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更新日:2025年8月18日公開 印刷ページ表示

人工心臓(大正15年発表)

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(一)

 

私が人工心臓の発明を思い立ったそもそもの始まりは、医科大学一年の時、生理学総論の講義で、「人工アメーバ」、「人工心臓」の名を聞いた時でした・・・・・・。

と、生理学者のA博士は私に向かって語った。A博士はかつて、人工心臓すなわち人工的に心臓を作って、本来の心臓に代えることで、もって、人類を各種の疾病から救い、長生延命をはかり、さらに進んでは起死回生の実を挙げようと苦心惨憺した人であって、その結果一時、健康を害して重患に悩んだにもかかわらず、たゆまず屈せず、遂にいったんその目的を達したのであるが、夫人の死後、いかなるゆえか、せっかくの大研究を古草履のごとく捨てて顧みなくなった。私は度々、その理由を尋ねたが、博士はただにやりと笑うだけで、固く口をつぐんで話さなかった。ところが、ある日、私が博士を訪ねて、ふと、空中窒素固定法の発見者ハーバー博士が近く来日することを語ると、何を思ったか博士は、今日はかねてお望みの人工心臓発明の顛末を語りましょうといって、機嫌よく話し出したのである。ここでちょっと断っておくが、私はS新聞の学芸部記者である。

 

・・・・・・人工アメーバと、人工心臓とは、共にアメーバなり、心臓なりの運動を、無機物を使って模倣し、生物の運動なるものは、決して特殊な、言わば神変不可思議なものではなく、全然機械的に説明のできるものだということを証明するため、考案されたものであります。あなたはアメーバの運動を顕微鏡下でご覧になったことがないかも知れませんが、アメーバは単一細胞からできた生物で、半流動体の原形質と核とからなり、そこで原形質がいろいろに形をかえて、食物を摂取したり、位置を変えたり致します。そのほふくする有様を見ておりますと、あるときは間垣の上を進むなめくじのように、またあるときは天狗の面の鼻が徐々に伸びて行くかのように見えるのです。今、底の平たいガラスの皿に二十パーセントの硝酸を入れ、その中へ水銀の球滴を垂らし、皿の一端に重クロム酸カリの結晶を浸しますと、その結晶が段々溶けて、皿の底面に沿って拡散して行き、中央の水銀球に触れると、あたかもその水銀球は、生物であるかのごとく動き始め、一匹の銀色の蜘蛛が足を伸ばしたり縮めたりするのではないかと思われる状態を出現します。これがすなわち人工アメーバで、よく観察していると水銀はアメーバそのままの運動を致しているのです。

次に、人工心臓です。心臓は申すまでもなく、収縮と拡張との二運動を、律動的に交互に繰り返しております。心臓のこの律動的に動く有様を、やはり水銀をもって、巧みに模倣することができるのであります。すなわち今、時計ガラスの中へ十パーセントの硫酸を入れ、これに極少量の重クロム酸カリを加え、その中に水銀の球滴を入れて、それから一本の鉄の針を持ってきて、軽くその水銀球の表面に触れますと、たちまちその球は、蛙の心臓のように動き出して、小さくなり大きくなり、いわゆる収縮、拡張に比するべき律動性運動を迅速に行うのであります。

さてしからば、どういう訳で水銀球が、このように生物のような運動をするかと申しますと、すべて液体は、外物と触れているその境界面に一種の力をあらわすもので、通常これを表面張力と申しております。液体の内部では、すべての分子が上下左右前後から、同じ力で引かれておりますけれど、液の表面におきましては、そこにある分子は、裏側からは液体の分子によって引かれ、外側からはその触れている物質の分子によって引かれます。水の上に油を滴らすとき、油が水の上に拡がるのは、水の表面張力が油のそれよりも大きいからです。また水銀を水の中に垂らすと水銀が球形を呈しているのは、水銀の表面張力が水のそれよりも大きいからです。そこで今仮に、その水が水銀に接している一部分の張力を水銀よりも強くするか、あるいはその反対に水銀の張力を減少させたならば、弱い部分は強い部分に較べて縮むことが少なく、水銀球は歪みます。前述の人工アメーバについて言うならば、重クロム酸カリと水銀とが、硝酸の溶液中で触れ合うと、その部分にクロム酸水銀と称する物質ができて、水銀の表面張力が弱められます。従って水銀の形が変わるのですが、クロム酸水銀は硝酸に溶けやすい物質ですから、水銀の表面張力は元に返ります。すると当然水銀の形も、元に戻り、外部から見ていると、水銀が一運動したことを認めます。そして次の瞬間さらに重クロム酸カリと水銀とが接触し、同じことを繰り返しますから、水銀は休むことなくアメーバ様の運動を行うのであります。

次に人工心臓の現象はどうして起きるかと言いますと、硫酸液中の水銀に鉄の針を触れますと酸性の液の存在のために、接触電気が起こって、その電気は金属と液体とを伝わって流れます。するとその際液体の電気分解が起こり分解産物である、陽電気を帯びた水素イオンは、陰電気を帯びた水銀の表面に着きます。すると水銀の表面張力が高まって水銀が収縮します。収縮すれば鉄の針との接触が離れて、もとの大きさに膨らみ、膨らめば針に触れて再び電気が起こって縮み、かくて同じ運動を律動的に繰り返し、外部から見ていると、心臓の運動のごとくに見えるのであります。

 

(二)

 

 かようなことを長々説明しては定めしご退屈でしょうけれども、私が人工心臓を思い立った動機がここにあるのですから、人工アメーバと人工心臓のことを詳しく申し上げたのです。しかし、無論、私の発明しようとした人工心臓なるものは、今お話し致しました人工心臓とは根本的に違ったものであります。それについてはおいおい申し上げるとして、さて、生理学総論において、私たちは、前述の人工アメーバや人工心臓のように、すべての生活現象なるものは、それがたとえどんなに複雑なものであっても、純機械的に説明し得るものであるということを繰り返し繰り返し説き聞かされたのであります。そして生活現象を説明するには、何も不可思議な力の存在を仮定しなくても、物理学、化学の力によって、十分に説明ができるものだということが、私の頭に深く刻みこまれました。今になって考えて見れば、水銀がたとえアメーバの様な運動をしたとて、水銀はつまるところ水銀であってアメーバではなく、同じくまた水銀は心臓ではあり得ないですけれども、若い時は何事につけても妥協がしにくいものですから、私はいわゆる機械説の極端な信者となったのであります。

機械説とはすなわちただ今申し上げたように、生活現象のことごとくを、純機械的に説こうとする学説でありまして、これに対抗して、生活現象は物理学や化学では到底測ることのできぬ一種の不可思議な力を借りてこなければ説明はできない、と主張するのがいわゆる生気説であります。この機械説と生気説とは、大昔から、学者の間の論戦の種となり、あるときは機械説が勝ち、あるときは生気説が勝ち、一勝一敗、現になお争論されつつあります。

試みにその歴史を申しますならば、原始時代には、人々は言うまでもなく、一種の霊妙な力によって生命が営まれるものと考えたに違いありません。何しろその時代の人は、物を感じることはできても、物を深く考えることができないのですから、生とか死とかの現象に接すれば、それが精霊の支配によって左右されているものだと思うのは当然のことであります。ところが、段々と知識が発達してきますと、人々は生命なるものについて、特に考えを巡らせて見るようになりました。断っておきますが、日本の科学思想の発達は極めて新しいことであり、また、昔の思想状態を知ることが困難ですから、ここでは西洋の例をもって述べることにします。さて、生命について比較的深い考察を行ったのはギリシャ人でして、およそ今から二千七八百年前のことです。すなわち、その時代に、ギリシャに自然哲学者が出まして、宇宙及び人類の生成について考え、万物の本源を地水火風の四元素に帰し、この四元素が離合集散して万象を形成しているのだといういわゆる機械説を立てたのであります。

ところが、その後同じギリシャに、プラトン、アリストテレスなどが出まして、人間について深い研究を行った結果、精神と肉体をはっきり区別し、精神を主とし、肉体を従と致しましたために、精神現象は機械的には説明できぬという所から、生気説が復活するに至りました。そしてこの生気説は、キリスト教が起こるにつれて、宗教的色彩を帯び、およそ千年間というもの人々の心を支配しておりました。

すると第十六世紀になっていわゆる文芸復興期が来て、今日の科学者の先駆があらわれ、人体の解剖生理の学が発達して、再び機械説が勝利を得、あらゆる生活現象を物理学及び化学の力のみで説明しようとする、医理学派、医化学派などと称する極端な学派が現れました。

しかるに、十八世紀の末にハラーという大生理学者があらわれ、生物にのみ特有で、無生物には見られない現象を指摘して、生気説を唱え出しますと、ちょうどそこへ大哲学者のカントが出て、生気説の肩を持ちましたので、十九世紀の前半には生気説は全盛を極めました。

するとまた、十九世紀の後半になって自然科学が驚くべき発達を遂げ、有名なダーウィンの進化論や、細胞学説などがあらわれ、機械説が復活されて今日に至っておりますが、先年物故した大生理学者デュ・ボア・レーモンなどは、どちらかというと生気説に傾いておりました。

こうした訳で、各時代に、生気説と機械説とは、交互に一勝一敗を繰り返してきましたが、同一人の学者でも、ある時期には機械説であったものが、何かの動機で生気説にならぬとも限りません。現に私などは、学生時代から人工心臓の発明を完成するまで、極端な機械説の主張者でしたが、いよいよ人工心臓を実地に応用して見てから、機械説を捨ててしまったのです。そしてそれと同時に人工心臓の研究も投げうってしまいました。

 

(三)

 

さて、人工アメーバ、人工心臓の講義を聞いて、機械説の信者となった私は、二年級になって人工アメーバ、人工心臓の実習を行うに及んで、ふと、人間なり、動物なりの心臓を人工的にこしらえて、本来の心臓の代用をさせることはできないだろうかと考えたのです。生理各論の講義を聞いた時、私は心臓がただ、一種のポンプの役をするのみであるということを知りました。しかも役目はそれほど簡単であるにもかかわらず、心臓ほど大切な機関はありません。心臓が動いている間は、たとえ人事不省に陥っていましても、その人は死んだということができません。そこで私はもし、心臓が停止した時、直ちに人工心臓に置きかえて、外部からエネルギーを与えて、ポンプの作用を起こさせ、血液を全身に送ったならば、死んだ人をも再び助けることができ、なお、場合によっては永遠の生命を保持させることができるだろうと考えたのです。全身を巡ってきた大静脈の血液をポンプの中へ受け取り、これを活栓によって大動脈に送り出すという極めて簡単な原理で人工心臓ができあがります。活栓を動かすには電気モーターを使えばよいから、地磁気が存在する限り、電気の供給は絶えることなく、従って人工心臓を持つ人間は、地球のある限り長生ができるであろう・・・・・・などという空想にさえ走ったものです。

ことに私をして人工心臓に憧れさせたものは、心臓に関する極めて煩わしい学説です。微に入り細にわたるのは学術の本義ですけれども、学生時代に色々な学説を聞かされるということはかなり厄介に感じるものです。学説の論争を聞くということは、たまにははなはだ面白いですけれども、幾つか重なって来るとたまりません。生理学などというものは、むしろ学説の集合体と言ってもよいもので、そういう学説を減らすことは、生理学を修得するもののためにもなり、ひいては人生を簡単化することができるだろうと私は考えました。

ご承知かも知れませんが、心臓運動の起源については二つの説があります。ひとつは筋肉説と唱えて、心臓は心臓を形づくる筋肉の興奮によって動くという説、今ひとつは、その筋肉の内へ入ってきている神経の興奮によって動くという説があります。心臓は、これを体外に切り出しても、適当な方法を講ずれば、平気で動いておりますから、心臓を動かす力が心臓自身から発するものであるということに疑いはありませんが、さて、その力が筋肉から発するか、その中にある神経から発するかについてはいまだに決定してはおりません。そして、そのいずれであるかを発見するために随分沢山な学者が随分色々な動物の心臓について研究し、中にはその尊い一生涯をその研究に捧げた人さえありますが、それでも満足な解決がついておらぬのです。ある学者のごときはカブトガニのごとき滅多に居ないような珍しい動物の心臓について研究し、神経説を完全に証拠立てたなどと大いに得意がっていましたが、とかく、偏狭な性質に陥りやすい学者たちは、容易にそれを認めるに至りません。

そこで私は考えたのです。筋肉説にしろ、神経説にしろ、結局、心臓というものがあるからそういう面倒な学説が起こってくるのだ。もし人工心臓ができた暁には、筋肉説も神経説も木っ葉微塵に砕かれる。モーターを回す電気がその起源になるのだから、これまでの学説は、唯一の「電気説」に統一されてしまうのだ。しかもこの電気説に対しては何人も反対の説を吐く余地はないのだ。何と痛快ではないか。・・・・・・若気の至りとはいいながら、至極あっさりした考えに耽ったものです。しかしよく考えて見るに、もし神様が、私たちの身体をお造りになったとしたならば、やれ筋肉説だの、やれ神経説だのと騒いでいることは、神様の眼には、電気説を空想した私の眼に映じたよりも、もっと滑稽なものに映ずるかも知れません。いずれにしても私は、色々な学説を頭の中に詰め込むことの煩雑さに堪えかねて、大学を卒業したならば、一日も早く人工心臓の発明を完成したいと思いました。

 

(四)

 

 三年級になって臨床学科の講義を聴き、直接患者を取り扱うに及んで、私はつくづく現代医学の力無さを痛感すると同時に、私たちの学ぶ医学なるものは、つまるところ学説の集積に過ぎぬのであって、実用とはよほどかけ離れているものだということを発見しました。学説が右なり左なりへはっきりと片がついていれば、それに従って治療もはっきり行い得るはずですけれど、何分学説が論争の途中にあるのですから、治療も当然半端ならざるを得ません。数多い病気のうち、薬剤をもって特効的に治療し得るものは片手の指を屈し尽くすに至らぬほどの少数で、その他は、ただ、言わば気休めに薬剤を与えて自然に治療するのを待つに過ぎません。そして、いざ生命が危篤になると、どうです、どの病気にもご承知の通りカンフル注射を行うことになっています。日本だけで一年に百何十万という人が死にますが、その大部分は、カンフルをお土産として、あの世に参ります。このカンフルは申すまでもなく強心剤、すなわち心臓の働きを強くさせる薬剤ですから、つまり医学の究極は心臓を強くさせることだということができる訳です。急性病にしろ、慢性病にしろ、もし心臓さえ変わらぬ力で働いていたならば、治る病気は治り、治らぬ病気は治らぬままに生命を存続することができます。ペストやコレラのような恐ろしい病気も、つまりは最後に心臓が犯されて死ぬに過ぎませんから、医学者たるものはすべからく、ペストやコレラの病原菌研究に力を注ぐよりも心臓を鉄のごとく強くすること、否、一歩進んで鋼鉄製の人工心臓の製作に工夫を凝らすべきであります。さすれば各種の病気を一々研究して、文献を多くする必要は更にありません。人工心臓の発明をさえ完成したならば、いかなる病気も恐れるに足りません。私はパスツールやコッホやエールリッヒなどの業績を思うごとに、彼等が人類に与えた恩恵に感謝すると同時に、これ等の大天才たちは、なぜ、人工心臓の発明に力を注いでくれなかったかと痛嘆するのでありました。昔から医学史上に大きな足跡をつけた人はかなりに沢山ありますが、もしそれ等の人々が、ただひとり人工心臓の発明に向かって精進していたならば、恐らくすでに理想的なものができあがり、とっくの昔に理想郷が作られていたに違いありません。人類文化発達史上から見た人間の最大欠点は、物事をみだりに複雑にしたことでした。あたかも自分で建築した迷路の中を、苦しみさまようことに興味を持っているかのように見えるのが人間の常であります。物事が複雑になれば自然、枝葉の問題のみに心を奪われて、根本を忘れがちになります。だから、ルソーのごときは、「自然に還れ」と叫びました。自然に還れということは、自然の状態に引き返せということではなくて、枝葉を捨てて根本に還れという意味だと私は思いました。これは一刻も早く人工心臓の発明を完成して、医学の根本に還らねばならぬと、私の心は勇み立ったのであります。

人類文化が発達して、物事が複雑化され、医学が枝葉の問題を取り扱うようになった結果は、ここに恐ろしい一種の疾病を生み出しました。それは申すまでもなく肺結核であります。肺結核なるものは結核菌のみでは生じ難く、人間の体質が、結核菌の繁殖に都合よくなったときに発生するのでありまして、しかも肺結核の起こりやすい体質は、人類文化発達の結果生じているものでありますから、肺結核は要するに人類文化に対する一種の天の皮肉とみなすことができます。その証拠には、現代の医学は結核に対して何の権威も持ちません。権威どころか、荒れ狂う姿を呆然としてただ傍観しているという有様です。医師にとってはあるいは尊い飯の種かも知れませんが、患者こそいい迷惑です。

そこで、医学を志す者は、誰しも、結核の治療ということについて思考を巡らします。私もやはりそのひとりでしたが、この間題も、人工心臓の発明によって直ちに解決がつくことを知りました。私は前にすべての疾病治療法の解決は人工心臓によってなし遂げられると申しましたから、肺結核も当然その中に入るはずですが、肺臓という機関は人工心臓と特殊な関係を持っていますから、特にここで申し上げようと思うのです。

肺臓の主要なる機能は申すまでもなく血液のガス交換であります。すなわち全身を流れて炭酸ガスを含んでいる静脈血は、心臓から肺に送られて炭酸ガスを捨て、外気の酸素を取って動脈血となり心臓に返って全身に送られます。ですから、人工心臓を作ると同時に静脈血炭酸ガスを吸収または発散し、同時に酸素を与える装置を付けたならば、もはや肺臓は不要の道具となってしまいます。そうすれば肺臓はいかに結核に冒されようが、何の痛痒も感じません。従って、肺結核問題は立ちどころに解決されてしまいます。ことに人工心臓に、言わば人工肺臓を付着させておく時は、人工心臓を人体に備え付ける際に、その手術が非常に簡単になる訳ですから、まさに一挙両得というべきであります。

が、人工心臓に人工肺臓を付着せしめて、肺臓をガス交換の仕事から解放するときは、ここに一種の珍しい現象が起こるであろうと私は考えたのであります。それは何であるかというに、もし肺臓の細胞をガス交換の仕事から解放したならば、恐らく人間の食物を非常に節減できるだろうということです。従って、人工心臓の問題は、単に疾病の悩みから人間を救うばかりでなく、場合によれば、食物問題の悩みからも人間を救い、すべての人間はいわゆる、仙人と同じく、霞を食べて生きて行くことができるだろうと想像したのであります。

人工心臓の発明ということについては、これまで多少考えて見た学者もあるかも知れませんが、肺臓をガス交換の仕事から解放することによって、食物を非常に節減できるだろうと考えた人は恐らく私が始めてであろうと思いますから、それについて一言申し上げておくことにします。

 

(五)

 

 かねて私は、空気の中に大量の窒素が存在することについて不審を抱いておりました。実に窒素は空気全量の五分の四を占めておりまして、しかも人類の生存にとっては何の利益もないと考えられております。すべて物事を目的論でもって解釈するのは危険かも知れませんが、私はこの空気中の窒素も酸素と同じく人類の生存に役立つものであるに違いないと思ったのです。同じ空気の中の酸素が、人類の生存に一刻もなくてはならないのに、酸素の四倍の量にあたる窒素が無意義に人体に出入りしているということはどう考えてみても矛盾です。そこで私は、窒素は決して無意義に人体に出入りしているのではない。無意義だと思うのは、人間が窒素の価値に気がつかぬに過ぎないのだと考えました。

ご承知の通り、人体の最も肝要な組織を構成している化学的物質はたんぱく質です。このたんぱく質は窒素を中心とした化合物ですから、窒素化合物は人体に取っては一日も無くてはならぬものです。通常私たちは食物によってこの窒素化合物を取り入れておりますが、かくのごとく、化合物となった窒素が人体に欠くべからざるものでありながら、気体の形をしている窒素が人体によって少しも利用されぬということは神様も甚だしい手ぬかりをしたものだと私は考えたのです。そしてそれと同時に、これは決して神様の手ぬかりではない、神様は、ちゃんと、遊離窒素をも利用することができるようにこしらえておいてくださったのであるけれども、人間はただそれに気がつかぬだけだ、と私は解釈するに至ったのです。いや、神様などという言葉はあなたはお気に入らぬかも知れませんが、造物主とか何とか言うより、早わかりがすると思いますから、まあ我慢して聞いて下さい。

さてしからば、神様は、人体のいかなる機関に遊離窒素を利用する作用を授けておいてくださったでしょうか。それは言うまでもなく、窒素が絶えず出入りする肺臓でなくてはなりません。皮膚がいわゆる皮膚呼吸と称して、酸素の利用を営むごとく、窒素の利用もあるいは幾分か皮膚によって営まれているかも知れませんが、酸素利用が主として肺臓で行われているごとく、窒素利用もやはり主として肺臓で行われるべきものだと私は考えたのであります。

あなたは地中に居るバクテリアの一種が、空気中の窒素を固定する作用、すなわち、遊離窒素を窒素化合物に変化させる力を持っていることをご承知でありますか。バクテリアのような最も下等な生物にさえ、そういう霊妙な力を与えられているのに、まして最も高等な動物である人間の細胞に、そういう霊妙な力が与えられていないはずは無いではありませんか。で、私は、肺臓の細胞にこそは、地中のバクテリアのように、窒素を固定する作用が付与されているものと推定したのです。

ところが肺臓の細胞にはガス交換という大役があるために、窒素固定の方には自然手が及ばぬに違いありません。また、人体の生存に必要な窒素化合物は、食物によって補給されておりますから、あながち肺細胞が働く必要はありません。ところが今、仮に食物の摂取を中止していわゆる飢餓の状態に入ったならば、きっと肺の窒素固定機能が盛んになります。すなわち消化管に代わって、肺臓が人体の栄養を司ろうとします。飢餓断食の際、水を飲むばかりで何週間も生きておられるのは、肺が窒素を固定するためであるに違いありません。飢餓を任意に行うとき、実験者が静臥しているほど飢餓を長く続けうるのは、静臥によってガス交換の仕事を減少しうるために、反対に窒素固定機能が旺盛になると解釈するのが、最も適当であろうと思われます。また、かの肺結核の際、患者が著しく痩せて、たんぱく質を多量に補給しなければならなくなるのは、肺臓が結核菌のために冒されて、窒素固定作用を減弱させられるためだと考えるべきでありましょう。

そこでもし、肺臓がガス交換を行わないでもよくなったとしたならば、その肺臓は全力を尽くして窒素固定を行うに違いありません。そしてその窒素固定によって人体の栄養分が補われるとしたならば、もはや、恐らく食物としてたんぱく質を口から摂取する必要は無くなるではありますまいか。人体は体重一キログラムについて一日二グラムのたんぱく質があればよいという計算をした人がありますが、もし肺臓細胞の全部が窒素固定に従事したならば、それだけくらいの栄養分は容易に作りあげるだろうと考えます。だから人工心臓の発明を完成し、それに付着する人工肺臓によって肺臓のガス交換機能を代用させたならば、人間の食物を大いに軽減することができ、なお進んで研究して行ったならば、あるいは人間は食物なしで生きて行けるようになるかも知れません。・・・・・・などと私はその当時空想して、一日も早く大学を卒業し、人工心臓の発明に従事しようと思いました。

 

(六)

 

いよいよ大学を卒業するなり私は生理学教室に入れてもらい、主任教授の許可を得て、人工心臓の研究に取りかかりました。私は事情あって、在学中に結婚しましたが、自宅から大学へ通う時間が惜しいので、主任教授の許可を得て、教室内の一室に夫婦で止宿させてもらいました。妻も私の研究に非常に興味を持ち、私の助手として働いてくれました。私たちは朝早くから夜遅くまで働きました。市中とはいいながら、広い大学の構内の夜は森閑として、天井の高い研究室に反射するガス灯の光は、何となく物寂しさを覚えさせましたが、実験動物を中に挟んで、希望に輝く眼をもって、にっこり顔を見合わせる時、私たちは、いつも、測り知れぬ喜びに浸りました。実験が思わしく進まぬとき、しばしば私は徹夜して気難しい顔をしながら働きましたが、そのような時、妻もまた徹夜して、どこまでも私の気を引き立てるように努めてくれました。幾度も失敗に失敗を重ね、ほとんど絶望の淵に沈もうとしたとき、私を救い、力づけてくれたのは妻でした。妻が居なかったならば、到底人工心臓の発明を完成することはできなかったでしょう。その妻も今は早、死んで居りません。そしてその妻の死によって、私はせっかく完成した発明を捨ててしまわなければならなくなりました。何という不思議な運命でしょう。私はその当時の苦しかったこと、楽しかったことを思うと、今でも胸の高鳴るのを覚えます。

いや、思わずも話が脇道に入りましたが、さて、人工心臓の発明に取り掛かってみますと、学生時代に想像したほど、その完成は容易なものではないということがわかりました。そして私は、恐らく、これまで、人工心臓の発明を思い立った人はあっても、それを実現することができなかったために、文献にも何等の記載が無いのであろうと考えるに至りました。

通常生理学の実験は、まず手近な蛙について行うのが便利とされておりますが、人工心臓の実験をするには、蛙はあまりに小さすぎて、細工がしにくいですから、私は家兎について実験することに致しました。いやもう、その家兎を幾匹死なせたことでしょう。すべての実験は必ず家兎に麻酔して行いましたが、いかに人類を救うために企てられた実験とはいえ、今から思えば家兎に対して申し訳ない思いが致します。世間の人々は、科学者を無情冷酷な人間と誤解し、実験動物を殺す事に興味を覚えるほどの残忍性を持っていると思う人もあるようですが、あながちそういう人間ばかりではありません。私が中途で幾度か実験を思い切ろうかと思ったのも、実は家兎を苦しめるに忍びなかったからであります。

実験の順序は、まず家兎を仰向けに、特殊な台の上に固定し、麻酔をかけて、その胸郭の心臓部を開き、さらに心嚢を切り開いて、それから私たちの考案したポンプを、心臓の代わりに取り付けるのであります。と言ってしまえばすこぶる簡単ですけれど、さてその手術は決して容易なものではありません。最初は家兎の心臓を切り取り、その代わりにポンプを置き換えようとしましたが、それは出血が激しくて、到底目的を達することはできませんから、後には、家兎の心臓はそのままにしておいて、ポンプに比較的長い管をつけ、それをそれぞれ適当な大血管へ結びつけることに致しました。

最初は人工肺臓については考案を巡らさないで、人工心臓のみについて研究しましたが、人工心臓だけですと、かえって、肺動脈と肺静脈とにポンプの管を結合するだけの手数が多いですから、むしろ人工肺臓付きの人工心臓を工夫した方が便利であるということに気がつきました。心臓はご承知の通り四つの室から成っておりますから、人工心臓、すなわちポンプにも自然四室を設けなければなりませんが、人工肺臓付きの人工心臓ですと、活栓の上下二室だけ、すなわち実は一室でよろしく、すこぶる簡単となる訳です。

ポンプの材料には初め壁の厚いガラスを用い、活栓に硬ゴムを使用致しました。これは血液の流れ工合を外部から観察するためでありましたが、後には、ポンプも活栓も共に鋼鉄に致しました。そして鋼鉄の方が、ガラスよりも、人工心臓には適当であるということを経験致しました。

さてこれからポンプの構造についてお話ししなければなりませんが、その前に人工肺臓の原理について申し上げます。原理と申しましてもすこぶる簡単でして、上下の大静脈から来た静脈血の炭酸ガスを除き去り、その代わりに酸素を与えて大動脈に送り込めばよい訳です。しかし、酸素を与えることは、酸素管に連結するだけでよろしいですが、炭酸を除くことはかなり厄介でした。その厄介な点は炭酸を除くことその事にあるのではなくて、炭酸を一時に大量に除く事なのです。静脈血を一定の容器に受け取り、その容器に適当な装置を設けて、強い陰圧を生じさせておけば一部分の炭酸は除けますが、早く流れて行く血液の炭酸全量を除くことは至極困難です。そこで私は色々考えた結果、全身を流れて来る静脈血の炭酸量を少なくしたならば、この困難は打ち破ることができるかと思いました。それには酸素を多量に含んだ血液を、通常よりも早く循環させればよいから、活栓の働きの度数を心臓の拍動数の三倍、四倍にすれば足ると思い、試みてみました所が、果たして静脈血の炭酸ガスの量を非常に減少することができ、人工肺臓問題は比較的簡単に解決をつけることができました。

で、人工肺臓の炭酸ガスを取り除く部分は直接大静脈に結び、炭酸ガスを取り除かれた血液は人工心臓すなわちポンプの中に入り、活栓に設けた弁を通じて進み、活栓によって押し出され、そこに設けた管から酸素が送られ、いわゆる動脈血となって、大動脈に入って行くのです。して見ると、人工肺臓付き人工心臓は随分かさばるものだろうとお思いになるかも知れませんが、段々改良工夫して行った結果、実験動物本来の心臓の一倍半位の大きさまでにすることができました。つまり鋼鉄を材料として用いれば、人工心臓の容積を小さくすることができるのです。申し落としましたが活栓を動かす力は、無論、電気モーターでして、炭酸を除くための陰圧も後には電力によって生じさせることにしました。

かく申しあげると、はなはだ簡単に実験を進めてきたように思われますけれども、これまでに工夫改良するには実に容易なことではなかったのです。妻も私もそれこそ文字通りに寝食を忘れて働いたことが度々です。ことに機械ができあがっても、それを家兎の大静脈と大動脈とに結びつけるのが難中の至難事でした。初めは鋼鉄管と血管とを直接カットグートと称する糸で結びつけましたが、鋼鉄では融通がききませんから、後には一定の硬さを有するゴム管をその中間に挟むことに致しました。しかしそれでも、度々、圧力が平等に調節されないで、つなぎ目が口を開き、あっという間に出血して家兎を死なせました。

ことに手術上不快な現象と見るべきものは、血液が凝固することです。ご承知の通り血液は、血管の外に出ると直ちに凝固しますが、この凝血の一片でも血中に送り込まれると、小さな血管の栓塞を起こして組織を壊疽に陥れますから、どうしても血液の凝固を妨げる工夫をするよりほかに道はありません。そこで私は、かの蛙の口部から取ったヒルジンと称する物質を使用して凝固を防ぎ、手術を行うことにしました。しかし手術は無事に済んでも、後の大血管とゴム管との接触部の内側に凝血が起こりやすく、やはり度々失敗を重ねましたが、活栓を速く動かすことにすれば、凝固は起こらぬことを経験して、人工肺臓の工夫が成ると共に、この難関を切り抜けることができたのであります。

次になお不快な現象と見るべきものは、ばい菌のために起こる化膿です。しかし、注意して器具を消毒し、いわゆる無菌的な手術を行えば、家兎の血液はばい菌を殺す力が比較的強いために、化膿を避けることができますが、何といっても化膿を防ぐに最も大切なことは、手術を手早く行うことです。化膿ばかりでなく、その他のすべての不快な現象を除くためにも、手術をできうる限り短い時間で行うということが最も大切な条件であります。幸いに私は、数多き家兎を犠牲にしたために、後にはわずかに十分間で全手術を行いうるようになりました。胸廓を切り開いて人工心臓を取りつけ、再び胸廓を塞ぐだけの手術ではありますが、それを十分で行い得たことについては、いささか得意を感じました。申すまでもなく、人工心臓だけは、胸廓の外に出ております。胸廓の中へ収めることができればそれに越したことはありませんが、前に申し上げた通りの装置では、到底それを望むことができません。あなたは定めし、鋼鉄製の心臓のことであるから、時々油をささねばならぬとお考えであるかも知れませんが、幸いに血液の中には多少の脂肪が含まれておりますから、その心配はなかったのです。

さて、いよいよ人工心臓の発明が完成した時の私たちの喜びはいかばかりであったか、お察しができるであろうと思います。小春日和に木の葉に狂う虻の羽音のような音をたてて電気モーターが回転しながら、目にも止まらぬ速さで活栓を働かし、ために麻酔から覚めた家兎が、台上に縛られたまま五時間、十時間、平気で生存を続けている姿を見た時、私たちは抱きあって歓喜の情にむせびました。モーターの音を始め、炭酸ガスを除くための音や、酸素を供給する音などは、家兎自身にとっては、あるいは不愉快であるかも知れませんが、人類がこの世に出現して以来、何びとも完成し得なかった人工心臓研究の第一の難関を破り得た私たちの歓びには、家兎も心あらば同感であってくれるだろうと思いました。いわんや、さらに研究の歩を進めていったん死んだ身体に人工心臓を装置して、生命を取り戻すことができるようになるならば、家兎も、心から感謝してくれるだろうと思いました。しかも第一の難関を切り抜けた以上、第二のこの難関は比較的容易に切り抜け得るはずです。で、私たちは、日ならずしてこの方の研究に取り掛かりましたが、ここに、はからずも思わぬ障害が起こったのです。

 

(七)

 

「好事魔多し」とかいう言葉があるそうですが、実に何事も思うに任せません。第一の難関を突破して一週間ほど過ぎたある夜、私は突然喀血をしたのです。

人工心臓研究の第一段を終わったのは、生理学教室へ入ってから約一年半の後でしたが、その半年ほど前から私は時々軽い咳をするようになりました。恐らくその時分に多少の発熱があったかも知れませんが、研究に夢中になって、少しも顧みる余裕がなく、身体の無理な使い方をしたのがたたったのでしょう。とうとう喀血に見舞われて、一時研究を中止することを余儀なくされました。若気の至りとでも言いますか、悠々たる態度をもって研究することをせず、ひたすらに焦り続けたのが悪かったのです。今は幸いに健康を回復しましたが、私はその以後、大きな仕事ほどかえってゆっくり研究を進めて行くべきであるということを悟りました。

さて、喀血をした時、主任教授はしきりに入院治療を勧めてくれましたが、私はどうしても研究室の傍を離れる気にならず、私たちの止宿の部屋をそのまま病室として、妻が看護婦になって介抱してくれました。最初はおよそ十グラムほど喀血しましたので、直ちにベッドの上に横たわり、内科に勤務している友人を呼んで診てもらいますと、とりあえず止血剤を注射し、絶対安静にせよと忠告をしてくれましたから、私は仰向きになってじっとしておりました。

ふと、夜半に眼が覚めると、胸に、はし痒いようなくすぐったいような感じがしました。はっと思うと、次の瞬間けたたましい咳が起こって、なお暖かい血は猛烈に口腔に跳ね上りました。咳、また、咳、妻はコップを持ってきてくれましたが、見る見るうちに、コップは紅いものでいっぱいになりました。驚いた妻は洗面器を持ってきて受けました。私は左を下にして横たわったまま吐きましたが、勢い余った血液は鼻腔の方からも突き出されてきて、顔の下半分はねばねばしたもので塗りつぶされました。胸は蜂の巣を突いたような音を立てる、かと思うと、また、雷のようにごろごろ言いました。洗面器の半分ほどは、たちまちに満たされ、このまま全身の血液を吐き尽くすのではないかと思いました。白いシーツの上には紅黒い大小の斑点が染め出され、洗面器を支える妻の手はしきりに震えました。ガス灯はじじと音を立てる、夜はしーんと静まりかえる。血を吐く私は一種の厳粛な思いに襲われました。

しかし、幸いにその喀血は止まりました。喀血の終わった後の心持ちは、ちょっと形容ができません。頭は一時はっきりと冴えかえりました。が、しばらくすると、ぽーっとした気持ちになりました。が、それも束の間、その後で猛然として一種の不安が襲ってきました。

恐怖です。堪え難いような恐怖です。生まれてからそれまで一度も感じたことのないような恐怖に私は襲われました。言うまでもなく、また間もなく喀血が始まるだろうと思うために起こる恐怖です。それはやはり「死」の恐怖であるかも知れません。しかし、どういう訳か、私自身は死にもまさる恐怖だと思いました。私はそのためにそれから眠ることができませんでした。恐ろしくて眠れないのです。眠ればまたきっと喀血を起こすに違いないと思うとじっとして眠れないのです。肺臓の中で破れた血管は外部からは手のつけようがありません。医師はただ黙って傍観するだけでして、止血剤など何の役にも立ちません。血管が破れたまま捨てておく・・・・・・何という恐怖でしょう。私はそれまで患者を診察しても、患者の恐怖心については一度も考えたことがありませんでした。私はその時初めて自分で病気したことの無い医師は患者を治療する資格はないと痛感しました。喀血時の恐怖さえ除いてくれたならば、喀血そのものは何でもないとまで思うに至りました。医学の最大の任務は、病気そのものの治療にあるのではなくて、病気に対する恐怖心を除くことにあると悟りました。

私は眠れない不安を除くために、妻を煩わしてモルヒネの注射をしてもらいました。とても通常量ではこの恐怖を除くことはできまいと思って、少し多量に注射をしてもらいました。するとどうでしょう。一時間経たぬうちに、恐ろしい不安はすっかりなくなってしまいました。そして、いつの間にか、心地よい夢路を辿っておりました。あなたはモルヒネを摂った経験がおありですか。また、「オピアム・イーターの懺悔」という書をお読みになったことがありますか。とにかく、モルヒネを摂ると夢ともうつつともわからぬ一種の快い世界へ引きこまれて行きます。その世界には恐怖というものがありません。それは時間と空間とを超越した快楽の園です。

ふと、気がついて見ると、私の耳のそばで虻のうなるような音が聞こえました。はてなと思って耳を澄ますと、シュー、シューという水のほとばしるような音がします。私は妻と共に、××公園を散歩して、滝の音を聞きつつ、秋の太陽に思う存分浴しているのかと思いましたが、よく考えて見ると、私は寝床におります。これはと思ってかたわらを見るとモーターがしきりに回り、陰圧発生機と酸素供給器とが活動しております。

人工心臓! そうだ、自分は人工心臓を装置してもらったのだ。人工心臓の快さ! 恐怖を知らぬ人工心臓! 人工心臓こそは病気に対する恐怖心を完全に除くものだ! 人工心臓こそは人をして楽園に遊ばせるものだ! 何という平安な世界であろう!

はっと思った途端、けたたましい咳と共にまたもや喀血が始まりました。楽園は急転して地獄の底と変わりました。人工心臓のモーターと錯覚したのは、喀血によって生ずる胸の鳴り音に過ぎなかったのです。その鳴り音をモルヒネの作用によって、人工心臓から生じた安楽の世界として誤認させられたに過ぎませんでした。喀血はコップに三杯ばかりで止みましたが、恐怖心は再び猛烈に私を襲ってきました。すなわち、モルヒネの作用が消滅したからです。

私は仰向きに静臥しながら、つくづく人工心臓に憧れました。人工心臓は私が夢で見たごとく、確かに疾病の恐怖を救うに違いないと考えるに至りました。私が人工心臓の発明を思い立ったのは、人間を死から救い長生延命の実をあげるためであったのですが、死の恐怖にもまさる喀血の恐怖を経験してからは、「疾病の恐怖」を救うだけのためにも、人工心臓を完成しなければならぬと考えました。

ことにその時私は、かねて心理学の講義で聴いたランゲの説を思い出しました。ランゲの説とは、例を取って言いますならば、私たちが恐怖の感を起こすのは、恐怖の時に起こる各種の表情をするためだというのです。すなわち平易な言葉で言うならば、恐ろしい感じが起こったから髪が逆立ち顔が蒼くなるのではなく、髪が逆立ち顔が蒼くなるから恐ろしい感じがするのだという、いわば極端な機械説なのです。喀血をしても、機械説だけは相変わらず信じていた私は、人工心臓によって恐怖のなくなる理由をこのランゲの説で巧みに説明し得ることを知りました。すなわち恐怖の時には心臓の鼓動が遅くなり、はなはだしい時には停止します。これはすなわち、心臓の鼓動が遅くなりまたは停止するために恐怖心を抱かせるに過ぎないのです。だから、もし人工心臓を装置して、たえず変わらぬ打ち方をさせたならば、恐怖の感は起こり得ないに違いありません。

こう考えると、私は一日も早く回復して、人工心臓の第二段の研究に取り掛かりたいと思いました。幸いに喀血は五回で止みまして、その後の経過も順調に進み、およそ一ヶ月半の静養で再び立って働くことができるようになりました。私を診療してくれた友人はしきりに転地療養を勧めましたが私は頑として聞かず、妻も私の心に同情して、私たちは再び人工心臓の研究に取り掛かりました。あの時、友人の言葉に従っておけばよかったものをと今から思えば後悔の至りです。転地療養は私のためというよりもむしろ妻のために必要だったのです。妻は私を看病する時分にすでにかなり肺を侵されていたらしいのでしたが、彼女も私と同じく強情な性質でしたから、少しもそんな様子を私に見せませんでした。

 

(八)

 

人工心臓の第二段の研究、すなわちいったん絶命した動物を人工心臓によって生き返らせる研究は、思ったほど難しいものではありませんでした。私は家兎に種々の毒物を与えて絶命させ、心臓の最後の拍動が止むのを待って直ちに胸廓を開き、人工心臓を備えつけて実験しましたが、死の直後五分間以内に取り掛かるならば、再び家兎の意識を回復させ得ることがわかったのです。しかし五分以上経過すればもはや駄目でした。いわんや、死んで冷たくなった死体を生き返らせる事などは、夢にも希望が持てませんでした。しかし、初めて、いったん死んだ家兎を極めて簡単に甦らせ得た私たちは、あまりに呆気ない思いをしながらも、嬉しさに研究室の中を飛び回ったものです。もっとも、口でお話しすればこれだけの事ですけれど、犠牲にした家兎は随分多数でした。すなわち、家兎を殺すために用いる毒物の選択がかなりに難しいのでした。自然に死ぬのを待つことはできませんから、人工的に死なせなければなりませんが、毒物の中には血液の性質を色々に変化させるものがありますから、随分困難な時もありました。しかもひとつの毒を用いた時だけに成功しても、他の毒を用いた時には成功するとは限りませんから、できるだけ多くの場合を試みておく必要があり、従ってその努力は大したものでした。

もともと人工心臓は人類の恐怖を救うのが目的ですから、家兎に成功すれば、これを人間に応用する必要があります。――私は今、人類の恐怖を救うのが目的だと申しましたが、喀血をした以後は、他のことを顧みるいとまもなく、ただもう、人類を恐怖から救えば、楽園を形成することができると思ったのです。恐怖のない世界! それは何という嬉しい世界でしょう?――で、まずその次の階段として、家兎よりも大きな犬について人工心臓を試みることにしました。犬に対してはただ大きなポンプを用いればよい訳でして、手術などには何の変わったところもなく、ただ家兎の場合と違っているのは電力が余計に要るぐらいのものです。無論犬については、いったん死んだのを甦らせる実験だけを試みたのですが、その結果、犬では死後十分間以内に取り掛かれば目的を達することがわかりました。つまり動物が大きければ、人工心臓の取り付けは幾分遅くなってもかまわないという事がわかりました。これは多分血液の凝固性の大小に基づくものだろうと考えました。すべて小さい動物の血液ほど早く凝固します。死後には言うまでもなく血液が凝固しますが、血液が凝固してからでは、もはや人工心臓は役に立ちません。いずれにしても私は、犬よりももっと大きな動物ならば、死の直後から人工心臓の取り付けに掛かるまでの時間は、もっと長くてもかまわないだろうとの推定のもとに、人間と同じ体重の羊を選んで実験しましたところ、果たして、死後十五分過ぎて取りかかっても、確かに甦らせることができました。今度はもう人間です。何とかして人間について実験して見たいと思っていると、何という運命の皮肉でしょう。私が人工心臓を実験した最初の人は、人工心臓の発明を手伝ってくれた妻の房子だったのです。

ある日妻は突然、研究室内で卒倒しました。私はとりあえず、妻を抱き上げてベッドの上に移し、赤酒を与えると、間もなく意識を回復しましたが、額に手を触れて見ると火のようにほてっていましたから、検温器をあてて見ると、驚くではありませんか、四十一度五分の高熱です。私は直ちに氷嚢をこしらえて冷やしてやり、例の内科の友人に来てもらいました。私が友人から病名を聞いた時の心持ちは、今から思ってもぞっとします。すなわち友人は、立派な粟粒結核だと申しました。粟粒結核! それは死の宣告としか言いようがありません。妻はよほど以前から肺を冒されていたのを、我慢に我慢して来たので遂に取り返しのつかぬ運命に陥ってしまったのです。私は絶大の悲哀に沈みましたが、何だかそこに一縷の希望があるようにも思いました。言うまでもなく人工心臓によって妻を救い得るだろうという希望です。

妻は私と友人との顔つきを見て、早くも自分の運命を察したと見え、友人が去るなり、

「私、もう治らないのでしょう?」

と尋ねました。

私は返答に行き詰まり、黙って首を横に振りました。

「私にはちゃんとわかっているのよ。しかし、私は死ぬことがちっとも怖くない」

その声がいかにも希望に満ちておりますので、私は思わず、

「え?」といって彼女の顔を見つめました。

「人工心臓があるのですもの。ねえ、私が死んだら、すぐ人工心臓を取り付けてちょうだい、私はきっと甦ります」

「そんなことを言っては悲しくなるじゃないか。気を大きくしていなくてはいかん」

「あなたこそ気を大きくしてちょうだい。せっかく、これまで実験を重ねてきたのですから、人間に実験しなくちゃ、何にもならないわ。わたしは兎で成功したときに、たとえ病気にならないでも、わざと死んでわたしの身体で実験をしてもらおうと決心したのよ」

私は思わず彼女の手を握って、彼女の唇に接吻しました。

「そう、実験してくださる? ああ嬉しい? 今までは、兎や犬ばかりの実験だったから、人工心臓での生存が、どんなものか、誰もその感じを話してくれなかったでしょう。それを私は自分で経験したいと思うの。きっと、あなたの言う通りに、安楽な世界が実現されると信じるわ。それを思うと早く死にたいような気がする。ねえ、私いつ死ぬでしょうか?」

私はますます悲しくなりました。

「まあ、いいじゃないか・・・・・・」

「よくないわよ。間に合わないと悲しいから、早く準備をしてちょうだい!」

そうだ! とても助からぬものならば、人工心臓によって妻の希望を達してやるのが、妻に対する親切だ! こう思って私は看護の暇を見て人工心臓の準備をしました。いつもは妻と二人でするのですから、心は勇み立ちましたが、その時は何となく暗い思いが致しました。

 

(九)

 

人工心臓の準備が終わった翌朝、妻の病はあらたまりました。友人たちは駆け付けて来ましたが、妻は主任教授と主治医たる友人の二人をとどめて人々を立ち去らせ、私が絶命するなり、良人に人工心臓の実験をしてもらおうと思うから、良人に法律上の迷惑が掛からぬように保証してもらいたいと頼みました。主任教授の眼には涙の玉が光りました。

それから妻は二人にも部屋を退いてもらって、私に、人工心臓を見せてくれと申しました。私が手に取りあげて見せますと、妻はにっこりと笑いましたが、それと同時に咽喉が、一度に鳴って、静かに瞑目して行きました。

はっと我に返った私は、室外の人々に、妻が絶息したことを告げ、手術中誰も中へ入って来ないように頼み、速やかに手術に取り掛かりました。

胸の皮膚にメスを触れた時の感じ、それは今でも忘れることができません。手早く胸廓を開いて、人工心臓を結びつけました。手術は彼女の死後九分に取り掛かり十三分間で終わりました。

赤く染まった手でスイッチをひねると、モーターはその特有な音を立てて回り始めました。一分、二分、三分、私は彼女の脈を検査しながら、その眼を見つめました。活栓は一分間に二百五十回の割で動きましたから、脈拍の数を数えることはできませんが、血液が無事に巡回していることは、はっきり感じられました。

五分! 彼女の唇がその色を回復すると同時に、まぶたがかすかに震えました。私は思わず、嬉しさの叫びをあげようとしました。犬と羊の実験をしたときも、最初にこのまぶたの震えを経験したからです。

七分! 彼女の両眼球が左右へ回転し始めました。私は、張り裂けるほどの喜びを無理に押えて彼女を見つめました。

九分! 彼女はぱっちり眼を開いて空間を眺め、唇を動かしました。

十一分! 彼女の視線は私の顔に集中されました。

十三分! 彼女は「ああ」と太息を漏らしました。私は思わず叫びました。

「房子! わかるか、生き返ったのだぞ!」しかし彼女はにっこりともしませんでした。

「房子! 人工心臓は成功した。嬉しいだろう?」

「嬉しい」と彼女は機械的に声を出しました。

「嬉しいか。僕も嬉しい。お前は新しい生命を得たのだ!」

「あら!」と彼女はやはりマスクのような顔をしたまま申しました。

「私今、嬉しいと言ったわね。しかし、嬉しいという気持ちになれない」

私はぎくりとしました。そしていきなり彼女に接吻しました。

「あら、許してちょうだい! 私ちっとも、懐かしいという気がしない」

私はさらにびっくりしました。

「あなた、済まない。笑おうと思っても笑えない。嬉しがろうと思っても嬉しがれない。これでは生きていても何にもならない!」

その時の私の絶望! 私は思わず、ベッドに顔を埋めました。

「あなた! 駄目! 早く人工心臓を取り去ってちょうだい。死ぬことも、生き返ることも、何の感じもない!」

二年間の研究はこのひと言で木っ葉微塵に打ち砕かれました。恐怖を除く事のみを考えた私たちは、人工心臓が快楽やその他の感情をも除くことに気がつかなかったのです。悔恨! 慚愧! 妻は今それさえも感じません。人工心臓は結局人工人生に過ぎなかったのです。

パチッ! 私は思い切って、モーターを止めるべくスイッチをねじりました。

 

いや、とんだ長話をしましたね。私のこの苦い経験はあるいはランゲの説を実証したかもしれませんが、私はそれ以後、機械説なるものに飽き足らぬ感じを抱きました。機械説は結局人間の希望を打ち壊すものです。恐怖があり、病気があり、死という事があればこそ、人間に生き甲斐があるのかも知れません。

かくて私は妻の死と共に人工心臓の研究をぷっつり思い切りました。しかし、さっきお話し申しあげた肺臓の窒素固定作用だけは、機を見て研究を続けたいと思いますが、とかく焦ると事を仕損じますからゆるゆる取り掛かるつもりです。

いや、あなたが窒素固定法の発明者ハーバー博士が来日することを話したものだから、つい、私一代の懺悔話をしました。結局、生理学者は、水銀の「人工心臓」をこしらえて楽しんでいる方がはるかに安心かも知れませんねえ、ははははは。

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