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更新日:2021年10月30日公開 印刷ページ表示

躓く探偵(大正15年発表)

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(一)

 

月並みな言葉ではあるけれど、人間の運命ほど数奇なものはありません。私が浮世のどん底と言ってもよい生活をやっと逃れて、四十歳になってから、仕事もあろうに私立探偵を開業するようになったのも、まったく数奇な運命の必然だろうと思います。そして私立探偵になって初めて深入りした事件に、物の見事に失敗し、それっきり私立探偵を辞めてしまわねばならなくなったのも、運命の悪戯と言えば言い得ると思います。私はこれから、言わば私の一生の思い出に、その事件の顛末を書き記しておこうと思います。

その事件を記すためには、当然、私が私立探偵になるまでの波瀾の多い生活について書かねばなりませんが、それはあとで述べることして、私が、××区△△町の裏通りに私立探偵事務所の看板をかけた時から話を始めようと思います。

△△町には『成金』として名高い、原口真平の大きな和洋折衷の邸宅があります。私の事務所は、ちょうど、その原口邸の裏通りの街に面していまして、事務所の二階から見下ろしますと、高い塀越しに、原口邸の豪奢な奥庭の一部分が目に映ります。この原口という人は、ずいぶん悪辣な方法で金を儲けたと言われて世間からつまはじきにされておりました。一例をあげると、『誰にでも出来る五万圓(※現在の価値で約四千万円)貯金法』などという広告を新聞に出して、地方の小学校教師などが苦心して貯めた金を自分の事業に投資させては有耶無耶にしてしまったということであります。また、素行の点においてもずいぶん非難されていまして、大きな声では言えませんが、人妻に対して無礼を働くことなど平気でしたということであります。

その原口真平が、私が『私立探偵事務所』の看板をかけてから十日と経たぬうちに、ある夜自宅で、何ものかに心臓を刺されて死んだのであります。問題の人物であるだけに、彼の非業の死は世間の大評判でありました。何でもその晩遅くまで来客があって、原口は西洋館の階下の事務室兼応接室で話していたそうですが、客を送り出してから一旦もとの部屋に帰った時に刺されたものらしく、書生がコーヒー茶碗などを片づけに来て惨劇を発見し、大騒ぎとなったそうであります。

急報によって、警察の刑事たちは時を移さず原口邸に駆けつけて取り調べましたが、死骸の傍に凶器らしいものが見つからないので、自殺ではなく、確かに殺されたものであることがわかりました。

その夜、書生は客を送り出してから、玄関の入口のドアに錠を下ろし、いったん台所へ引き返し、それからお盆を持って、応接間に行ったのでありますから、客を送り出しに来た主人の生きた顔を見てから、応接間で惨殺された主人の死に顔を見るまでには、わずかに五分か七分の時しか経っていないと、書生は主張したそうであります。しかも犯人はその間に凶行を演じて完全にその姿を隠してしまったのであります。応接室の窓には内部から掛け金が下ろされていて、犯人が外部から入ったという形跡が特にありません。しかも、内部のものといえば、今年二十五歳になる独身の令息保と、加藤という前記の十八歳の書生と、二人の女中だけで、それらの人々に嫌疑をかけることは不可能だと断定されました。

そこで刑事たちは原口の机や金庫の中の書類を調べて、その方面から犯人を物色しようとしたのであります。ところが、世間の噂以上に、内部の事情は複雑なものであるらしく、数日にわたって取り調べた結果は、かえって原口の悪辣な手段を裏書きする証拠が出るばかりで、原口殺害の証拠は何一つ挙がらなかったのであります。

ことに刑事たちにとつて不便だったのは、原口の経営している諸会社の総取締役をして、原口の腹心の徒である阿部十郎がちょうど原口の殺された日から、どこへ行ったかその行先がわからないことでありました。阿部はこれまで、原口の命で、家族に行先を告げずに一週間や十日間地方へ旅行するのは稀でなかったのですから、家族のものは、いつもの旅行だろうと言っておりましたが、原口の死は全国の新聞に報じられたのですから、旅行先から、電報くらい打って寄越してもよいはずであるのに、その事がなく、阿部の家族は、一種の不安に襲われたのであります。いずれにしても、そのような事情で、原口殺しの犯人は、まだ発見されなかったのであります。

新聞紙上で、以上のような事情を読んだ私は、私立探偵として名をなすには絶好の機会だと思い、みずから進んでこの事件を解決させてもらおうと決心して、ある日原口邸を訪ねて、『私立探偵大久保豊』という名刺を差し出しました。すると、令息の保氏は快く出迎えてくれました。

「ご承知でもございましょうが、私はお屋敷の裏につい先立ってから住んでおります。お父上様のご不幸は何ともはや、同情に堪えません。一週間経った今日、なお犯人が発見されないようですから、定めし残念でしょうと存じます。私は御そばに住んでいて、お父上様のお姿も二、三度拝見したことがありますから、職業上黙っていることが出来ず、何かお役に立てばよいと思って、こうしてお伺いしたのでございます」と、私は丁寧に言いました。

令息は私の濃い口髭と金縁眼鏡と見て信頼したものか、ぜひ捜索をお願いしたいと言って、すぐさま私を凶行の行われた部屋に案内してくれました。私は令息を見たのは始めてですが、お父さんのでっぷり太った姿に似ず、痩せ型の神経質らしい顔をしておりました。

「他殺であるとわかって、しかも犯人が内部のものでないと決まれば、どうしても外部から入ったものでなくてはなりません。しかも、外から入った形跡が無いとすれば、当然考えられることは、窓でも入り口でもないところから、この部屋に忍び入ったに違いありません。もしや、あなたは秘密の通路でもあることをご存じになりませんか」と、私は、室内の机や窓際などを調べてから尋ねました。

「そんなものがあるとは思えません」と令息は答えました。

私は、原口のような人間は、きっと秘密の通路ぐらい拵えておいたに違いないと思ったのであります。かけ出しの私立探偵で、これまであまり、その方面の経験がないにもかかわらず、事情やむを得ずしてなった私のことですから、捜索にかけては警察の人たちにかなう道理がありません。で、私は先日来新聞を読んで、きっと秘密の通路があるに違いなく、それさえ発見すればこの事件は解決されると考えたのであります。ですから私は、その秘密の通路の発見に力を注いだのであります。ウォール・ペーパーの貼ってある四方の壁や、リノリウムの敷かれてある床の上を熱心に調べたのであります。けれどもどこにも秘密のドアらしいものはありませんでした。しかし私は、金庫が壁の中へ嵌め込んであって、金庫の扉と壁とが同じ平面にあるところを見て、もし秘密のドアがあるならば、金庫の附近にありはしないかという気がしました。そこで私は、金庫の付近の壁をそここことなく指で押さえて見たのであります。

ところが金庫から四尺(約1.2m)ぐらい離れた右上方にあたる部分で、ウォール・ペーパーの一つの花模様の中央のところに、付近よりも心もち高くなっている指先くらいの大きさの高まりがありました。で、私は、少し力を入れてその高まりを押して見ますと、果たしてバネ仕掛けになっていましたが、それと同時に、異様な現象が起こったのであります。すなわち今まで壁と同じ平面にあった金庫が、ずるずると後ずさりをして、およそ一尺五寸(約45cm)ほど奥の方へ動いて行きました。

私は思わず令息保氏の顔を見ました。保氏は半ば口を開いて呆気にとられて、生物のように動いた金庫を眺め入りました。私は直ちに近寄って、金庫のあった部分を調べますとそこに出来た窪みの向かって右側の板壁に、高さ二尺(約60cm)、幅一尺(約30cm)ほどのドアの区切りが見え、その手前のところに一個のボタンが付いていました。そこで私がそのボタンを押しますと、ドアは内側の方へパッと開き、冷たい風がサッと私の顔にぶつかりました。果たしてそれは私の予期した秘密の通路だったのです。

 私たちはそれから直ちに相談をして、秘密の通路の探検をすることにしました。私は保氏にマッチと燭台とを借り、二人がスリッパを履いて私が先頭となって、蝋燭の灯りを頼りに、地下をさして降りていきました。入り口には鉄製の階段があって、約三間(約5.5m)ほど降りると、そこからちょうど立って歩けるくらいのトンネルが作られ、裏庭の方向に走っていました。天井は板で囲われ底面と両側とは比較的小さな方形の御影石で作られていました。

 およそ四、五間(約7~9m)進みますと、一種異様な腐肉のような匂いがしてきましたから、私は恐ろしい予感に打たれました。そして、なお三間ほど進むと、私は底面に何者かが横たわっているのを見て思わず立ち止まりました。見るとそこには、和服を着た一人の男が首を横向け、身体を仰向きにして倒れていました。死体は右手に短刀を握り、心臓部の傷から、血が着物の上に滲み出しておりました。それを見た私は思わず手を離し、燭台が石の上に落ちて、蝋燭が消え、私たちは、真の闇に包まれてしまいました。私は早速マッチを取り出すべく、ポケットに手を入れましたが、さっき確かに持ってきたはずのマッチがありませんでしたから、私は保氏に頼んでマッチを持って来てもらうことにしました。

 変死した死体と一緒に、闇の中にいることは、あまり気味の良いものではありません。私は早く令息が帰ってくれればよいがと思いながら待っていましたが、どうしたわけかなかなか帰って来ませんでした。ようやく十分ほども過ぎたであろうと思う頃、保氏は懐中電燈を手にして帰って来ました。

「どうも遅くなりました。マッチは応接室にも見当たりませんでしたから、奥へ行って懐中電燈を探して来ました」と保氏は息を切らせながら言いました。

 それを聞いて私は胸のポケットを探りますと、どうでしょう、マッチはちゃんとそこにあるではありませんか。

「いやどうも失礼しました。マッチは私が持っていましたよ。何しろ、こういう目に会うのは初めてですから、少々興奮したと見えます」と、私は笑いながら言いました。

私たちは、懐中電燈の光で死体を検査しました。冬でありながら、死体が腐敗しかけているところを見ると、死後少なくとも数日を経過したものであるらしく、血染めの短刀を握っているところを見ると、男は確かに自殺したものと思われました。

私はうつ向きかかっている男の頭を、ポケットから鼻紙を出して、それを隔てて手でつかみ、少し仰向けにして、電燈で照らしました。

「この顔をご存じありませんか」私は尋ねました。

保氏は、臆病な子供が、ガマガエルを見るような風をして、覗き込みましたが、たちまち、

「やッ、阿部さんだ」と叫びました。

「えッ、それでは先日来、行方不明を伝えられている阿部十郎氏ですか」と私は思わず問い返しました。

「そうです、そうです」

「そりゃ大変だ。早速警察に知らせなければなりませんが、その前に、この秘密の通路がどこに通じているかを調べておきましょう」

こう言って、私は保氏の同意を得て先頭になって進みました。すると死体から更に六、七間(10~12m)行ったところが、突き当たりになっていて、そこにはやはり鉄の階段がありました。そして階段の下のところに一足の下駄が置かれていました。多分それは死体に属するものだろうと察せられました。私たちは、下駄をそのままにしておいて階段を上りました。階段を上りつめるとそこは本造りの屋形になっていまして、板の間から光線が洩れて来ました。よく探して見ると一枚のドアがあって、その錠がやはり電気仕掛けになっていてドアのそばにあったボタンを押すと、ドアはパッと外に開いて明るい光線が流れこみました。そこから外へ出ますと、すぐその下が原口家の奥庭の池になっていました。そして今出て来たところを振りかえって見ると、驚いたことに内部から屋形として見えたのは、もったいなくも朱塗りの稲荷の祠でありました。すなわち秘密の通路へのドアは稲荷の祠の後側にありまして、稲荷さんのご神体は意外にも空であったのです。

私は広々とした庭の冬景色に見とれるよりも、秘密の通路を作った人の頭のよいことを感心しました。お稲荷さんの祠を通路の入口としたのは、たしかによい考えだと思いました。神様のことですから、誰もはばかって近づきませんから容易に発見されない訳であります。保氏もこの発見にすこぶる驚いていました。自分の家でありながら初めてこうした秘密を発見したのですから、それは無理もありません。稲荷の祠は高い塀のすぐ傍にありましたから、私の家はちょうどこの稲荷の祠からまっすぐに街を隔てた五、六軒先のところにあるのですが、私の家の二階からは、この祠は見えなかったのであります。

やがて私たちは再び秘密の通路に引き返しました。死体の検査は、むしろ警察にしてもらった方がよいと思いましたので、私は手をつけずに、そのまま、もとの応接室に引き返しました。

「私の考えでは、阿部さんとおっしゃる人がお父さんを殺して、それから秘密の通路で自殺なさったのだろうと思います。これで事件は意外にも早く解決されたと思います。が、詳しいことは警察の人に任せましょう」

こう言って私は、私の好きな『バット』(※煙草)に点火して、再会を約して、内心大いに得意になりながら、保氏の熱い感謝の言葉を受けて、ほどなく原口邸を辞しました。

 

(二)

 

翌日の新聞紙には、阿部氏の死体発見の顛末が報じられ、新聞記者たちは私の家に押しかけて来て、一躍私は名探偵として褒め上げられました。私はそれまで下女も雇わず、たった一人きりで暮らしていましたが、この様子では、事件の依頼者が多くなるだろうと思って、新しい借家を物色すべく毎日出かけました。

ところが、私の発見した事実に変わりはなくても、私の解釈はすこぶる違っていて、間もなく私は、得意の鼻を挫かれてしまったのであります。そして私立探偵という職業は、到底私の柄ではなかったことを悟ったのであります。

ちょうど、私が、阿部氏の死体を発見してから五日目の午前のことです。私が例の如く借家探しに出かけようとすると、原口家の書生が来て、今、警察の御方が見えて、お礼かたがた一度お伺いしたいと思いますが、ご都合はいかがでしょうか、もしこちらへ来ていただくことが出来たら、それに越した幸いはありませんとの言葉を伝えました。私は早速承知をして先方へ行きますと、保氏が出て来て例の応接室へ案内してくれました。そこには正服を着た一人の刑事がいまして、保氏の紹介が済むとにこにこして私を迎えてくれました。私は、窓際に重く垂れ下っているカーテンの前の椅子に腰を下ろして、机を隔てて刑事と対座しました。

「どうも今回は色々ご苦労様でした。お陰で事件も終結に近づいたようですから、ちょっと、ご挨拶をしておこうと思って、こうして御運びを願った訳です」と、刑事は丁寧に愛想よく言いました。

「いや全く怪我の功名でした」と、私は答えて、ポケットから『バット』を出して吸いました。

すると刑事は突然、

「大久保さん、あなたは、『バット』を吸われるようですが、他の巻き煙草は召し上がりませんか」と、尋ねました。

「はあ、『バット」しか吸いません」と、私は何気なく答えました。

「そうですか」と答えた刑事の声は、興奮のため、少し震えていました。私は不審に思って、

「なぜですか」と、尋ねると、

「いえ、別に何でもありません、どうも煙草というものは、吸い始めると、ひとつものしか吸いたく無くなります。私も『敷島』以外は吸わないのですよ」と、刑事は答えました。

私は何となく、この会話が不愉快になって来ましたので、

「時に、やっぱり、阿部さんが、原口さんを殺して、自殺なさったと決まりましたか」と、尋ねました。

すると刑事は意外にも顔を曇らせて言いました。

「実はどうも少し変なところがあるので、あなたにもご相談願いたいと思ったのです」

「変なところとはどんなことですか?」

「始めから申し上げなければわかりませんが、阿部さんの死体があなたの手によって発見されましてから、直ちに、警察では活動を始め、仮埋葬に附してあった原口さんの死体を再検査して見ますと、原口さんを殺した凶器は、たしかに阿部さんの握っていた短刀だとわかりました。ところが、阿部さんの死体は、一見、自殺のように見えておりましても、どうも、そうでないようなところがあるのです。第一阿部さんは心臓部に刺創を受けて死んでおられるにかかわらず、石畳みの上に、血がほんの少ししかこぼれていませんから、どうも阿部さんの死体は他の場所からあそこへ運ばれたのではないかと思われるのです」

なるほど警察の探偵は細かいところへ目を付けるものだと私は思いました。「しかし、心臓部を刺すと内出血の方がはなはだしいのですから、体外へは血の流れ出ることが少ないのが普通ではありませんか」と、私は反駁して見ました。

「ところが」と刑事は続けました。「証拠はそればかりでないのです。あなたもご覧になりました通り、阿部さんはあのお稲荷さんの祠から忍び込んで、その階段の下で下駄を脱がれた体になっております。して見ると阿部さんは、足袋であの石畳みの上を歩かれたことになりましょう。ところが阿部さんの足袋には少しも泥がついていないのです。少なくともあの石畳みの上をあれだけ歩いた痕跡が見られなかったのです」

私はびっくりしました。さすがに専門家だけあると思って、感心しながらも、いささか気味が悪くなりました。そして、その歴然たる証拠を反駁するだけの理由を見出すことが出来なかったので、ただうなずいて謹聴するのでありました。

 「ですから、たしかに、阿部さんは、他所で殺されて、あそこへ運ばれたものと考えて差し支えないと思います。すると、次のようないくつかの推定を行い得ると思います。第一に、原口さんが阿部さんを殺して、あそこに運びこみ、後、原口さんが何者かの手で殺されたということ。第二に阿部さんが原口さんを殺し、後、阿部さんが第三者によって殺され、あそこへ避ばれたということ。第三に、原口さんと阿部さんとが別々の人によって殺され、阿部さんの死体があそこに選ばれたということなどであります。しかしこれらの推定は、これから申し上げようとする第四の推定に比べると、どうも真実性が乏しいように思うのであります。その理由は今、ここで詳しく述べる余裕がありませんから、第四の最も真実らしい推定を申し上げることにします。それは何かと言いますと、原口さんも阿部さんも同一の犯人によって殺され、犯人は、自分への嫌疑を免れるために、阿部さんが原口さんを殺した後、自殺したように見せかけたに違いないということであります」

私はこの明快な議論に、やはりただ、うなずくばかりでありました。刑事は続けました。

「するとその犯人は誰であるかという問題になって来ます。私たちはここで当然殺害の動機について考えなければなりません。ご令息を前にしてはなはだ申しにくいことですが、原口さんは、金銭上ではずいぶん多数の人から怨恨を受けておいでになりました。で、その方面について、原口さんの書類を調べて見たのですけれど、まるで雲をつかむようで、手がつけられませんでした。そこで私たちは再び出発点に戻って、物的証拠を得ようと努力したのであります。殺害の行われたこの部屋はすでに以前に一度検査しましたので、私たちは主として秘密の通路を検査したのです。すると、果たして、一、二の新しい手がかりを発見したのです。そのうち一番大切なのは、鉄の階段の手摺りに、ある男の指紋を発見したことです。その指紋は、原口さんのでもなく、阿部さんのでもなく、また、現に、この家に住んでおられる人のでもありませんでした」

私は何となく、ぎょっとしました。この警察の探偵の組織立った捜査法には一種の圧迫を感じ、胸が悪くなるような気がしました。

「さて、その指紋を発見して、私たちの当然行う手順は、その指紋の持ち主が前科者でないかどうかを取り調べることです。ところが、警視庁の台帳と照らし合わせた結果、幸いなことにその指紋の持主が発見されたのです。それは今から十年ほど前に、原口さんの秘書をしていて、原口さんの金をごまかし、北海道の刑務所に八年間服役して、三ケ月程前に放免された水谷真という男なのです」

「えッ」と、保氏はその時驚いて叫びました。「水谷真の名は父から聞いたことがあります。私は一度も顔を見たことがありませんが、今のお話で犯人は水谷に違いありませんから、早く逮捕して父の仇を取って下さい」

 私もかなりに驚きましたが、すぐ冷静になって考えました。

「しかし、その水谷が、以前にこの家にいたのでしたら、秘密の通路を知っていましょうし、従って階段に指紋が残っていたとて別に不思議はないではありませんか」と、私は反駁しました。

「そうです、無論私たちもその点を考えました。しかし、水谷が放免されて自由な身となっている以上、私たちは水谷を捜し出して一応尋問して見るのが当然の務めであると思い、現に彼の行方を捜索しているのであります。しかし彼の行方はいまだにわかりません。そこで私たちは順序として阿部さんがどこで殺されてあそこに運ばれたかを捜そうと思いました。ところが阿部さんの身体検査をして、私たちはちょっとした発見をしました。というのは阿部さんの袂から一本の巻き煙草が発見されたのです。奥さんに聞きますと、阿部さんは、平素『朝日』以外の煙草は決して吸わなかったそうです。しかるに、袂から発見されたものは『バット』だったのです。奥さんはいつも阿部さんの外出なさるとき、袂に、紙とハンカチが揃っているかどうかを調べなさるので、その『バット』は阿部さんが殺されなさった日に、たぶん訪問先でもらわれたものだろうと考えられるのです。しかし、『バット』を吸う人は世に無数にいます。現にあなたご自身も『バット』を御吸いになっているのですから、『バット』の吸い主を一々、捜索することは到底不可能であります」

こう言って刑事は私の顔を見つめました。私は非常に不愉快な気持ちになりました。

「そこで当然、私たちは、別の方面を捜索することになりました。死体を邸内に運びこむということは、たとえ夜分とはいえ、ずいぶん危険なことであるから、犯人は別の方法を取ったのではないかと考えたのであります。すなわち、秘密の通路に更に一つの秘密の通路があって、そこから犯人は死体を運び入れたのではないかと思いました。そこで検査して見ると、どうでしょう、稲荷の祠の下の階段の奥に位置する、言わば突き当りのところの御影石が、容易に離れてくるではありませんか。そこで、なお精密に調べて見ると、直径三尺(約90cm)くらいのトンネルが最近掘られて、それが再び埋められたような痕跡が発見されました。そして、そのトンネルの方向を見ますと、どうもあなたのお住いの方に走っているようでしたから、今、失礼ですけれど、あなたのお留守宅へ部下のものが検査にまいっておるのであります」

私はこれを聞いて思わずも飛び上がりました。全身の筋肉が激しく震えました。すると刑事も立ちあがって、冷静に言いました。

「大久保さん、失礼ついでにあなたの指紋を取らせて頂けませんか」

私は思わずポケットに右手を入れてピストルを取り出しました。この時遅く、かねてカーテンの陰に隠れていたと見えて、二人の刑事が後ろから私の両手を強くつかみました。

すると、今まで対座していた刑事は、つかつかと私のそばに歩み寄り、手早く私に手錠をかけ、「水谷真くん、本官は、原口、阿部両氏殺害の犯人として君を逮捕する」

と、凛とした声で言い放ちました。

 

×            ×           ×

 

かくて、私が苦心に苦心をして計画して遂行した犯罪は脆くもばれてしまいました。大久保豊の名に隠れて私立探偵となった私は、もはや、申すまでもなく、十年前に原口に雇われてその秘書となった水谷真であります。阿部はその時分から原口の腹心の徒で、二人は法律に触れぬ範囲で、あらゆる悪事を計画して、悪銭を貯めこんだのであります。そのうちに、好色漢たる原口は不倫にも私の妻に横恋慕して、阿部と計って、私にどしどしお金を使わせました。私は罠であると知らずに原口の金を使い込みましたが、そのうちに詐欺横領で訴えられ、否応なしに八年の懲役に処せられて、北海道で服役しなければならぬことになりました。その留守中に、原口は妻を無理に往生させました、妻は一年ばかり後に死にました。私は原口と阿部とに必ず復讐しようと決心し、刑務所を出るなり、まず口髭を生やし、眼鏡をかけて風采を変え、原口の近所を徘徊しておりますと、偶然にも原口邸の裏通りに一軒の借家を見つけたので、さっそくそれを借りて住みました。そして私は、かねて原口邸の秘密の通路を知っていましたから、私の家から、あの秘密の通路に通じるトンネルを作ろうと決心したのであります。私は座敷の縁板を外して、そこに穴を掘りかけ、約一月ばかりかかって目的を達しました。北海道で服役中、土掘りをよくやりましたから、少しも苦しくはありませんでした。そこで私はいよいよ、私立探偵の看板を掲げたのであります。彼等は、いかがわしい仕事ばかりしていましたから、私立探偵になれば、きっと彼等に近づくことが出来ると思ったのです。果たして阿部は私が広告を配った翌日の午後、私を訪ねて来ました。私は用心して彼を迎え入れ、『バット』を勧めましたところ、彼は一本取ってそれを袂に入れました。そのことを私はすっかり忘れてしまったのです。

しばらく世間話をしているうちに、狡猾な彼は、私が水谷であることを看破してしまいました。私はカッとなって、隠し持った短刀で心臓部を刺しますと、彼は一たまりもなくその場に倒れ、血は滝のように流れ出ました。私はそれから現場の掃除をして死体を行李に入れ、夜になるのを待ちました。私は阿部を刺した同じ短刀を携え、ゴムの手袋をはめて、秘密の通路から原口の応接室の裏側まで行って立ち聞きして機会を待っておりますと、その夜遅くまで彼は客と話しておりました。やがて客は帰って行き彼は玄関まで送り出しに行きましたから、その間に私は応接室に忍び込んでカーテンの陰に隠れていますと、間もなく原口は一人で帰って来ましたので、躍り出てその心臓を刺し、彼の絶命するのを見届けて再び秘密の通路から私の家に帰りました。それから、阿部の死体を運んで凶器を握らせたのですが、その際下駄を持って行くことを忘れませんでした。しかし今から思えばその下駄の置場が悪かったために、私の罪はばれたと言ってもよいのです。なお阿部の帽子とマントとは焼き払ってしまいました。

それから四日間かかって、私はトンネルを埋めにかかりました。少なくとも秘密の通路に接する部分を一、二間埋めたのであります。そして、私の家の座敷の下の部分も埋めました。ところが、トンネルが秘密の通路に接している部分、すなわちトンネルの出口、私はこちら側から、出来るだけ注意して、御影石を並べたつもりですが、もし、秘密の通路を少し精密に検査された時には、その部分が目につきやすいですから、どうしても、秘密の通路に入って行って、石をうまくならべて来なければならぬと思いました。

ところが、秘密の通路の存在を知っている人がなかったと見え、警察の手によっても発見されませんでした。今から思えば私が、あのまま、姿を隠してしまえば、永久に阿部の死体も発見されず、私も無事に暮らすことが出来たかも知れません。しかし罪を犯すと、少しのことが気になるものです。それに、一つには、世間を驚かして見たいというような変な虚栄心も手伝って、私はとうとう、私立探偵として原口邸に乗り込み、秘密の通路へ堂々として入り込もうと計画したのであります。そして、いよいよ保氏と共に入り込んだ時、私はわざと蝋燭の灯を消して、マッチが知れぬと偽り、保氏を一時遠ざけ、その間にひそかに携えていた懐中電燈を出して、その光によって、トンネルの出口の石をうまく並べて何食わぬ顔を装っていたのであります。そして一時は、まんまと世間を欺いたつもりでおりました。

ところが、秘密の通路に入る際、うつかり、階段の手すりに指紋を残し、その他、前に記したような、二、三の手ぬかりをしていたため、私の罪は見事に発覚しました。私は遠からず絞首台に上らねばなりませんが、この世の中から、原口、阿部の二人の悪人を私の手で除くことの出来たのは、せめてもの救いであります。

 

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