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更新日:2022年1月14日公開 印刷ページ表示

三つの証拠(大正15年発表)

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(一)

 

私はこれから如何に周到に計画された殺人でも、思わぬ証拠のために、遂には発覚するものであるということを世の人に知って頂きたいと思って、言わばこの世の思い出に、書き残して置こうと思います。

私は彼女を殺すために、およそ一ヶ月間というもの、一生懸命になって考え、かつ殺人の稽古を致しました。すなわち、どうしたならば、発覚することなしに殺し得るかということを、苦心して考えたのであります。そして遂に、これならば最も安全な方法であると思って、しかも予定通りに殺人を遂行したのにかかわらず、たちまち見事に露見してしまいました。

彼女は牛込のS町に、某株式仲買人に囲われて、雇い婆さんと二人きりで妾暮らしをしておりました。彼女の世にも稀な美貌は、今もなお私の目の前にちらつきますが、私が彼女を殺すようになったのも、要するに、彼女の美貌のためと言って差し支えありません。

三ヶ月前までは、彼女と私とは全く一面識もなかったのですが、ある夜、神楽坂の××館で偶然一等席に隣り合わせて活動写真を見ていますと、真夏のいやに蒸し暑い空気にあてられたためか、彼女は突然脳貧血を起こして卒倒しましたので、彼女を手厚く介抱し意識が回復するなり、背負うようにして彼女の家まで連れて行ってやったのが、そもそも二人の相知るに至った始めなのです。その夜は私は彼女の家の前で別れましたが、ぜひ近いうちにお遊びにいらっしゃいと言われたので、私はその翌々日の午後、初めて彼女の家を訪ねました。

その時婆さんは留守でしたが、彼女は非常に馴れ馴れしく私を迎えてくれたばかりか、その身の上話まで打ちあけて聞かせてくれました。彼女は二十五歳の今日まで極めて不幸な境遇に置かれ遊女に身を堕としていたのを、現在の旦那に救われ、幸福な日送りをしているのだとわかりました。私はある雑誌の記者をしていましたが、まだ独身で素人下宿に住まい、それまで、あまり女というものに親しく接した経験がありませんでしたから、彼女の魅了するような目元に引きつけられて、何となく一種の情熱をそそられると同時に、彼女の旦那という人に対して、軽い嫉妬をさえ感ずるに至りました。

その日はそれで帰りましたが、それからというものは、彼女の姿が目の前にちらついて仕事も手に付かぬようになって来ました。おそらくそれは初恋と称するものだったのでしょう。それまでに感じたことのない憧憬と焦躁とが起こりました。私は雑誌社の方はそっちのけにして、二日おき、または三日おきくらいに彼女のもとを訪ねました。彼女も決して厭な顔を見せず、どちらかというと歓迎してくれるように思えたので私はまったく有頂天になりました。いつも婆さんは午後用足しに出るのが習慣であり、また旦那は夜分にしか来ないということでしたので、私は一度も婆さんと旦那には会ったことがありませんでした。

彼女はいつも快く逢ってくれましたけれど、決して私を深入りさせるようなことはしませんでした。すなわち、ある程度以上にはその心を許さなかったのです。それが後には私にすこぶる物足らなさを感じさせました。そして不満を覚えれば覚えるほど反対に彼女に対する私の恋情は増して行くのでありました。遂には私は恋の重荷に堪えかねて、今日こそは思い切って打ち明けようと思ったことが四、五度も続きましたが、いざとなるとやっぱり躊躇するのでありました。

でもとうとうある日、私は、彼女に向かって切ない胸のうちを残らず打ち明けました。彼女はその間、言わば悲しそうな表情をして聞いておりましたが、やがて、

「お心はうれしく思います。しかし、今の私は旦那以外に身を任せることは出来ません」 ときっぱり言いました。

しかし、私はどうしてもあきらめることが出来ませんでした。私はその後も執拗に彼女に迫りました。しかし一向に彼女は聞き入れませんでした。彼女は決して怒りませんでしたが、その頑固さ加減は呆れるばかりでした。私は恥かしいような悔しいような思いになりました。しまいには、彼女が、私の悶えるのを見て喜んでいるのではないかと思うようになりました。

可愛さあまって憎さが百倍とはよく言ったものです。遂に私は彼女に対して激しい憎悪の念を抱くに至りました。私の心は殺気立ちました。そして私は、いつの間にか、彼女を永遠に私のものとしようと思いました。すなわち彼女の生命を奪おうと決心したのであります、今から思えば、私が彼女を思う如くに彼女は私を思っていてくれたのです。しかし、彼女は大恩ある旦那に義理を立てて、切ない思いをしながら、私の恋をはねつけていたのです。しかし、その時の私に、どうして彼女の真心がわかりましょう。いわゆる私の心は血気にはやり、一旦彼女を殺そうと決心すると、昼夜それが強迫観念となって、どうしても、彼女を殺さないではおられぬようになりました。私は今、心から後悔しています、絞首台上の露と消えるくらいならば、あの時彼女を殺して、私は共に死ねばよかったのです。しかし、私には一面に極めて卑怯な心がありました。すなわち私は彼女を殺して、自分だけ生命をまっとうしようと思ったのです。この点は返す返すも彼女の霊にお詫びしたいと思います。でも、私の卑怯な心が、言わば罪の発覚を招いたのですから、彼女の霊も定めし満足しているだろうと思います。

 

(二)

 

さて、いよいよ彼女を殺害しようと決心するなり、私は、どうしたならば、自分に嫌疑が掛からぬようにすることが出来るかを考えて見ました。私は雑誌記者をしていた関係上、探偵小説を読む機会がはなはだ多かったのですが、それ等の探偵小説の中には、どんなに周到な計画のもとに行われた殺人でも、僅かの手抜かりから発覚するという筋のものがかなりにたくさんありました。しかし、私の場合には、非常に好都合な事情がありました。彼女は伏木敏也という私の名を知っていましたけれど、私の下宿がどこであるかを知りませんでした。また、婆さんも旦那も、私が彼女のもとを訪ねるということを少しも知らないのでした。こういう事情ですから、もし私が彼女を殺しても、私のところへ嫌疑の掛かって来ることは万が一にもあるまいと思いました。その上彼女を殺して、自殺した様に見せかけたならば、私の生命は絶対に安全だろうと思いました。

私は第一に短刀を買わねばなりませんでした。私は浅草とか日本橋とかなるべく遠く離れたところの夜店で買い入れようと決心しました、遂に私は浅草の夜店で、一本の朱鞘の短刀を手に入れました。女持ちとして相応しいものでありましたし、中身はよく研いでありましたから、至極好都合でした。無論私は故意に色眼鏡をかけて、夜店の老爺に顔を覚えられぬように注意したのであります。

次にはその短刀をいかに使用すべきかということについて考えをめぐらせました。それには彼女を後ろから抱いて頸部を刺し、手に短刀を握らせれば、自殺に見えるのであるが、彼女がもし寝ている場合であったならば、枕元に位置を占めて、頸部を刺さねばならぬと考え、私は布団をまるめて紐でしばり、彼女の身体に擬して、短刀で刺す稽古を致しました。

次は短刀にもし指紋が付けばそれこそ、万事駄目になってしまうから、短刀を握るとき指紋を残さぬようにしなければならぬと考えました。それにはゴムの手袋をはめるのが一番便利であると思い、ゴムの手袋を買い求め、それをはめて、稽古を致しました。初めは少し変な気持ちがしましたが、後にはゴムの手袋をはめていても、はめていないと同じようになり、ついうっかり手袋をはめていることを忘れるような時もありました。

次に短刀で彼女の頸部を刺したとき、出来得る限り、自分の衣服に血を浴びぬようにしなければなりませんが、こればかりは、稽古することが出来ませんから、なるべく夜分を選んで凶行を遂げなければならぬと思いました。ところが夜分は、旦那が居ることもあるし、また婆さんも居るから、はなはだ都合が悪く、それかといって、深夜に忍び込むことは、なおさら危険ですから当分のうち、夜分に彼女の家を監視して、適当な機会を見つけようと決心しました。彼女の家の前には都合のよいことに、門柱が二本立っているだけで、門の扉はなく、門を入ると植え込みになっていて、奥の庭に通じていますから、座敷の前へ回って、家の内の様子を立ち聞くことが出来るのです。ですから私はこの方法によって、彼女一人きりになった時機を捉え、凶行を演じようと覚悟したのであります。

殺害の練習が終わると、いよいよ私はある夜ゴムの手袋とマスクと短刀とを洋服のポケットに忍ばせて、彼女の家に監視に出かけました。ところが、機会は意外に早く到来し、その夜彼女を殺すことになりました。それは十月の星の多い夜で、比較的冷たい風が街の表面を撫でておりました。ちょうど、彼女を最後に訪ねてから一ヶ月を経ておりましたが、色々とりとめのない思いに耽りながら、S町の方に歩いて行きました。あたりは森閑としていて、まだ八時頃であるのに人通りも稀でした。彼女の家の傍まで近づくと、意外にも門の前に、空の人力車が置かれてあって、車夫が蹴込みに腰かけて待っていました。はて、彼女の旦那はいつも人力車でやって来て、車夫を待たせておくのだろうかと思いましたが、やがて家の中から一人の洋服を着た紳士が出て来ました、手提げ鞄を携えているところから見れば、まさしくそれはお医者樣だとわかりました。彼女が病気であろうか。それとも、旦那が病気であろうか。医者の人力車が去るなり、私は門を入って座敷の前の庭の方に回り、內部の様子を立ち聞きました。

すると、驚いたことに、中から、男の怒鳴る声と、女の嘆願するような泣き声が聞こえました。女の声は確かに聞き覚えのある彼女の声でした。男は何を怒っているのか、早口なのでよくわかりませんでしたが、一つ二つ洩れ聞こえた言葉から察すると、彼女の旦那であると知れました、しばらくすると、旦那は婆さんを呼んで何事をか言いつけ、家を出て行きましたので、私は彼女が病気に罹っていることを知りました、私はその時、彼女が旦那に叱られたのであるから、彼女を殺して自殺したと見せるには最もよい機会であると思いました。しかし婆さんの居る間は踏み込むことが出来ません。そこで、なおもしばらく耳を澄ましていますと、間もなく彼女は婆さんを呼んで、何やら買物をして来るよう命令するのでありました。私の心は躍りました。この機会をはずしては彼女を殺すことは永久に不可能だろうと思いました。

私は手早くマスクをかけ、ゴムの手袋をはめ、婆さんが家を出て行くなり、家の中に忍び込みました。勝手を知った家ですから、つかつかと座敷の方に進み襖を開けると、果たして彼女は布団の中に横たわって、苦しそうに呼吸をしておりました。彼女はむこうを向いておりましたが、襖の開く音を聞いて、苦しそうにしてこちらへ向き直りました。彼女の目は泣き腫れておりましたが、マスクをかけた私の姿を見るなり、ぎょっとしたらしく見えました。そして、その途端に、

「あ、伏木さん・・・・・・」

と、私の名を呼びました。それから私がどういう行動を取ったかは今、はっきり思い出すことが出来ません、はっと思って気がついて見ると、私は彼女の枕元に座って、彼女の頸動脈を切っておりました。布団の上には血が池の様にたまりました。彼女は最早永遠に口をきくことが出来なくなっていました。私は今にも婆さんが帰って来はしないかと思いましたので、とりあえず、彼女の右手に短刀を握らせ、座敷の箪笥のひきだしを引き出し、衣服の上へ朱鞘を乗せました。こうすれば、彼女が寝床から這い出して、ひきだしから短刀を取り出し、寝床の上に帰って自殺したと見えるに違いありません。なお私は、彼女の着ていた布団を半分ばかりめくり返しておくことを忘れませんでした。

手早くマスクを外して、逃げるように街の上に出ました。幸いに付近には誰もいず、また、街は非常に暗かったので、私にとっては非常に好都合でした。やがて街角まで出ると、一人の男に出会いましたが、彼はただ私をじろりと見ただけで行き過ぎてしまいました。ふと気がつくと、私はゴムの手袋をはめておりましたので、取りあえず、それを脱いでポケットに入れました。そして、およそ十五町(※約1.6km)ほど隔たった私の下宿をさして、なるべく暗い町を通って歩いて帰りました。

 

(三)

 

靴の音がいやに強く秋の夜の空気に響いて私の心を寒くしました。先刻から私は誰かにつけられているような気がして、再三振り返って見ましたが、別にそれらしい人の姿も見えませんでした。しかし誰かにつけられているという感じがしきりにしましたので、私は歩調を早めて歩きましたが、今から考えて見ると、どの町を通ったのかさっぱり覚えがありません。まるで私は夢路を辿っているような気がしました。ただ身体が綿のように疲れていましたので、私が誰かにつけられていると感じたのも、恐らく錯覚であろうとその時は思いました。

とうとう私は下宿に戻って、私の部屋に逃げ込むように入りました。見ると幸いに衣服のどこにも血は付いておりませんでしたが、ゴムの手袋にはかなりに血痕が付着しておりましたので、ハサミを出して細かく切りくだき明日の朝、街にばらまき捨てることに致しました。これさえ捨ててしまえば私は完全に証拠を消したことになるのです。

私は机の上に肘をついて、じっと考えました。彼女が私の姿を見て「伏木さん」と叫んだ声が、妙に私の頭にこびりついておりました。彼女はどうして私だということを知ったのであろう。果たして彼女は私が殺しに行くことを予期していたのであろうか。私は何となく気の毒なことをしたというような心に襲われました。彼女の生命を奪ったという喜びよりも、悔恨の念の方がまさって行くように思われました。しかし私は、自分自身の生命を惜しみました。自首しようなどという心は毛頭も起こりませんでした。で、私は、果たして自分の生命が安全であるかを回顧しました。換言すれば、どこかに手抜かりをしなかったかを考えて見ました。今頃は恐らく婆さんによって彼女の死が発見されているであろう、あるいはすでに警察へ告げられて、警官が臨検しているかも知れない。しかし、どう考えて見ても、自分には手抜かりがないはずであるから、私の生命は絶対に安全であると思いました。そう思うと、私は、警察が如何にこの事件を解決するかということに少なからぬ興味を持つようになりました。

その夜私は疲労のあまり熟睡しました。翌日目が覚めて、新聞を見ますと、果たして彼女の変死が報じられていましたが、他殺の疑いがあるので、旦那が警察へ引っ張られて取り調べを受けつつあるという記事を読んだとき、私はぎくりとしました。どうして他殺だと鑑定されたのであろう? それを思うと私は妙な気持ちになり、じっとしてはおられなくなりましたから、直ちに昨夜細かく刻んだゴムの手袋を持ち出し、街の上を歩きながら、細片をばらまきました。そして、そのへんを宛もなくさまよいながら、後、浅草へ行って活動写真館に入り、夕方の五時頃戻って来ました。

下宿の玄関の格子戸を開けると、上り口に一人の男が腰掛けていましたが、私の顔を見るなり、

「あなたは伏木敏也さんでしょうね?」と尋ねました。

「そうです」 と私はどぎまぎして答えました。

「僕はこういうものです」

こう言って男の差し出した名刺を手に取って見ると、そこには「××警察署刑事○○○○」と書かれてありました。

その瞬間、私の目の前は暗くなって、私は思わず格子戸につかまりました。

 

(四)

 

しかし、私はすぐ気を取り直して考えました。刑事は何かほかの用事で来たのかも知れない、何を怖れることがあろう。何も証拠はないではないか。怖れる姿を見せるのが却って疑いの種となるではないか。こう思うと私の心は軽くなり、私は刑事に向かって何の用で来たのかを尋ねました。すると刑事はちょっとお尋ねしたいことがあるから警察署まで同行してもらいたいと申しました。

道々私たちは一口も物を言いませんでした。もしや、やっぱりこの事件についてではないかと考えましたが、こんなに早く自分に嫌疑が掛かって来ようとはどうしても考えられませんでした。

警察へ行くと、署長は私を尋問室に呼び入れ、まず私の名を聞いてから、

「君は福井みちという女を知らないかね?」と尋ねました。福井みちとは彼女の名です。

私はぎくりとしました。

「知りません」と、私は思わず答えました。

「そうか、ゆうべ君は九時頃下宿には居なかったそうだね?」

「外出しました」

「どこへ行ったかね?」

「神楽坂を散歩しました」

「そうか、しかしS町の方へも行っただろう?」

「いいえ、行きません」

「でも、君をあの付近で見た人があるよ」

「何かの間違いでしょう」

署長は私の顔をじっと見つめました。

「実はねえ、ゆうべ九時頃にS町の福井みちという、ある人の妾が殺されたんだ。君はその女を知っているはずだから、ちょっと来てもらったんだ」

「そんな女の名は聞いたこともありません」

署長は黙って、机のひきだしから柄に血のついた朱鞘の短刀を取り出しました。私はびくっとしました。

「この短刀に見覚えはないかね?」

「ありません」

「ふむ、なかなか君は強情だね?」

「だって何の話だか私には少しもわかりません」

「わからないはずはないよ。では、こちらから聞かせてあげよう。君はゆうべ、福井みちのところへ行って、彼女を寝床の上で殺し、右手に短刀を持たせ、朱鞘を箪笥のひきだしに入れて彼女が自殺したように見せかけたのだ。君はこの短刀を握るとき、指紋を残さぬようにと、ゴムの手袋をはめていただろう。どうだね、間違いはないだろう」

「嘘です、嘘です、そんなこと少しも知りません」と、私は夢中で叫びました。

「まあ、聞きたまえ。彼女が自殺したように見せる君の計画は確かに巧妙だったよ。しかし君は、その際とんでもない間違をしたよ。君は彼女がどういう病気で寝ていたかということを少しも知らなかったらしいねえ。君、彼女は急性脊髄炎に罹っていたのだよ。それがために、両足が麻痺して、布団の外へ一歩も這い出せぬ状態にあったのだ。だから、彼女が短刀を取りに出て自殺したとは絶対に考えられないじゃないか」

私は心臓が突然消えてなくなるような気がしました。全身から冷や汗がにじみ出ました。

「はじめ警官が臨検したときは自殺だろうと判断したのだが、彼女を診察した医師から脊髄炎だったと聞いて、他殺だとわかったよ。そこで、彼女の旦那が嫌疑者として取調べを受けたのだ。婆さんの証言によると、何でも旦那は昨晩大いに怒って彼女を責めたということだからねえ。ところが直ちにそうでないという証拠があがったんだ。そこで今度は婆さんに嫌疑を掛けたが、これもすぐそうでないという証拠があがって、犯人は外部のものだとわかったのだ。そしてその犯人は君より外にないと思うのだが、君はまだ白状しないつもりかね?」

私は足の下の大地が崩れるかと思うような感じがしました。物を言おうと思っても急に言うことが出来なくなりました。

「君はまた、ゆうべ、第二の手抜かりを演じたよ。それは君が彼女を殺して街へ出てからゴムの手袋をはめていた事だ。君は覚えていないかも知れんが、彼女の家からほど遠からぬ街角で、君は一人の男に会ったはずだ。あれは私服の刑事だったんだ。刑事は君のゴムの手袋に目を付け、妙な人間もあるものだと不審に思って、とにかく君の後をつけて見たのだ、そして君の下宿を見届けて帰ったのだ。無論その時は殺人事件もまだ知れていなかったのだが、今日、福井みちを殺した犯人が外部にあると決まったので、刑事はゆうべの事を思い出し早速君の留守中に下宿へ行って名前を尋ねると、伏木敏也ということがわかったので、いよいよ君が犯人と決まり、別の刑事が、君の帰るのを待ち受けてこうして連れて来てもらったのだよ。これでもまだ君は恐れ入らぬかね?」

私はやっとのことで声を搾って言いました。

「しかし、私がゴム手袋をはめて、S町付近に居たとて、私がその女を殺した証拠にはならないじゃありませんか。私とその女との関係を知るに足る証拠がないじゃありませんか?」

「ふむ、なかなか理屈を言うね。それじゃ君と彼女との関係を知るに足る証拠があったら、君は自分が犯人であることを認めるか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「君は、どうやら、第三の最も有力な証拠を知らぬようだね? それでは教えてあげよう。彼女が脊髄炎に罹った原因が、実はゆうべ彼女の旦那を憤慨させる原因となったのだよ。それは、彼女が右の二の腕を故意に傷つけたために、そこから黴菌が入って急性脊髄炎に罹ったと医師が診察したからだ。君、これでもまだよくわからぬかね?」

血液が頭に逆上して、目がくらむ思いがしました。

「君、よく聞きたまえ。彼女が二の腕を傷つけたというのは、実は入れ墨をしたんだよ。もと遊女をしていて朋輩のやることを見ていたからだろうが、君、その入れ墨がどんなものだったと思うね? それは仮名で、「フセキトシヤ」と君の名が書かれてあったんだよ・・・・・・」

 *         *             * 

*          *            *

私はこれを聞いて確かにその場で卒倒したと思います。そして、それから直ちに一切を白状してしまいました。彼女は私を恋い、私が久しく訪ねないので、腕に入れ墨をしてまで、私の名を記念にしようとしたのです。それ程の彼女の心を私は少しも知らなかったのみか、彼女を怖ろしい病気に罹らせ、その上私の手で殺してしまったのです。今、私には後悔の念が潮のように湧いて来ます。私は、潔く死を迎えて、心から彼女に詫びたいと思うのであります。

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