恨んでいるかのように見え、ある時はまた浮世の空気に触れたことを喜ぶかのように見え、さらにある時は、心臓だけを切り出して生物本来の心臓機能を研究しようとする科学者の愚を笑っているかのようにも見える、しかし、これはただ僕の幻覚に過ぎぬのであって、元来心臓は体内にあっても体外に切り出されても、その全力を尽くして働くもので all or nothing(すべてか、無しか)の法則が厳然として行われつつあるのだ。すなわち心臓は、いったん働こうと決心したならば全力を尽くして働くのだ。いわば心臓ほど忠実な働き工合をするのは、めったに見られないのだ。この点がまた、恋愛のシンボルたるに最も適していると僕は思う。すなわち、どんな刺激が来ても、刺激の多寡によって打ち方を違えるということをせず、打つならば全力を尽くして打ち、打たぬ時は決して打たぬという心臓の性質は、ちょうど金力やその他の外力にはびくともせぬ真の恋愛の性質に比較すべきであろうと思う。真に恋する同志には、たとえどんな障害物がその間に横たわっておろうとも、かのラジオの電波が通うように、その心臓の拍動の波は互いに通い合うと思う。実際、君は知っているかどうかは知らぬが、心臓は、動く度ごとに電気を発生するもので、その電気を研究するために、電気心働計なるものが考案されている。そしてこの電気心働計こそは僕のいわゆる恋愛曲線の製造元なのだ。

だが、電気心働計の説明に移る前に、以上のごとく切り出した心臓の運動を、いかにして分析し研究するかということを語っておかねばならない。ただ肉眼で観察しただけでは、精確な比較研究をすることができぬから、どうしてもその運動を適当に記録しなければならない。その運動を記録したものがすなわち「曲線」なのだ。従って恋愛曲線なる語は、恋愛運動の記録ということを意味するのだ。君は、地震が地震計によって曲線として記録されることを聞いたであろう。今、煤を塗った紙を円筒に巻きつけて、それを規則的に廻転させ、運動する物体から突き出した細いテコの先をその紙に触れさせると、その物体の運動に従って、特殊な曲線が白く現れる。心臓の運動もこれと同じ方法によって煤紙に書かせることができるのであるけれど、僕は特に心臓の発生する電気に興味を持ったので、主として前記の電気心働計を使って、研究の歩を進めたのだ。

すべて筋肉が運動する際には、必ず多少の電気が発生する。いわゆる動物電気なるものがこれであるが心臓も筋肉でできた臓器であるから拍動ごとに電気が発生する訳だ。そしてその電気の発生の有様を、曲線で表そうとする器械が電気心働計なるものだ。この器械を最初に発明した人はオランダのアイントホーフェンという人だ。曲線といっても、前に述べたような簡単なものではなく、その原理はいささか複雑である。心臓から出る電気を一定の方法によって導き、それを蜘蛛の糸よりも細い、白金プラチナでメッキした石英糸に通過させ、糸の両側に電磁石を置くと、糸を通過する電流の多寡によって、その糸が左右に振れるから、その糸をアーク燈で照らすと、糸の影が左右に大きく振れ、それを細い隙間をとおして、写真用の感光紙に直接感じさせ、しかる後現像すれば、心臓の電気の消長を示す曲線が、白く現れる訳である。感光紙は活動写真のフィルムのように巻きつけて備えられてあるから、二十分、三十分間の心臓運動の模様も、自由に連続的に曲線として表すことができるのである。僕が君に送らんとする恋愛曲線も、この感光紙に表わされた曲線にほかならない。

さて、僕はまず、僕の研究の準備として、切り出した心臓について、諸種の薬物の作用を研究したのだ。すなわち、最初にロック氏液を心臓に通じて、常態の曲線を写真に撮り、しかる後試験しようと思う薬品をロック氏液に混ぜて通じ、その時に起こる心臓の変化を曲線として撮影するのである。肉眼で見ているだけでは、あまり変化がないようであるけれども、曲線を比較して見ると、明らかな変化を認め、それによって、その薬物が心臓にいかなる風に作用したかを知ることができるのだ。ジギタリス剤、アトロピン、ムスカリン等の猛毒からアドレナリン、カンフル、カフェイン等の薬剤に至るまで、心臓に作用する毒物薬物のほとんどすべてにわたって、僕はいちいちの曲線を作り上げたのだ。しかし、これだけのことは、別に新しい研究ではなく、すでに多くの人によって試みられた所であって、要するに僕の本研究の対照試験に過ぎなかった。

しからば僕の本研究は何物であるかというに、ひと口に言えば、各種の情緒と心臓機能との関係だ。すなわち俗に言う喜怒哀楽の諸情が発現したとき、心臓はその電気発生の状態にいかなる変化を来たすかということだ。誰しも経験する通り、驚いた時や怒った時には、心臓の鼓動が変化する。僕はそれを切り出した心臓について、いわゆる客観的に観察したいと思ったのだ。恐怖の際に血中にアドレナリンが増加するという事実は既に他の学者の認めた所であるから、恐怖の際の血液を、切り出した心臓に通じたならば、アドレナリンを通じた時と、同じ変化が曲線の上に表われるはずだ。この事実から類推する時は、恐怖以外の他の諸情緒の際にも、血液に何らかの変化があるはずで、従って、動物に喜怒哀楽の諸情を起こさせ、その時の血液を、切り出した心臓に通じて、電気心働計によって曲線を撮ったならば、各種の情緒発現の際、血液中にどういう性質の物質が現れるかを推定することができる訳である。

しかし、このような研究には、言うまでもなく幾多の困難が伴うものだ。理想的に言えば、心臓を切り出した同じ動物を怒らせたり、苦しませたりして、その血液を通じなくてはならぬが、それはできない相談だ。で、致し方がないから、甲の兎の心臓、乙の兎の種々の情緒発現時における血液を採って、それを通じて研究することにした。次になお一層困難なことは、兎を怒らせたり、悲しませたりすることだ。兎は元来無表情に見える動物であるから、その顔付きから、喜怒哀楽の情を認めることはできず、従って、怒らせたつもりでも兎は案外怒ってもおらず、また楽しませたつもりでも、兎は案外楽しんでおらぬかも知れぬのには、はたと当惑せざるを得なかった。

そこで、僕は兎の実験を中止して、犬についてやってみることにした。すなわち甲の犬の心臓を切り出して、しかる後、乙の犬を怒らせ、または楽しませて、その血液を採って通過させたのだ。それによって曲線を作ることはできたけれど、やっぱり、理想的ではないのだ。というのは、せっかく犬を楽しませてもいざ血を採るとなると大いに怒るので、結局怒りの曲線に近いものができ、それかといって犬に麻酔すれば、無情緒の曲線しか取れない訳で、ただ憤怒の際、または恐怖の際の曲線だけが比較的理想に近いものとなった訳である。

こういう訳であるから、諸種の情緒発現の際の血液が心臓に及ぼす影響を理想的に曲線に描かせるためには、人間について実験するよりほかはないのである。人間ならば、怒った時の血液、悲しい時の血液、嬉しい時の血液が比較的容易に採取し得るからだ。そうは言いながら、人間の実験で困ることは人間の心臓が容易に手に入り難いことだ。死んだ人の心臓でも滅多に手に入り難いのであるから、いわんや生きた人の心臓をやだ。で、やむを得ないから僕は兎の心臓で実験することにした。また、血液の点について言っても、誰も喜んで血液を提供してくれるものはないから、僕は自分自身の血液で実験することにした。すなわち僕は、色々な小説を読んで、あるいは悲しみ、あるいは憤り、あるいは嬉しい思いをして、その度ごとに注射針をもって、左の腕の静脈から五グラムずつの血液を取って、実験をしたのだ。兎の場合でも犬の場合でもそうだが、すべて血液を採る時は、凝固を防ぐために、注射針の中へ、一定量のシュウ酸ナトリウムを入れておくのだ。

かくて得た曲線を研究して見ると、嬉しい時、悲しい時、苦しい時などによって、その曲線に明らかに差異が認められた。恐怖の時の曲線は、やはりアドレナリンを流した時の曲線に類似し、快楽の時の曲線はモルヒネを流した時の曲線に類似していたが、それはただ類似しているというに過ぎないのであって、微細な点に至っては、それぞれ特殊な差異が認められるのであった。そして、後に、僕は練習によって、どれが恐怖の曲線か、どれが愉快の曲線か、どれがアドレナリンの曲線か、どれがモルヒネの曲線かということを、曲線を見ただけで区別することができるようになった。なおまた、この曲線は兎の心臓を用いても、犬の心臓を用いても、また新たに羊の心臓を用いても、同じような変化を来たすものであることを経験したのである。

しかし君、学問研究に従事するものは、誰しも研究上の欲が深くなるもので、兎と犬と羊とについて同じような結果が出たならば、それで満足すべきであるのに、僕は一歩進んで何とかして人間の心臓について実験を試みたいと思うようになったのだ。前に書いた通り、人間の心臓は、死後二十時間を経ても、なおかつ拍動させることができるから、せめて死体の心臓でもよいから手に入れたいものだと、病理解剖の教室や、臨床科の教室の人に頼んでおいたのである。

するとここに、運よくも、ある女の心臓を一個手に入れることができた。その女は十九歳の結核患者であった。彼女は、恋する男に捨てられて、絶望のあまり健康を害し、内科に入院して不帰の客となったのだが、生前彼女は口癖のように、「私の心臓にはきっと大きなひびが入っています。どうか、死んだら、くれぐれも心臓を解剖して医学の参考にしてください」と言ったそうだ。ちょうど僕の友人がその受持ちだったので、彼女の遺言に従って、僕がその心臓をもらったのだ。

いままで、兎や犬や羊の心臓を切り出すことに馴れていた僕も、たとえ死体であるとはいえ、その女の蝋のように冷たくかつ白い皮膚に手を触れてメスをあてた時は、一種異様の戦慄が、指先の神経から全身の神経に伝播した。しかし、薄い脂肪の層、いやに紅い筋肉層、肋骨と、順次に切り進んで胸廓を開き、心嚢を破って心臓を出した時分には、僕はやはりいつもの冷静に立ち帰っていた。もとより彼女の心臓にひびは入っていなかったけれども、心臓は著しく痩せていた。これまで、動物の生きた心臓のみを目撃してきた僕にとっては、初め、心臓らしい気さえ起こらなかった。死後十五時間を経ていたが、異様にひやりとしたので、僕は切り出した心臓を手につかんだまましばらくぼんやりした。はっと我に返って、温かいロック氏液の中へ入れてよく洗い、ついで箱の中へ装置して、ロック氏液を流すと、初め心臓はあたかも眠っているかのようであったが、しばらくしてぱくりと動き出し、間もなく、威勢よく打ちだした。予期したことではあるが、僕にはその女が蘇生したように思われ、何ともいえぬ荘厳な感に打たれて、僕はいつの間にか実験ということを忘れて、その微妙な運動を見つめた。そして、その心臓の持ち主について考えた。失恋! 何という悲しい運命であろう。僕はその時、人ごとならず思ったよ。僕も同じく失恋の苦しみを味わう人間ではないか。かつてこの持主の生きていた時分、この心臓はいかに激しく、また、いかに悲しく打ったことであろう。その古い、苦しい記憶も、今はロック氏液によって洗い去られたと見え、何のこだわりもなく収縮、拡張の二運動を繰り返している。恐らく彼女の失恋以後、一日として、この心臓は平静な打ち方をしなかったであろう。打て! 打て! ロック氏液はいくらでもあるから、打って、打って打ち尽くすがよい。

ふと、気がついてみると、心臓は著しくその力を弱めた。無理もない。打ちかけてからおよそ一時間を経ていたのだ。思わぬ空想に時を費やして、情緒研究を忘れていた僕は、科学者としての冷静を失ったことを恥じつつ、折角貴重な材料を得ながら、これを無駄にするのはもったいないと考えた。そして、咄嗟の間に思いついたのが、失恋の情緒の研究だ。失恋をした人の心臓へ、失恋をした僕の血液を通じて曲線を採ったならば、それこそ理想的な失恋曲線が得られるのではないか。

僕は手早く、例によって、左の腕より血液を取り、それをこの心臓の中へ流しこんで、電気心働計を働かせた。だんだん弱ってきた心臓は、僕の血液に触れるなり、急に勢いを増して、およそ三十回ほど激しく拍動したが、またたちまち力を弱めて、今度はぱったりやんでしまった。すなわち、心臓は死んだのである。永久に死んだのである。でも、曲線だけは、鮮やかに現像され、分析研究してみたところ、悲哀とも、苦痛とも、憤怒とも、恐怖とも、どれにも類しない。また、どれにも類しているような性質を持っていた。

さて、失恋曲線を作った僕は、失恋の反対の情緒たる恋愛曲線を得たいものだと思うに至った。けだし、飽くことを知らぬ科学者の欲望である。しかし、かつては恋愛を感じても、今は失恋をしか感じない僕が、どうして恋愛曲線を作ることができよう。これは及びもつかぬことである。こう考えて諦めようとすればするほど、いよいよ作って見たくて仕様がなくなった。そして、後にはこれが一種の強迫観念になってしまった。と言って、君に対してはなはだ失礼な言葉ではあるが、君とは違って雪江さん以外に、何人にも恋を感じなかった僕が、今さら、誰に真実の恋を感じることができよう。実際、僕は、真実の恋を雪江さん以外の人には感じ得ないのだ。して見れば、到底恋愛曲線は得られない訳だ。と思っても、やはりいったん強迫観念となったものは容易に去らない。で、致し方がないから、失恋を転じて恋愛となすべき方法はないものかと、僕はしきりに考えを巡らしたよ。そして、考えて、考えて、僕は一時発狂するかと思うほど考えたのである。

ところが、はからずも、先日、ある人から、君と雪江さんとが、いよいよ結婚するという通知を受け取ったのである。すると、あたかも焼け杭に火のついたように、失恋の悲しみは、僕の体内で猛然として燃え出した。言わば、僕は失恋の絶頂に達したのである。と、その時、僕はこの絶頂に達した失恋をそのまま応用して、恋愛曲線を書くことができるという信念を得たのである。

君は数学で、マイナスとマイナスとを乗ずるとプラスになるということを習ったであろう。僕はこの原理を応用して、失恋を恋愛に変えようと思ったのだ。すなわち、失恋の絶頂に達した僕の血液を、失恋の絶頂に達した女の心臓に通過させたならば、その時に描いた曲線こそは、恋愛の極致を表すものだと僕は考えたのだ。こういうと君は、失恋の絶頂に達した女をどこから連れて来るかと尋ねるであろう。しかし、その心配は無用である。何となれば、僕が以上のごとき原理を考え出したのも、実は失恋の絶頂に達した女を見つけたがためであって、その女こそは、ほかならぬ、君と雪江さんとの結婚を知らせてきた手紙の主なのである。

君は定めし思い当たることがあるであろう。その手紙の主こそ、君の結婚によって、失恋の極致に達したのだ。君は多くの女を愛したことがあるから、女の気持ちも多少わかっているだろうが、その女も僕が雪江さんひとりを思っているように、一人の男にしか真実の恋を感じないので、君たちの結婚によって失恋の絶頂に達したのだ。同じく君たちの結婚によって失恋を感じた僕とその女とがひとつの曲線を作り上げたら、それこそ、前に述べた原理によって、まさしく恋愛曲線ではなかろうか。しかも、その女は絶望のあまり死のうとしているのだ。君よ、死にまさる強さが世にあろうか。僕はその女の決心を聞いて僕の失恋の度のむしろ弱かったことを恥じた。僕はその女のために非常に勇気づけられた。そして今夜その女に直接逢って、彼女の決心を聞き、僕の胸中を述べると女は、喜んで死につくから、ぜひ、心臓を切り出して、僕の血液を通し、できた曲線を記念として君の元に送ってくれといってやまない。そこで僕も決心して、いよいよ恋愛曲線の製造に取り掛かろうとしたのだ。

君! 僕は今この手紙を、研究室の電気心働計の側に置かれた机の上でしたためつつあるのだ。まさか生理学研究室で、深夜恋愛曲線の製造が行われようと思うものはあるまいから、誰にも妨げられずに計画を遂行することができるのだ。夜は森閑として更けて行く。実験用に飼ってある犬が、庭の一隅でさっき二声、三声吠えた後は、冬近い夜の風が、研究室のガラス窓にかすかな音を立てているだけだ。僕に心臓を提供した女は、今、僕の足元に深い眠りに陥っている。さっき、僕が恋愛曲線製造の順序と計画を語り終わると、彼女は喜び勇んで、多量のモルヒネを飲んだのだ。彼女は再び生き返らない。彼女がモルヒネを飲むなり、僕はロック氏液の加温を始め、電気心働計の用意を終わり、それから、この手紙を書きにかかったのだ。モルヒネを飲んでから、彼女は嬉しそうに、僕の準備する姿を見ていたが、この手紙を書きにかかる頃、遂に眠りに落ちた。何という美しい死に方だろう。今彼女は軽い息をしているが、もう二度と彼女の声を聞くことができぬかと思うと、手紙書く手がしきりに震える。僕は定めし、取りとめのないことを書いたであろうが、今それを読み返している暇がない。僕はこれから、彼女の心臓を切り出さねばならないから。

 

四十分かかった。やっと今彼女の心臓を切り出して箱の中に結びつけ、ロック氏液を通しつつあるのだ。手術の際、彼女の心臓はなお拍動を続けていた。これは彼女の生前の希望に従ったのである。彼女は恋愛曲線を完全なものとするために、心臓がまだ動いている時に切り出してくれと希望したのだ。メスを当てるとき、もしや彼女が、眼を覚ましはしないかと思ったが、心臓を切り出されるまで、彼女は安らかな眠りを続けていた。今もまだ軽く息をしているのではないかと思われるほどだ。電燈の光に照らされた彼女の死の姿は、ただ美しいというよりほかはない。

心臓は今、さも快げに動いている。早く僕の血を通してくれと言わんばかりに動いている。さあ、いよいよこれから、僕の血液を採る順序であるが、恋愛曲線を完成させたいのと彼女の悲壮な希望を満足させるために、僕も、いまだかつて試みなかった血液流通法を試みようと思うのだ。今までは注射針をもって左の腕の静脈から血を採っていたが、今回だけは、僕の左のとう骨動脈にガラス管を差し込み、そのままゴム筒でつないで、僕の動脈から、僕の血液が直接彼女の心臓の中に流れ込むようにしようと思うのだ。彼女が生きた心臓を提供してくれた厚意に対し、これだけのことをするのは当たり前のことだ。なおまた、恋愛曲線を完成するためにも必要なことだ。

 

二十分かかった。

やっと、僕の動脈血を彼女の心臓の中に送りこむことができた。血液は威勢よく走り出るので、少しも凝固を起こさず、実験は間然するところが無い。心臓は勇ましく躍る。その躍る姿を眺めていると、左手に少しの痛みをも覚えない。左手の傷から少しずつ血が滲む。その血を拭うためペンを置いて、ガーゼで拭かねばならぬ。おや、紙を血で汚した。許してくれ。彼女の心臓へ注ぎこまれる血は再び帰って来ない。僕の血液は刻一刻減って行く。頭脳がはっきりしてきた。しばらく、ペンを休めて、彼女の心臓を観察し、懐旧の思いに耽けろう。

 

十分間過ぎた。

全身に汗が滲み出た。貧血のためだろう。さあ、これからスイッチをひねってアーク燈をつけ、感光紙を廻転させよう。僕は居ながらにしてスイッチをひねれるように準備しておいたのだ。電燈がついていても曲線製造には差し支えない。

 

電気心働計が働いている。心働計の音以外に、耳に妙な音が聞こえる。これも貧血のためだ!

曲線は今作られつつある。君に捧げるべき恋愛曲線が今作られつつあるのだ。しかし僕は、その曲線を現像することができない。何となれば、僕はこのまま僕の全身の血液を注ぎ尽くすつもりだから。血液が出尽くした時、僕が倒れると、アーク燈や、写真装置や、室内電燈スイッチが皆ことごとく切れるようにしてあるから、間もなく二人の死体は闇に包まれるであろう。

 

ペンを持つ手がはなはだしく震える。眼の前が暗くなりかけた。で、僕は、最後の勇を振るって、君に最後のひと言を呈する。実はこの手紙を書く前に、教室主任と同僚に宛てて手紙を書いたから、これが僕の最後の遺書となる訳だ。恋愛曲線は、明朝同僚の手で現像されて、君の元に送られるから、永久に保存してくれたまえ。

君は最早、僕に心臓を提供した女が何人であるかを推知しているであろう。僕は今無限の喜びを感じている。自分で曲線を見ることこそできぬが、真の恋愛曲線ができつつあることを僕は固く信じて疑わない。僕の血が尽きた時は彼女の心臓は停止するのだ。これが恋愛の極致でなくて何であろう。

・・・・・・おや、僕の血が少なくなったと見え、彼女の心臓は今、まさに停止しようとしている。君! 君との、愛なき金力結婚を厭い、彼女の真の恋人だった僕の所へ走って来た雪江さんの心臓は今、まさに停止しようとしている・・・・・・。

 

 

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