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蟹江城址
蟹江城は、伝承によれば、永享年間(1429~1440)に北条時任が築城したと伝えられています。かつてこの地は海に面しており、伊勢湾へ臨む要衝地として城が築かれたといい、軍事上の重要な拠点としてこの城をめぐる戦いが何度も行われました。
天正12年(1584)6月の戦いは特に激しく、蟹江合戦として語り継がれています。この戦いは、小牧・長久手の戦いにおいて、織田信雄・徳川家康連合軍と羽柴秀吉軍が戦いを繰り広げるなか、劣勢に傾いた秀吉がそれを打開しようとして起こした戦いでした。秀吉軍は、蟹江城主佐久間正勝の留守中をねらい、滝川一益を主将に九鬼水軍をともなって海上から入城しました。秀吉は留守を預かっていた前田種利を懐柔して難なく蟹江城占拠を成功させたのです。しかし、蟹江城の支城であった大野城の城主の山口重政や蟹江城にいた鈴木重安・重治兄弟の抵抗もあり、信雄・家康連合軍が反撃、2週間にも及ぶ籠城戦の末、信雄・家康連合軍が城を奪還して戦いは終わりました。
蟹江合戦の兵火により周辺の寺社の建物が消失したと伝えられており、蟹江城もかなりのダメージを受けたと考えられます。さらに天正13年(1585)の大地震により城は壊滅状態となり、修復されることなく廃城になったといわれています。
江戸時代以降、蟹江城があった場所は、宅地や田畑となりました。
現在は、住宅地の中に蟹江城址の石碑がある城址公園が整備され、その西に本丸井戸が残されています。
参考:蟹江城と蟹江合戦(図入り) [PDFファイル/1007KB]
Information
所在地:蟹江町城一丁目
お問い合わせ先:歴史民俗資料館/0567-95-3812