ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 蟹江文庫 -現代語訳版・小酒井不木作品集- > 手紙の詭計(大正15年発表)

本文

更新日:2022年1月14日公開 印刷ページ表示

手紙の詭計(大正15年発表)

PDFダウンロード [PDFファイル/510KB]

(一)

 

「私はこれで一度死んだ人間になったことがありますよ」と、ある日、松島龍造氏は私に向かって語った。松島氏は久しく英国に滞在して医学を修め、帰朝してから六年、興味半分で犯罪探偵に従事している人である。白髪がかなりたくさんあるけれど、まだ五十前であって、艶々した童顔には髭がなく、やさしい表情の中に両眼だけが時々隼のように鋭く輝くことがある。数ヶ月前ふとした機会で私は氏と知己になり、その以後、氏の冒険談や探偵談を聞かせてもらうことが私の唯一の楽しみとなった。その日は、「宝石にまつわる犯罪」の話に花が咲き、先年世間の問題になった朝鮮のR王家の宝玉「月光石」紛失事件の話に移ったとき、氏は突然、死んだ人間になったと、言い出したのである。

「死んだ人間とおっしゃると、仮死の状態にでも陥られたのですか?」と私は尋ねた。

「いいえ、そうじゃありません。戸籍上死んだ人間となったのです」と氏は軽く笑った。

「どうしてまた、そんな間違いが起こったのですか?」と、私は好奇心に駆られ、思わずも大声で尋ねた。

「いや、間違いではないんです。故意に死んだ人間にされたのです!」

いよいよ私はその謎が聞きたくなって胸を躍らせていると、松島氏は早くも、私の心を察した。

「そうですねぇ、今日はついでに私の身の上話を致しましょうか」

こう言って氏はテーブルの上のコーヒー茶碗を傾けて話し始めた。

 

(二)

 

私が世界をまたにかけて、放浪生活を営むようになったのも、要するに七歳の時母を失ったのがもとです。父は四谷区でも、かなりな財産家でしたが、母が死んでから間もなく継母を迎え、弟を一人生みました。弟は小さい時分から陰険な性質で、いわゆる不良少年タイプの男でしたが、継母は弟を極端に可愛がり、反対に私を非常に憎んで邪魔にしました。私は子供心にも幾度か家を抜け出そうと思いましたが父の愛に引かれて思いとどまりました。ところが、中学を卒業した十八の夏に父が死にましたので、私は黙って家を飛び出してしまったのです。

それから、私は労働者の群に入りましたが、生まれつき冒険が好きでしたから、後に支那に渡って各種の労働に従事し、同志と共に支那人として英国に渡りました。英国へ渡ったのは、彼の地でみっちり学問をしたいと思ったからです。苦学の結果、幸いに私はロンドン大学の医学部を卒業し、ロンドンで開業して、相当の貯金も出来ましたから、一度故国へ帰って故国の様子を眺め、都合で再び英国へ帰ろうと思ったのですが、帰って見ると意外な事情にぶつかり、それが動機で、犯罪探偵を本職にしようという気になってしまったのです。

家を出て二十余年、その間私は一度も生家に連絡をしませんでした。継母や弟が生きているかどうかさえも知らなかったですが、やはり、多少の懐かしみを覚えて、一度会って見たいと思い、いきなり訪ねるのも何となく先がつかえたような気がしましたから、まず区役所へ行って戸籍謄本を取りました。すると驚くではありませんか、継母が十年前に死んでいるばかりでなく、この私自身すなわち松島龍造も三年以前にまさしく死んだことになっていました。

無論あなたにはそうしたご経験もあるまいし、また、そうした時の心持ちも想像しにくいかも知れませんが、その時、私は、恐ろしいような、くすぐったいような、一種の名状し難い感じがしました。松島龍造は法律上死んで居ないのですから、松島龍造の名を持っている私は、他人の名をかたる法律上の犯罪者であるわけです。また、松島龍造は死んで居ないのですから、その幽霊である私はどんな犯罪でも自由自在に行い得るような気がしました。私は戸籍謄本を眺めながら、悲しむというよりも、却って一種の愉快な気分、すなわち冒険心に富む者のみが味わう悲愴な愉快を感じました。

元来私は生家と絶縁することを欲していたのですから、今更、訴え出るような野暮な心は毛頭もなく、無論、父の財産が欲しいなどと一度も思ったことはありませんが、どうして私が死んだのか、その事情が知りたくてなりませんでした。戸籍面で死んだことになるためには医師の死亡診断書が要ります。医師が死亡診断書を書くには、私の死体を診察した上でなくてはなりません。そう考えると、この裏面には確かに立派な犯罪が行われているはずです。で、私はどんな犯罪が行われただろうかということに非常な興味を覚えました。

そこで、だんだん取り調べて行きますと、私は三年前、朝鮮京城の病院で腸チフスで死亡したことがわかりました。自分で自分の死んだときの事を話すなどは、落語の「粗忽長屋」よりも馬鹿げていますが、まあ、我慢して聞いて下さい。私は朝鮮へ出かけて行って探索して見ようかとも思いましたが、まず手紙で、私が厄介になったという病院へ問い合わせて見ると、幸いに私の死亡診断書を書いた医師が、まだ奉職中だったので、詳しい当時の事情を手紙に書いて寄越しました。それによると、私は、弟と共に朝鮮へ渡ったところ、京城で腸チフスに罹ったので、弟が付き添って入院し、薬石効なくして死んだというのです。いかにも、そのチフス患者が私の名を騙っておれば、医師は私の死亡診断書を書くのがあたり前です。ことに、弟が付き添っておれば、誰だって、怪しむべき事情があろうとは思いません。ところが、事実、そのチフス患者が私でない以上、死んだ人間はそもそも誰でしょうか。それが誰であるにしても、その人は戸籍上では生きたまま、行方不明になっているはずです。なんと世の中には不思議な現象もあればあるものではありませんか。

 

(三)

 

さて、事情はかくの如く極めて簡単ですけれど、これが単なる誤謬でないことは誰だって想像がつきます。すにわち、これは故意に私を死んだことにするために行われた犯罪にほかなりません。私を死んだことにして利益を得るものは、言うまでもなく弟です。しかも私の死ぬときに付き添っていたのが弟だったということですから、私は、弟の仕組んだ一つの狂言に違いないと推定しました。すなわち弟は私を法律上死なせて、父の財産を全部我が物にしようと欲したのです。

これは私が、ずっと後に知った話ですが、あなたは先年、長野県の男が、自分で自分の生命保険金を奪ったことをご承知ですか。彼は、やはり朝鮮へ行って、ある旅館に滞在中、隣室に貧乏な重病患者がいるのを知り、病院へ入れてやる代償として、自分の名を名乗らせ、その患者が死んでから、その死亡診断書をもって、自分の生命保険金を詐取したのです。その患者こそいい迷惑ですが、世間にはこうした犯罪が種々行われているようです。私の場合も、これと感じように、多分、弟が、自分の知己に私の名を名乗らせて入院させたのだろうと、私は推定したのです。小さいときに別れたきりですけれど、弟ならばそれくらいのことはしかねないだろうと思いました。

さて、以上のことがわかってからというものは、私は、弟そのものに非常な興味を覚えました。私を法律上亡きものにするくらいの大胆な狂言を行う人間ですから、色々、まだ外にも犯罪を行っているかも知れんと想像し、弟をよく研究して見ようと思い立ちました。戸籍謄本を見ますと、弟はまだ一度も妻を迎えておりません。また、自分に付属する子供もありません。私はまず弟の家すなわち私の生家の付近で様子を探って見ますと、弟は継母の死後程なく、家を他人に貸してどこともなく出かけたそうですが、三年前に帰って来て借家人を立ち退かせて住むようになってからは、滅多に外出もせず、訪問客をも遠ざけて、女中二人を相手に住んでいるとの事でした。付近に住んでおりながら、弟の顔を見たことのない人が多く、出入りの商人さえめったに会ったことはないと言いました。私はそれを聞くなり、急に弟に会って見たくなりました。もとより、財産を奪ってやろうなどという気は毛頭なく、むしろ、弟に会って、安心させてやりたかったのです。弟が引き込みがちの生活を送っているのは、罪を犯したための良心の呵責にもとづくに違いないから、私は、潔く私が死んだことを承認してやり、それから英国へ渡って、永久に故国に帰らぬようにすれば、弟も安心して生活することが出来るだろうとの大慈悲心を起こしたのです。

ある日、遂に私は私の生家の門をくぐりました。しかし、どうしたわけか、懐かしいという気が少しもしませんでした。私がベルを押しますと、丸顔の女中が出て来て、主人はどなたにもお目にかかりになりませんからと断りました。そこで私は黙って『松島龍造』という名刺を出して渡しました。私の考えでは、私の本名を刷った名刺を渡せば、悪党の弟は、却って会ってくれるに違いないと思いました。果たして私の想像した通りで、私はやがて思い出多き応接室に通されました。洋式応接室の装飾は、私のいた頃とはすっかり変わっておりましたが、壁などはもと通りの緑色で、ただ歳月のために黒ずんでいるだけの違いでした。

程なく主人公たる弟が入って来ました。見ると、たとえ二十余年前に別れたとはいえ、私の記憶にある顔と、目の前にいる弟の顔とが、いささか違っているのに不審を抱かずにおれませんでした。弟もまた私の顔を見てにこりともしませんでした。もっとも、にこりとしてはいけない重大な理由がありますから、わざと知らぬ振りを装っているのでしょうが、それにしてもうまく芝居をするものだと感心しました。実際私たち二人は、お互いに少しも知らぬ人が会ったと同じ有様でした。

「何の用ですか?」と彼は蒼白い顔の奥に、虎のような目を輝かせて私を見つめました。彼の顔はモルヒネ中毒患者に見るような無表情のものでして、私は少しく不快を感じましたので、手っ取り早く、言い出しました。

「おい順之助、俺はお前の兄の龍造だ!」

これを聞いた弟は、顔色を土のように変え、身体をぶるぶる震わせました。彼は入って来た当初から、しきりに手足を動かしていましたが、この時強く両手を揉んで、声を震わせて言いました。「冗談言ってはいけない。兄は三年前に死んだ」

「でも、こうして俺は生きているんだ」

弟の呼吸はだんだん荒くなって来ました。

「貴様は俺を強迫に来たのか、早く出て行ってくれ!」と立ち上がりました。

「おいおい、そんなに興奮しないでもよい。俺は強迫に来たのでも何でもない。潔く死んだ体になってやるから、昔通り交際しようじゃないか?」

弟の手が懐の中に入ったかと思うと、次の瞬間ピカリと光るものが握られていました。言うまでもなくピストルです。

「ふむ、そうか」と私は言いました。「それ程までにするなら、俺はもう帰る。しかし、俺は決して野暮なことはしないから安心するがよい」

こう言って、私は弟の家を出ました。「野暮なことをしない」と言った私の言葉は、弟に取っては反対の意味に取れたかも知れません。事実、私も、心では野暮なことをするつもりはないでしたが、弟の態度にむらむらと反感が起きて来ましたから、私の言葉は幾分か、反語的な調子を帯びておりました。

しかし、家に帰ってよく考えて見ましたところ、たとえ野暮なことをしたくてもしようのないことに気づきました。というのは、私が生きているということを法律上、証明すべきいかなる手段もなかったからです。私が仮に前科者であったならば、警察に指紋その他の記録が取ってあるから、却って容易に証明出来ますが、指紋などは一度も取ってもらったことはなし、また、私の替え玉にされて死んだ男の死体は焼いてしまってありませんから、どうにも施すべき手段がありませんでした。私は法律の不備を嘆くと同時に、弟の狡猾さにも感心しました。悪党の弟は、私が、強迫はもちろん、訴訟も何もする事が出来ないくらい、百も承知しているはずです。それなのに私の顔を見て、あれほどの恐怖に襲われたのは、どういうわけでしょうか。私はそれを弟の体質のしからしめる所だと解釈したのです。

 

(四)

 

私が弟に会って、その容貌体格を観察しましたところ、明らかに弟が胸腺リンパ体質であることを知ったのです。私はロンドン大学の医学部を卒業して、二年間、内分泌腺の研究をしましたので、大ていの人は、一目見て、その人が、いかなる内分泌腺の体質に属するかを判断することが出来ます。弟は腰が細く、胸が長く、手足がふっくりとしていて、皮膚が赤ん坊のようになめらかで白く、話をしていても落ち着きがなく、少しのことに恐怖しやすい性質ですから、まさに胸腺リンパ体質に特有です。胸腺リンパ体質というのは、小児期に胸腔内にある胸腺が、大人になれば消失するのが普通であるのに、いつまでも残る体質を言うのでして、このような体質の者は、体内各部のリンパ腺も肥大しておりますから胸腺リンパ体質の名があるゆえんです。胸腺の作用は人間のいわゆる「子供らしさ」を保つものでして、胸腺の残存する人は、いつまでも子供らしい体質と性質とを持っているのです。

すなわちこの体質の人は心蔵は小さく血管が細いのですから、極端な場合になると、転んだだけで血管が破裂して死ぬことがあります。また、強い恐怖や驚愕のために死ぬこともあります。カンフル注射やクロロフォルム麻酔のために死ぬような人は、多くはこの体質の人です。精神的には非常に気が変わりやすく、少しの落ち着きもなくそわそわしていて、残忍性を帯び、僅かなことに悲観して自殺をしたり、また、犯罪を行いやすく、殺人を敢えてします。統計によりますと犯罪者の大部分はこの体質の者であるそうです。ことに胸腺リンパ体質の者には変質者が多く、また、モルヒネ中毒に罹りやすいといいますが、弟の顔色が異常な蒼白を呈していたのは、多分モルヒネ中毒に罹っているのだろうとその時私は思いました。朝鮮あたりへ出かけるものが、モルヒネの常用者となることは珍しいことではありません。とにかく、弟の犯罪や弟の態度を見て、私は弟が、定型的な胸腺リンパ体質であることを判断したのです。

これを知った私はふと一種の好奇心を起こしました。彼との対面の際、彼の私に与えた印象があまりに不快なものでしたから、心に何となく憎悪を感じた私は、弟のこの特殊な体質を利用して、復讐―――と言うのも大袈裟ですが、何かの機会に、強い恐怖を与えてやろうと思ったのです。すなわち彼のそわそわして落ち着かぬ性質、言わば慌て者などに見る短気な性質と、僅かなことにも驚きやすい性質に乗じて、一発お見舞いしてやろうと計画したのです。その時、私に快く面会してくれれば、今頃私は英国に居ましょうし、彼もまた悲しい運命に出会わないで済んだものを、思えば人間の運命というものは、ちょっとしたことで決定されてしまうものです。

さて、弟に恐怖を与えるためには、弟に接近しなければなりませんが、二度と面会してくれないことはわかっておりますから、私はどうしたらよいか、ちょっと、方針に行き詰まりました。しかし、何はともあれ、弟にも多少の外部との交渉があるだろうと思いましたから、密かに弟の家を監視しますと、驚いたことに弟は、私が訪ねてから急に獰猛なブルドッグを二匹雇い入れるやら、面会人を絶対に拒絶するやら、電話までも外してしまい、ただ、勝手元に関係のある商人や、新聞屋や、郵便配達夫が出入りするばかりでした。何という恐怖の仕方でしょう。しかし私はどうしたわけか、気の毒だという気はせず、機会さえあれば初志を貫徹しようと決心したのです。その結果私はふと、ある奇抜な考えを得たのです。

 

(五)

 

それはほかでもありません。弟の家へ郵便脚夫の出入りすることから思い付いたことで、あながち奇抜というほどのことではないかも知れませんが、とにかく、試みる値することだと思いました。

あなたは一人の手紙でも、よく人を殺し得るものだということをお考えになったことがありますか。例えばここに一人の男があって、ある女に激烈な恋をしたと仮定します。それに対して女が、始め多少の好意を見せ、段々男の心を釣り寄せて、最後に一本、きっぱり拒絶した手紙を送ったとすればその男は自殺するかも知れません。そうすればその一本の手紙は人を殺したと言って差し支えありますまい。また、今、ここに、医師を絶対に信頼し、疾病を極度に恐怖する患者があると仮定します。かような患者の尿を検査した医師が、いわゆる尿診断の結果、患者が胃癌に罹っていることを知って、それを手紙で患者に知らせたとしますと患者は自殺するかも知れません。そうすればやはり、その一本の手紙は人を殺したと言って差し支えありますまい。そして仮に、その恋された女が始めから男を殺すつもりであったならばどうでしょう。また、仮にその医師が始めから患者を殺すつもりであったならばどうでしょう。彼等は凶器を用いずして巧みに人を殺すことが出来るわけです。こう言ったとて、私はその時弟を殺そうなどとは決して思いませんでしたが、とにかく、一本の手紙でも、それを適当に応用すれば、死ぬ程の恐怖を与え得るものだと思い、それを弟に対して試みようと覚悟したのです。

そこで私はまず、弟の家の付近を受け持つ郵便配達夫になりました。その目的は、弟が、誰から手紙を受け取るかということを知るためだったのです。すると、弟のところへ、毎週火曜日と木曜日とに、同じ発信人から書留の手紙が来ることを確かめました。発信人は京橋区の旭信託保管会社でして、封筒は必ず封蝋を以て厳重に封がしてありますので、それがどんな内容かを知ることは出来ませんでした。しかし、一週間に二度も郵便の来るところを見ると、弟はその会社と重大な関係を持っていることがわかりましたので、私は郵便配達夫をやめて、旭信託保管会社の社員となるよう密かに活動をしたのです。

社員となるのは、始めははなはだ困難でしたが、かれこれするうちに一名の欠員が出来ましたから、私は加藤という偽名で住み込みました。胸に一物ある私は、一生懸命に働きましたので、ほどなく支配人の秘書となり、支配人の手紙の代書をも受け持つことになりました。その結果私は弟のところへ一週間に二度ずつ出す手紙をも代書することになりました。

ところが、弟のところへ出す手紙の内容は誠に呆気ないほど簡単なものでした。それは何であるかと申しますと、弟は会社にある貴重品の保管を頼んでいるのでして、一週間に二回の手紙はすなわちその貴重品が無事であるということを知らせるのに過ぎませんでした。弟の預けた品物が何であるかは支配人といえども知りませんでした。それは鋼鉄の小さな箱に入れて厳重に封のされたものでしたが支配人は宝石か何かだろうと言っておりました。預けてから三年ほどになるが一度も取り出しに来たことがないという話でした。私の家にはそんな貴重な物があったはずはありませんから、多分弟が朝鮮あたりで手に入れたものかも知れません。私はそのとき、私の替玉として死んだ男の歯骨でも入っているのではないかと想像しましたが、歯骨ならば、何もそんなに大切にするには及びません。なおまた、それほど大切にしなければならぬものでしたら、自分の手許に置けばよいのに、それを他方へ預けてしかもその安否を気遣うというのはよほど妙だと思わざるを得ませんでした。すなわちその品は非常に貴重な物でありながら、しかも手許に置くことを恐れるというものでなくてはなりません。事情を聞いて見ますと、つい先達までは、二週間に一度ずつ電話で、無事であるということを報告したのだそうですが、弟が電話を取り外してから、一週間に二回ずつ書留郵便で、無事であることを知らせることになったのだそうです。つまり私が弟を訪ねてから、弟は万事に恐怖心を増したわけです。その恐怖の模様は、私の代書する支配人の手紙の出し方にも表れております。すなわち、弟は、レターペーパーを折った両面に支配人の検印がないか、または、封蝋に支配人の特別の印が捺されてない時は、決して手紙を開かないというのでした。つまり弟は私の計画の裏をかいて、滅多な手紙を封じ込ませないようにするのでした。それを知ったとき私は、弟の用意周到なのに驚くと同時に、ますます彼の虚を突いて見たいと思い出しました。つまり私はもう、結果の如何を顧みる暇はなく、まったく意地になってしまったのです。

 

(六)

 

私は機会を狙いながら、一週に二度ずつ、会社用のレターペーパーに、三行ぐらいに渡る大文字で、

「拝啓 御保管申上候品は無事に有之候間、御安心下されたく候 早々」

と書きました。そしてそれに会社名と日付と、弟の宛名とを書いて、支配人に見せ、それを支配人の目の前で折って渡すと、支配人は両面に検印を捺し、自ら封筒の中に入れて、封蝋で封をして特別の印を捺し、給仕を郵便局へ走らせるという手順です。何と世の中には馬鹿馬鹿しいことが行われているではありませんか。

こういう次第で、私がその封筒の中へ、どんなことを書いて入れても、支配人の検印のない以上、弟は開いても見ないわけです。そしていったんそういう手紙でも封じたが最後、弟はいよいよ警戒して、却って私の計算は藪蛇に終わってしまいますから、私は慎重な態度を取ってゆっくり機会を待つことにしました。

ところが、私が社員となってから三月目に待ちに待った機会は来ました。すなわちある夜、会社に盗賊が入って金庫の中味を盗んで行きました。金庫は二個ありましたが、有価証券を入れた方だけがアセチレン吹管(※アセチレンバーナー)を以て破られました。盗賊もさるもので、貴重品は足が付きやすいので、貴重品の入った方の金庫には手を付けず、従って、弟の依託品は無事でした。この時の盗賊はほどなく捕えられましたが、その詳細はここで申し上げる必要がありません。とにかく、そのあくる日会社は大騒動でした。

金庫破りのことがその日の夕刊に出ると世間では大評判になりました。弟も新聞を取っている関係上、必ず見たに違いがありません。果たして翌日大至急として、弟から保管品の安否を気づかった手紙が来ました。電話があれば直ちに聞くことが出来るのに、彼は恐怖のために電話を廃したのでこうした時には却って、長い間の不安に苦しまねばなりません。私は弟がさぞ心配しているだろうと思いながら、支配人と相談して次のような返事を書きました。

「拝復 今回は一方ならぬ御心配を相かけ誠に恐縮仕り候、幸いに貴下の御依託品は無事に候間、御安心下されたく候、二個の金庫のうち、有価証券を入れし金庫は、遺憾ながら開かれ、内容全部を持ち去られ申し候ため、依託者に対し誠に御気の毒千万に御座候、右とりあえず御返事迄 早々」

と、例のごとく大きい字で書きましたから、レター・ペーパーの二枚に渡りました。私は日付その他お定まりの文字を書き、それを支配人に見せ、その目の前で折って支配人に渡すと、支配人は昨日からかなりに忙しい思いをしながらも、注意して両面に検印を捺し、形のごとく封蝋を用いて,書留郵便で出させました。

実は、私はその手紙を書く時と、折る時に、ある詭計を用いたのです。それは極めて自然な方法で、もとより支配人は気づくはずがありませんでした。しかし私の詭計は、私の欲した効果を十分に現わしてくれることと確信したのです。いったい私がどんな詭計を用いたとお思いになりますか。

 

(七)

 

それよりも先に、私の用いた詭計が、予期した通り有効であったということを申し上げておきましょう。実に、弟は、その手紙を受け取るなり、恐怖のあまり、ピストル自殺を遂げたのであります。今お聞きになったような何の罪もない手紙は遂に弟を殺しました。あの手紙を見たなら、安心すべきであるのに、却って恐怖したとはどういうわけでしょう。もとより弟は死にましたから、手紙を見て自殺したのか、あるいはもっと深い理由があって自殺したのかわかりませんが、私はやはりその手紙を見て自殺し、しかも私の詭計が功を奏したことと信じております。

私の詭計とは、もはやお察しかも知れませんが、誠に簡単なことです。私はあの手紙がレター・ペーパーの二枚に渡ったと申しましたが、自然に二枚になったのではなく、わざと二枚にしたのです。すなわち「拝復」より始めて「有価証券を入れし」までを第一枚に書き、「金庫は」以下を第二枚に書いたのです。そして、それを折る拍子に第二枚を上にし、第一枚を下にしたのです。それゆえ、手紙が先方へ着いて、弟が開いて見ると、まず、『金庫は、遺憾ながら開かれ、内容全部を持ち去られ申候ため、依託者に対し誠に御気の毒千万に御座候、右とりあえず御返事迄 早々」

という文句が目に入るわけです。冷静な人間ならば、二枚重なっていることに気づくでしょうが、弟のような胸腺リンパ体質のものは、気が早いですから、かっと逆上して、自分の依託品が盗まれたと思うに違いないと考えたのです。つまり、そこを私は狙ったのでした。果たして、弟は貴重な品を失ったために自殺してしまいました。

私の行った詭計のために、弟は自殺したのですから、言わば私が彼を殺したようなものですけれど、私はその時、少しも後悔しませんでした。あなたは弟の行った犯罪に対して、彼の死をもって報いるのは残酷だとお思いになるかも知れません。しかし、弟は死なねばならぬほどの罪を持っていたのでした。私が弟に会った時、非常な不愉快を抱いたのは、つまり、弟の罪が直感的に私の潜在意識の中へ通じたのかも知れません。私は弟が自殺したと聞いて、むしろ一種の愉快を覚えました。そして今でもまだすこぶる愉快に思っています。というのは、実は、私の会った弟は、私の異腹の弟ではなく、弟の替玉に過ぎなかったからです。

 

(八)

 

こう申すと、あなたは定めし意外に思われるでしょう。私も実は弟、いや、弟の替玉の遺書によって初めて事の真相を知り、非常に驚きました。

朝鮮で腸チフスで死んだのは、弟自身だったのです。弟は、継母の死後、悪い仲間に誘われ、家を他人に貸して朝鮮へ行きました。何をしていたのかよくわかりませんが、そこで彼はある悪漢と知己になりました。ところが弟は不幸にも旅館に滞在中、腸チフスの重いのに罹りましたので、私の家の事情をよく聞いて知っていた悪漢は、弟が病気のために意識の混濁しているのに乗じて、弟に私の名を名乗らせ、自分がその弟だと言って、弟に付き添って入院したのです。

弟が死んでから、その悪漢は、弟になりすまして上京し、人を遣わして借家人を立ち退かせ、自分がその跡に住み込みました。そして私の死亡診断書を以て法律上の手続きを済まし、私の弟として、私の家の財産を相続しました。しかし、さすがに世間に顔出しするのを怖れて、家にのみ閉じこもりましたから、世間の人は弟の替玉だとは少しも知りませんでした。悪漢でも良心の呵責はあると見えて、心を静めるためにモルヒネを愛用したのですが、私が訪ねてからすっかり恐怖してしまって、とうとう私のために自殺するようなことになったのです。思えばそれは胸腺リンパ体質の者に特有なる運命であるかも知れません。

さて、最後に残る問題は、弟が旭信託保管会社に預けていた品物が何だったかということです。弟があれほどまでに、その安否を気づかい、それが盗まれたと知って自殺するに至ったについては、よほどの曰く因縁のあるものでなくてはなりません。

実に、それこそは、朝鮮のR王家の宝玉『月光石』そのものだったのです。その悪漢は二人の人を殺してこの『月光石』という世にも珍しい青色のダイヤモンドを盗み出したのです。彼が弟の替玉となったのも、私の家の財産を横領することのほかに、追跡の手を逃れるための目的もあったのです。そして、彼が上京して家に引き込みがちであったのもやはり、この理由が加わっていたのです。この『月光石』には、やはり、どの宝石にでもまつわっているような不吉な伝説がありました。R王家以外の者の手に入るときは、その持ち主は後に必ず変死して宝玉はもとに戻るという伝説です。彼はすなわちこの伝説を恐れて、会社に保管を頼んだのですが、気になるものですから、ああして度々安否を問い合わせました。そんなに伝説を恐れるならば、宝玉を、どこかへ捨ててしまえばよろしいのに、二人まで人を殺したくらいですから、やはり宝玉に対する執着心が強かったのでしょう。とにかく宝玉は伝説通りもとに戻りました。

以上のことが、書き置きやその他の事情で判明したので、私は再び裁判上の手続きを経て生き返り、私の家の財産を相続しました。従って、英国行きをやめて、犯罪探偵に従事しようと決心しました。金庫盗難事件をきっかけに、私は会社を辞職しましたから、秘書の加藤が松島龍造だったということは、支配人といえども、今もって知るまいと思います。要するに私は、手紙の詭計によって、私の財産を取り返しましたが、思えば、弟の替玉が、あの時私に面会したのが、彼の運の尽きでした。昔ならば神さまの引き合わせでも言う所でしょう。いや、思わず長話をしましたが、今日は「宝玉にまつわる犯罪」の話が出た関係上、ふと、私の身の上話をしてしまいました。

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)